今日は3月3日、雛(ひな)祭りです。みなさん雛飾りを出している家庭も多いかと思いますが、その起源は意外と知られていないものです。また、雛祭りの過ごし方、祝い方は地域それぞれで少しずつ違っていて、独自の風習が浮かび上がってきます。今回は東北各地の雛祭りと風習がテーマです。

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結城登美雄の食の歳時記<暦編・その2>ひな祭り

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あちこちの家でお雛様が飾られているのではないでしょうか。その側には桃の花、白酒、菱餅といった食べ物が供えられているのではないでしょうか。この頃は東北の各地で、古い江戸時代の古典雛を家々に飾って街全体で見せるという町おこしが盛んです。雛祭りツアーに出かけようとしている人も多いのではないかと思います。しかし、雛壇にお雛様を飾るようになったのは、実は江戸時代の中頃からなんです。それ以前の享保年間に作られた面長な顔に切れの目で有名な「享保雛(きょうほびな)」は、飾るものでははくて、子どものための「ひな遊び」=人形遊びのものでした。それを飾って鑑賞するようになったのは、お雛様を扱うの商人が仕掛けたものです。

日本のクリスマスもバレンタインも企業がしかけたものですが、江戸時代の京都に220軒の人形商がいたと言われています。そういう人たちが今日のわれわれがやっている雛壇飾りを始めて、以来それが伝統のようなものになっています。しかし、東北には以前の形を残すような雛遊びの形が残っています。人形というのは、「ひとがた」と書きますね。人間の身代わりになって、人間を守ってくれるものです。人間に厄が来ないように身代わりになって引き受けてくれる、厄よけのお守りでもありました。一年分の厄を引き受けてくれた人形を3月3日に川に流す「雛流し」が本来の雛祭りでありました。

福島町の三島町に行ったとき、雛流しを見ました。男の子たちが家々にある紙雛を集めてきて、それを箱に入れて只見川(ただみがわ)に流していきます。川岸で手を合わせて、「一年が無事でありますように」とお祈りをする姿に、何だか東北らしい、しみじみしたものを感じました。山形県の大石田の雛祭りにいったときは、立派な雛壇はなくて、布であったり、小さなタペストリーのような押し絵の雛がありました。そこの方によれば「昔はお金がなくてね。それでも雛祭りをしたかったからお婆ちゃんが手縫いで作ってくれたんだよ」と言っていました。飾っていました。

私たちの雛祭りは、東北の雛祭りは一年間蔵の中で自分たちの身代わりになって厄を引き受けてくれたお雛様に感謝して、一年にいっぺん明るい所に出してお雛様と遊ぶ、そういったものがあちこちで風習として残しています。そして雪の深い東北の中から、春の始めに出てくるよもぎを使った草餅をお雛様にお供えして「ありがとうございました、またこの一年もよろしくお願いします」とお祈りするが私が考える雛祭りです。

お雛様に厄を祓ってもらい、春の最初の摘み草であるよもぎ餅を食べて元気をもらう、そんな元気を取り戻す春の食文化が、雛祭りとともに今も残っています。(つづく)

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