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激動の昭和に代わる平成とは何であったのか まもなく平成が終わろうとしている。昭和の日本は、戦争と敗戦、焼け野原から世界第二位の経済大国へと、「激動」と呼ぶにふさわしい時代を経験した。それでは「平和が達成される」という意味に改元された平成の日本は、どのような時代を経験したのだろうか。
確かに軍事的な意味での戦争はなかった。それを喜ぶ人もいる。しかし私は政治と経済が混迷と衰退を重ね、そこから抜け出す道をまだ見つけられていない意味で「長い敗戦の時代だった」気がする。
平成元年(1989年)は日本が未知の世界に突入した年である。それまで経験したことのない出来事が次々に起きた。まず自民党の最大派閥を擁して盤石の態勢だった竹下内閣があっという間に倒れた。原因はロッキード事件と並ぶ戦後最大のスキャンダル「リクルート事件」である。
新興企業リクルートの未公開株が政界にばらまかれ、中曽根、竹下、宮沢、安倍など実力者がみな購入していた。株の購入は違法ではないが、値上がりが確実であることから「濡れ手で粟」と報道され、国民の怒りを買った。
国会は空転し、3月末までに成立させなければならない予算が4月に入っても成立しない。外務省は外国からの賓客の訪日をキャンセルし、また刑務所の飯が出なくなると噂された。竹下総理は自分の首を差し出して予算を成立させる。前代未聞の退陣劇だった。
後継となった宇野宗祐は女性スキャンダルが発覚し、また4月から消費税が導入されたこともあって、7月の参議院選挙で自民党は結党以来初めて選挙に敗れた。初の「ねじれ」が生まれ、首班指名選挙は参議院が社会党の土井たか子を総理に選出する。
世界では11月に「ベルリンの壁」が崩れ、12月に米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が「冷戦の終結」を宣言した。世界も未知の世界に突入する。
世界第二位の経済大国になった日本はバブル経済のピークを迎えた。株価は年末に3万8915円の史上最高値をつける。平成最後の株価は4月26日の2万2258円だから株価は30年間で1万6657円下落したことになる。
平成2年にバブルは崩壊するが、高度経済成長以来、経済的な成功に酔いしれた日本人はそれに気づかない。バブルの象徴としてテレビが紹介する「ジュリアナ東京」がオープンしたのはバブル崩壊後の平成3年である。バブルが崩壊しても日本人はそれに気づかずディスコで踊り狂っていた。
平成3年の初めに湾岸戦争が起こる。冷戦終結後初めての戦争は、イラクの侵略を食い止める国連主導の戦争だった。国連加盟の34か国が自主的に軍隊を派遣したが、日本は自衛隊を派遣せず、資金提供だけで済ませ、世界から厳しい批判を浴びた。バブルに酔った日本人は世界が冷戦時代とは変わったことにも気づかない。
そしてその年の暮にソ連が崩壊した。米国が唯一の超大国となり、世界の一極支配に乗り出す。ソ連の崩壊は、ソ連が管理していた核技術や核技術者が拡散する恐れを生む。冷戦時代以上に敵が見えにくく、米国はCIAを強化し、軍も世界規模で再編されることになった。
しかし日本では官僚も政治家も誰も冷戦後の生き方を考えなかった。宮沢総理が「これで日本も平和の配当が受けられる」と語ったように、日本人は平和な世界が訪れると甘い幻想を抱いていた。
平成4年、米国のペンタゴンは一極支配の世界戦略を作成する。その中で敵性国家として名指ししたのは「ロシア、中国、日本、ドイツ」の4か国である。冷戦末期に米国が最大の敵と見たのはソ連よりも日本経済だったから、日本の名前が入るのは当然である。しかし日本人は米国から敵だと思われていることを考えようともしない。
米国は高度経済成長を達成した日本型経済の秘密を解き明かし、その条件を1つづつ潰そうとしていた。それが平成5年に誕生したクリントン政権の政策に現れる。クリントンは日本の貿易に制裁を課す「スーパー301条」をちらつかせ、「数値目標」を導入して管理貿易を行おうとした。また宮沢政権に「年次改革要望書」を送りつけ、日本型経済を米国型に変えようとした。
さらに軍が開発したインターネットやデジタル技術を使ってIT革命を起こし、情報産業で世界覇権を握る。一方、日本はNHKとソニーがアナログハイビジョンで世界制覇を狙ったが、米国のデジタル技術が世界に普及し、米国と組んだ韓国や中国が日本の家電産業を追い抜いていった。
因みに平成元年の企業の世界時価総額ランキングは、1位から5位までを日本企業が独占し、上位10位の中に7社が入った。それが平成30年には上位50位の中にトヨタが1社だけ35位に入ったに過ぎない。
クリントンは朝鮮半島の統一を成し遂げ歴史に名を残そうとしたが、それよりも中国と北朝鮮の脅威を声高に叫んで日本に恐怖を与え、日米同盟を強化して日本を自立させないことが、軍事でも経済でも米国の要求を日本に飲ませることが出来ると考えた。
平成7年、クリントンは「アジアの冷戦は終わっていない」として、橋本政権との間で「日米安保再定義」を行う。日米安保条約は、ソ連を敵として冷戦を前提に作られた。日本が基地を提供する代わりに米国が日本を防衛することになっている。しかし冷戦は終わり、ソ連も崩壊したのに見直しは図られなかった。
中国と北朝鮮の脅威を声高に叫ぶ米国は、日米安保を基地と防衛のバーターではなく、日本周辺で有事があれば自衛隊が米軍に協力する内容に変えた。それが「日米安保再定義」である。自衛隊と米軍の一体化が始まる。
日本型経済を支えていたのは銀行だった。日本の企業は株式市場で資金を得るより銀行の融資で事業を起こす。企業にはメインバンクがあり、メインバンクが経営を監視する。そして大蔵省が銀行業界を監督する。それで政府の政策が各企業に行き渡る。それを米国は「政官財の癒着」と呼んで非難した。
しかし米国では政権が変わるたびに高級官僚も入れ替わる。その高級官僚は政権が変わればワシントンを離れて多くが企業経営者になる。次に政権が変わればまた官僚としてワシントンに戻る。リボルビングドアと言って、彼らも「政官財」は一体なのだ。ただ日本には政権交代がなかった。
日本経済をバブルに導いたのは米国である。「プラザ合意」と「ルーブル合意」で円高と低金利が始まった。さらに米国は日本に内需拡大を求め、それが不動産と株価を釣り上げてバブルを起こす。バブルは必ず破裂する。最も打撃を受けたのは銀行だった。不良債権を抱えて立ち往生した。
総会屋との付き合いなど古い体質が暴露され、銀行を監督する大蔵省もノーパンしゃぶしゃぶ事件で権威は地に堕ちた。不良債権を抱えた銀行は整理統合され、一部は米国のハゲタカファンドに食われた。また大蔵省も金融庁と財務省に分離され、日本型経済の中枢が機能不全になった。
自社が対立した「55年体制」も「制度疲労」を起こしていた。万年与党と万年野党が機能したのは冷戦があったからである。冷戦がある以上、米国は日本に社会主義政権を成立させるわけにいかない。そこを突いて自民党は社会党主導の護憲運動を国民に浸透させ、再軍備を求める米国をけん制した。
社会党は選挙で過半数を越す候補者を擁立せず、政権を取らない万年野党なのだが、憲法改正させない3分の1の議席は確保した。それを中選挙区制が可能にする。そして自民党政権は米国に社会党政権ができると思わせ、軍事負担を軽減する手段にした。
その「軽武装」路線が経済成長をもたらす。しかし冷戦が終われば万年与党と万年野党が役割分担で米国をけん制することはできなくなった。日本も政権交代が必要になり、中選挙区制に代わる小選挙区制が俎上に上った。
米国や英国の小選挙区制は死に票が出るマイナスより、政権交代が起こるプラスを評価する。一方、欧州各国は民意を反映する比例選挙が多い。すると政党が多数になり強力な政党ができにくい。政権を作るには連立する必要が出てくる。連立交渉に国民は参加できず、国民の思い通りの政権ができるとは限らない。
どちらも一長一短あるが、日本は小選挙区比例代表並立制が採用され、少数政党も生き残れるため、連立が常態化することになった。平成5年に自民党に代わる8党派の細川政権が誕生して選挙制度を変えた後、政権は自社さ、自自、自自公、自公保、自公と連立の組み合わせが続く。今では自公が1つの軸になった。
これに対し、自由党と合併した民主党が平成21年に政権交代を果たしたが、未熟さを露呈して3年後に自公に政権を奪い返された。その後は野党がバラバラに候補者を立てるため、6年余り自公が支える安倍政権が続いている。
安倍政権は世界を一極支配する米国にすり寄ることを政権の基本に据えた。米国の要求に応え、かつての自民党が決して認めなかった集団的自衛権の行使を認める。自衛隊と米軍の一体化は促進され、米国への従属度も高まった。ボクシングで離れて戦うより、クリンチで抱き着いた方が打たれないのを真似したのかもしれない。しかし米国がいつまでも打たない保証はない。
トランプ政権は冷戦後の米一極支配構造を見直そうとしている。そのため世界から米軍を引く構えである。軍事戦略を作るのは米国だが、戦闘員は他国に肩代わりさせる。それに自衛隊が使われない保証はない。
またトランプを支持するのは昭和の日本の製造業が痛めつけたラストベルトの人たちだ。その恨みがトランプ大統領を動かし経済戦争を仕掛けてくる可能性もある。平成に戦争はなかったと喜んでも、経済戦争はいつの時代にも起こる。そして平成は日本の混迷と衰退が歴然とした時代であった。
平成の日本は戦略がないまま未知の世界に翻弄された。次の時代は少子高齢化の将来を真剣に考えて戦略を立てる必要がある。世の中は祝賀ムードに溢れているが、私は気持ちを引き締めて令和を迎えたいと思う。平成の負の遺産を次の時代に引き継がせてはならない。
確かに軍事的な意味での戦争はなかった。それを喜ぶ人もいる。しかし私は政治と経済が混迷と衰退を重ね、そこから抜け出す道をまだ見つけられていない意味で「長い敗戦の時代だった」気がする。
平成元年(1989年)は日本が未知の世界に突入した年である。それまで経験したことのない出来事が次々に起きた。まず自民党の最大派閥を擁して盤石の態勢だった竹下内閣があっという間に倒れた。原因はロッキード事件と並ぶ戦後最大のスキャンダル「リクルート事件」である。
新興企業リクルートの未公開株が政界にばらまかれ、中曽根、竹下、宮沢、安倍など実力者がみな購入していた。株の購入は違法ではないが、値上がりが確実であることから「濡れ手で粟」と報道され、国民の怒りを買った。
国会は空転し、3月末までに成立させなければならない予算が4月に入っても成立しない。外務省は外国からの賓客の訪日をキャンセルし、また刑務所の飯が出なくなると噂された。竹下総理は自分の首を差し出して予算を成立させる。前代未聞の退陣劇だった。
後継となった宇野宗祐は女性スキャンダルが発覚し、また4月から消費税が導入されたこともあって、7月の参議院選挙で自民党は結党以来初めて選挙に敗れた。初の「ねじれ」が生まれ、首班指名選挙は参議院が社会党の土井たか子を総理に選出する。
世界では11月に「ベルリンの壁」が崩れ、12月に米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が「冷戦の終結」を宣言した。世界も未知の世界に突入する。
世界第二位の経済大国になった日本はバブル経済のピークを迎えた。株価は年末に3万8915円の史上最高値をつける。平成最後の株価は4月26日の2万2258円だから株価は30年間で1万6657円下落したことになる。
平成2年にバブルは崩壊するが、高度経済成長以来、経済的な成功に酔いしれた日本人はそれに気づかない。バブルの象徴としてテレビが紹介する「ジュリアナ東京」がオープンしたのはバブル崩壊後の平成3年である。バブルが崩壊しても日本人はそれに気づかずディスコで踊り狂っていた。
平成3年の初めに湾岸戦争が起こる。冷戦終結後初めての戦争は、イラクの侵略を食い止める国連主導の戦争だった。国連加盟の34か国が自主的に軍隊を派遣したが、日本は自衛隊を派遣せず、資金提供だけで済ませ、世界から厳しい批判を浴びた。バブルに酔った日本人は世界が冷戦時代とは変わったことにも気づかない。
そしてその年の暮にソ連が崩壊した。米国が唯一の超大国となり、世界の一極支配に乗り出す。ソ連の崩壊は、ソ連が管理していた核技術や核技術者が拡散する恐れを生む。冷戦時代以上に敵が見えにくく、米国はCIAを強化し、軍も世界規模で再編されることになった。
しかし日本では官僚も政治家も誰も冷戦後の生き方を考えなかった。宮沢総理が「これで日本も平和の配当が受けられる」と語ったように、日本人は平和な世界が訪れると甘い幻想を抱いていた。
平成4年、米国のペンタゴンは一極支配の世界戦略を作成する。その中で敵性国家として名指ししたのは「ロシア、中国、日本、ドイツ」の4か国である。冷戦末期に米国が最大の敵と見たのはソ連よりも日本経済だったから、日本の名前が入るのは当然である。しかし日本人は米国から敵だと思われていることを考えようともしない。
米国は高度経済成長を達成した日本型経済の秘密を解き明かし、その条件を1つづつ潰そうとしていた。それが平成5年に誕生したクリントン政権の政策に現れる。クリントンは日本の貿易に制裁を課す「スーパー301条」をちらつかせ、「数値目標」を導入して管理貿易を行おうとした。また宮沢政権に「年次改革要望書」を送りつけ、日本型経済を米国型に変えようとした。
さらに軍が開発したインターネットやデジタル技術を使ってIT革命を起こし、情報産業で世界覇権を握る。一方、日本はNHKとソニーがアナログハイビジョンで世界制覇を狙ったが、米国のデジタル技術が世界に普及し、米国と組んだ韓国や中国が日本の家電産業を追い抜いていった。
因みに平成元年の企業の世界時価総額ランキングは、1位から5位までを日本企業が独占し、上位10位の中に7社が入った。それが平成30年には上位50位の中にトヨタが1社だけ35位に入ったに過ぎない。
クリントンは朝鮮半島の統一を成し遂げ歴史に名を残そうとしたが、それよりも中国と北朝鮮の脅威を声高に叫んで日本に恐怖を与え、日米同盟を強化して日本を自立させないことが、軍事でも経済でも米国の要求を日本に飲ませることが出来ると考えた。
平成7年、クリントンは「アジアの冷戦は終わっていない」として、橋本政権との間で「日米安保再定義」を行う。日米安保条約は、ソ連を敵として冷戦を前提に作られた。日本が基地を提供する代わりに米国が日本を防衛することになっている。しかし冷戦は終わり、ソ連も崩壊したのに見直しは図られなかった。
中国と北朝鮮の脅威を声高に叫ぶ米国は、日米安保を基地と防衛のバーターではなく、日本周辺で有事があれば自衛隊が米軍に協力する内容に変えた。それが「日米安保再定義」である。自衛隊と米軍の一体化が始まる。
日本型経済を支えていたのは銀行だった。日本の企業は株式市場で資金を得るより銀行の融資で事業を起こす。企業にはメインバンクがあり、メインバンクが経営を監視する。そして大蔵省が銀行業界を監督する。それで政府の政策が各企業に行き渡る。それを米国は「政官財の癒着」と呼んで非難した。
しかし米国では政権が変わるたびに高級官僚も入れ替わる。その高級官僚は政権が変わればワシントンを離れて多くが企業経営者になる。次に政権が変わればまた官僚としてワシントンに戻る。リボルビングドアと言って、彼らも「政官財」は一体なのだ。ただ日本には政権交代がなかった。
日本経済をバブルに導いたのは米国である。「プラザ合意」と「ルーブル合意」で円高と低金利が始まった。さらに米国は日本に内需拡大を求め、それが不動産と株価を釣り上げてバブルを起こす。バブルは必ず破裂する。最も打撃を受けたのは銀行だった。不良債権を抱えて立ち往生した。
総会屋との付き合いなど古い体質が暴露され、銀行を監督する大蔵省もノーパンしゃぶしゃぶ事件で権威は地に堕ちた。不良債権を抱えた銀行は整理統合され、一部は米国のハゲタカファンドに食われた。また大蔵省も金融庁と財務省に分離され、日本型経済の中枢が機能不全になった。
自社が対立した「55年体制」も「制度疲労」を起こしていた。万年与党と万年野党が機能したのは冷戦があったからである。冷戦がある以上、米国は日本に社会主義政権を成立させるわけにいかない。そこを突いて自民党は社会党主導の護憲運動を国民に浸透させ、再軍備を求める米国をけん制した。
社会党は選挙で過半数を越す候補者を擁立せず、政権を取らない万年野党なのだが、憲法改正させない3分の1の議席は確保した。それを中選挙区制が可能にする。そして自民党政権は米国に社会党政権ができると思わせ、軍事負担を軽減する手段にした。
その「軽武装」路線が経済成長をもたらす。しかし冷戦が終われば万年与党と万年野党が役割分担で米国をけん制することはできなくなった。日本も政権交代が必要になり、中選挙区制に代わる小選挙区制が俎上に上った。
米国や英国の小選挙区制は死に票が出るマイナスより、政権交代が起こるプラスを評価する。一方、欧州各国は民意を反映する比例選挙が多い。すると政党が多数になり強力な政党ができにくい。政権を作るには連立する必要が出てくる。連立交渉に国民は参加できず、国民の思い通りの政権ができるとは限らない。
どちらも一長一短あるが、日本は小選挙区比例代表並立制が採用され、少数政党も生き残れるため、連立が常態化することになった。平成5年に自民党に代わる8党派の細川政権が誕生して選挙制度を変えた後、政権は自社さ、自自、自自公、自公保、自公と連立の組み合わせが続く。今では自公が1つの軸になった。
これに対し、自由党と合併した民主党が平成21年に政権交代を果たしたが、未熟さを露呈して3年後に自公に政権を奪い返された。その後は野党がバラバラに候補者を立てるため、6年余り自公が支える安倍政権が続いている。
安倍政権は世界を一極支配する米国にすり寄ることを政権の基本に据えた。米国の要求に応え、かつての自民党が決して認めなかった集団的自衛権の行使を認める。自衛隊と米軍の一体化は促進され、米国への従属度も高まった。ボクシングで離れて戦うより、クリンチで抱き着いた方が打たれないのを真似したのかもしれない。しかし米国がいつまでも打たない保証はない。
トランプ政権は冷戦後の米一極支配構造を見直そうとしている。そのため世界から米軍を引く構えである。軍事戦略を作るのは米国だが、戦闘員は他国に肩代わりさせる。それに自衛隊が使われない保証はない。
またトランプを支持するのは昭和の日本の製造業が痛めつけたラストベルトの人たちだ。その恨みがトランプ大統領を動かし経済戦争を仕掛けてくる可能性もある。平成に戦争はなかったと喜んでも、経済戦争はいつの時代にも起こる。そして平成は日本の混迷と衰退が歴然とした時代であった。
平成の日本は戦略がないまま未知の世界に翻弄された。次の時代は少子高齢化の将来を真剣に考えて戦略を立てる必要がある。世の中は祝賀ムードに溢れているが、私は気持ちを引き締めて令和を迎えたいと思う。平成の負の遺産を次の時代に引き継がせてはならない。
■《己亥田中塾》のお知らせ(5月29日 19時〜)
田中良紹塾長が主宰する《戊戌田中塾》が5月29日(水)に開催されることになりました。詳細は下記の通りとなりますので、ぜひご参加下さい!
【日時】
2019年5月29日(水) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部会場:神保町駅前会議室 会議室
東京都千代田区神田神保町2-7 芳賀書店ビル5階
都営地下鉄・東京メトロ神保町A1出口から徒歩1分
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、お申し込み下さい。
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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