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ホタテの養殖をする漁師たち(青森県横浜町/撮影:THE JOURNAL編集部)

THE JOURNALではお馴染みの篠原孝衆院議員の最新ブログを事務所の許可を得て転載します。今回の記事は、NHKの朝ドラ「あまちゃん」と、その舞台となっている漁村をテーマにしたものです。

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篠原孝:愚かな水産特区は「あまちゃん」の世界を壊す -日本人の知恵による資源管理と絆で結ばれた漁村は世界が絶賛

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録画で見るNHKの朝ドラ


 NHKの朝ドラ「あまちゃん」が好評のようである。かくいう私も録画して見ている。人気の脚本家宮藤官九郎(クドカン)の名は知っていたが、いかんせんTVドラマをゆっくり見ている余裕がない国会議員であり、夜のドラマなどおよそ見たことがなかった。朝ドラは、朝食時にチラチラ見る程度だったが、数年前の「てっぱん」は妻の故郷尾道が舞台だったため、妻は見逃さないよう録画していた。次の「おひさま」は長野の安曇野が舞台だったので、人一倍愛郷心の強い私を慮って、私用に録画してくれた。その好意を無にするわけにもいかず見たが、風景は私の目を楽しませてくれたものの、脚本は今一つだった。その後も朝ドラはチラチラ見ていたが、
あまちゃんは久々にしっかり見続けている。

海女は強い絆の地域社会の一つ


 「海女」の強いつながりがこのドラマの基礎をなしている。寅さんの映画が、いつでも帰って来られる柴又帝釈天の近くの団子屋のある商店街が安心感を与えているのと同じである。
 今のところ夏バッパの家1軒しか出てこないが、強い絆で結ばれた隣人たちの中でドラマが展開している。私は、日本の沿岸漁業を企業の手に渡す水産特区とやらが、この涙が出てくるような麗しい隣近所付き合いをつぶし、日本の海を荒らしてしまうことに重大な危惧を抱いている。クドカンには、漁村の崩壊といった社会問題にまでは触れてほしいと思っているが、朝ドラのテーマには不向きであり、無理である。

「共有の悲劇」は日本にはあてはまらず

 私は、1976年から2年間イチローのお蔭で今は誰でも知っているシアトルにあるワシントン大学海洋総合研究所で学んだ。私のメインテーマは海洋法と海洋資源管理である。世界は規制の論理がはびこり、世界の海は200海里の漁業水域を設け漁獲規制する方向に動いていた。皆のものは誰のものでもなくなる「コモンズ(共有)の悲劇」(ハーディン)は、我先に魚を獲りあった結果、資源が枯渇していることを問題視し、漁獲量を抑える総量規制の必要性を説き、厳しい管理を国際機関や国の仕事を位置づけしていた。そして、それが世界のルールにもなった。しかし、日本の入会林野や共同漁業権は、地域コミュニティの構成員に限って利用でき、むしろ最も理に適った持続的利用がなされていたのである。

世界で絶賛される日本の沿岸漁業・漁村のルール

  “Coastal Zone Management”(沿岸海域管理)という耳慣れない講義科目の中で、日本の共同漁業権による資源管理が絶賛された。教授は、私に是非授業に出てくれと懇願し、私にいろいろと日本の事情を質問して授業を進めた。「あまちゃん」に既に出ているが、ウニの漁期や漁場の範囲は漁民自ら決め、「あけ」の日と「しめ」の日を守り、決して資源を枯渇させたことがない。国も何も出ていく必要はないのである。ウニを枯渇させたら困るので、自然と自然(天然資源)との共生の論理が生まれてくる。国が規制する前に、自分たちでルールを作り守ってきたのである。それを企業の手に渡すと、人と自然の営みは断ち切られ、アキの周りのコミュニティは崩れていってしまう。

血迷う無知な知事と民間企業の大合唱

 これが、漁業特区とやらで企業が参入したらどうなるか。TPPに入り、世界共通のルールか知らないが、アメリカの漁業会社を含めて競争入札でウニ漁がやれるとなると、あのあまちゃんの描く世界は瞬く間に消えていく。アキは○○株式会社に雇われる季節労働者に成り下がり、夏バッパも生きていけなくなる。
 水産特区もTPPも、それこそ愚の骨頂なのがわからないのだろうか。世界の資源管理・海洋学者が遠くから見て羨ましいと絶賛する日本人の知恵を、日本人なのに何も知らない知事や企業が壊さんとしているのである。村井宮城県知事の主張の自己矛盾は、国は地方の声を聴かないと文句を言いつつ、知事自身が本当の漁業現場の声を聴かずに「特区」という言葉遊びや机上の空論に走っていることである。ところが、どのマスコミも簡単なこのまやかしすら気づかず、ひたすらほめそやす。どこに目をつけているか、TPPをひたすら絶賛するのと同じ図式である。農地を株式会社も所有できるようにすべしという、いつもの農地所有の自由化の主張と同じである。

日本の海をコンクリートから守ってきた漁業権

 漁業権というと、埋め立ての補償金が問題になり、加工貿易立国に好都合な海辺を工場にしてしまいたい企業は、ずっと巨額な補償金に頭を悩まされてきた。そして、これを何とかなくしてほしいと常に願ってきた。陸の世界で、企業に農地の収得を認めるというのと全く同根である。しかし、これもまた沿岸に張り巡らされた漁業権により乱開発を防いだと諸外国の専門家から褒められる制度なのである。もし、この歯止めがなかったら、日本の太平洋側の内湾は、ほとんどがコンクリートで塗り固められ、海は荒廃し、景色も無残なものとなっていただろう。
 今、富士山が世界遺産となったと大騒ぎされているが、それよりも何よりも、江戸末期から明治にかけて訪れた欧米の目の肥えた人たちが、瀬戸内海の美しさに見とれたのである。たぶん瀬戸内海こそ世界に類まれなる美しい内海なのに、今はあちこちに見苦しいテトラポットが並び、沿岸は工場だらけになっている。残念ながら、共同漁業権でも守れなかったからである。日本人でこのことに気付いて発言した有識者は、私の知る限りでは、かつてのテレビの売れっ子竹村健一しかいない。

水産特区は災害資本主義(ショック・ドクトリン)の一形質

 東日本大震災で漁村こそ大打撃を受けた。その再生のためには、高齢化した漁業者だけに任せておくわけにはいかない、企業が前面に出ないとならない、とまことしやかに言われ、上述の漁業特区が幅を利かせだした。まさに、2007年のナオミ・クラインのベストセラー「災害資本主義」あるいは「ショック・ドクトリン(岩波書店)」を地でいくおかしな論理なのである。災害に乗じていつの間にか大資本の手が伸びてきて、すべてが市場化され、傘下にされてしまうというものである。私は、難解なその本を読み始めたものの、よく理解できなかった。正直なところ、クラインの突飛な理論であり、ハリケーン・カトリーナで被害を受けて茫然自失する住民ばかりとなるアメリカでは起きても、沈着冷静な人が大半の日本では起こりうべくもないと思っていた。

政府が市場原理主義を推し進める不思議の国日本

 ところが、今まさに、クラインが指摘したそのままずばりのことが、あろうことか、日本では大資本ではなく愚かな政府や宮城県が手助けして起ころうとしている。政府は逆に災害に便乗した市場原理主義に対して住民を守るための規制をしなければならないというのに、なんという国なのか、私は怒りがこみ上げてくる。
 この先に、クドカンが東日本大震災の津波をどうドラマに入れ込み、その後をどう書き込むのか興味のあるところである。願わくば、あまちゃんを温かく迎え入れ育ててくれる漁村地域社会を守る大切さを、それとなく日本国民に示唆してほしい。人と人とのつながりが希薄となり、寂しさが不幸の元となった現代社会に必要なのは、漁業特区による経済的利益よりも、血の通い合う地域社会の復活なのである。

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■篠原孝
『農的循環社会への道』2000年8月、創森社)
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