じりじりと下がる内閣支持率を一気挽回する決め手として安倍晋三首相が仕組んだ日朝間の「拉致再調査」だが、北朝鮮の特別調査委員会による最初の報告が届くはずの9月中旬を前にして、官邸周辺にはやや悲観的な空気が漂っているという。当初の思惑では、特定および認定拉致被害者の1人でも2人でも生存が明らかになれば、それはもうマスコミ挙げての一大報道合戦になり、その勢いに乗って安倍自らがピョンヤン訪問、訪問国の数だけは多いが目覚ましい成果はほとんど何もない安倍外交に大輪の花を咲かせようということだったが、どうもそううまく運びそうにない。事情に詳しい北朝鮮消息通が解説する。

「北朝鮮のペースに嵌められたと思う。1つは、今回の日朝合意で『全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施する』とあるのを、日本側は勝手に最大関心事である拉致被害者の調査が優先されると思い込んでしまったが、北側の報道などでは戦没者の遺骨、日本人妻、残留日本人、それから拉致という順番になっていて、北にとって痛くも痒くもないところから“小出し”にして、日本をズルズルと引っ張って行く余地がある。2つには、そうなりそうな理由として、北は調査すると言葉で約束しただけなのに、日本は早速、経済制裁の一部解除という実際行動で答えた。その直後の7月3日に北の宋日昊担当大使が北京で『日本の制裁解除の内容を見極めた上で調査結果を発表する』と言ったように、最初から足元を見られている。第3に、日本がそのように前のめりになるのは、今回の調査委員長に、最高権力機関である国防委員会の直下にある国家安全保衛部の徐大河副部長が就いたということで、外務省筋はさかんに『初めて大物が出て来た』とか『透明性がある』とか期待を煽っているが、本当の権力中枢は、旧ソ連で言えばKGBに当たる国家安保部よりも、労働党の組織指導部だ。このあたりの判断がちょっと甘かったと官邸も気づき始めているのではないか」と。

この2つの部は、いずれも部長は不在。とういことは金正恩第一書記が直轄する手足のような機関だが、国家安保部が持っているのは党、軍、政府のすべてに対する監察機能であるのに対し、組織指導部はそのすべての人事任命権を握っている。金正恩の叔父で後見人だった張成沢が昨年末、突然粛正されたのも、張が組織指導部の権限に手を突っ込んだために逆襲に遭ったのだという。この国の底知れない権力構造の闇をよほど見極めないと、安倍政権が手玉にとられる危険がある。▲
(日刊ゲンダイ8月27日付から転載)

【INSIDER No.747】
安倍政権人事のドタバタから始まる秋の政局
 ── 一難去ってまた一難の連続を乗り切れるのか

 暑苦しい夏が終わって、爽やかな秋の訪れが待たれるところだが、政治が暑苦しくなるのはむしろこれからである。この秋の政局は、安倍晋三首相にとっては、

(1) 一難去ればまた一難とでも言うような難題の連続を次々に超えて行って、
(2) 何とかして来年春の統一地方選挙に辿り着いてそこそこの成績を上げ、
(3) それから集団的自衛権関連の法改正を一気に仕上げて、
(4) 来年9月自民党総裁選での再選達成にまで繋げていく、

 その一連なりのプロセスの第1段階である・・・・・・

(INSIDER No.747 14/09/01より一部掲載)

*   *   *

 以下、党・内閣人事、拉致再調査、臨時国会、福島・沖縄両県知事選、原発再稼働、消費税財増税とアベノミクス破綻などを秋政局の焦点を一覧的に論じているので、詳しくは今週の「高野孟のザ・ジャーナル」No.148をご覧下さい。


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<高野孟(たかの・はじめ)プロフィール>
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊。2002年に早稲田大学客員教授に就任。05年にインターネットニュースサイト《ざ・こもんず》を開設。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。