東日本大震災から3年を数えた春、大きな被害を受けた岩手三陸鉄道全線開通のニュースに喜びました。
1984年、ちょうど30年前に開業した三陸鉄道は「さんてつ」の名で親しまれ、沿線住民の生活の足として期待の星でした。まだ、日本中がバブル景気にわく勢いのあった時代で、地元悲願達成の証し、と称されました。それがこの大災害では復興の証しとして期待が寄せられ、遅々として進まない復興事業の新たなシンボルとなっているそうです。
再開セレモニーを見ながら記憶が重なったのは、NHKの朝ドラで人気だった「あまちゃん」の映像で、そこに登場した架空の北三陸駅長だった大吉が発した「許すまじ!モータリゼーション」のセリフです。だんだん自動車社会に押されてゆく「さんてつ」への愛着と三鉄マンの心意気を示したセリフがどこか切なく聞こえました。
東北に限らず地域交通の要だった鉄道に代わるモータリゼーション、車社会の広がりは多くの人に便利で快適な暮らしをもたらしました。都合をダイヤにあわせることなく、いつでも自宅から乗れる機動性は大きな利便性に感動さえ覚えました。
高度成長の時代には、一家に一台が憧れの自動車は、今や地方は一人一台があたり前の時代です。自家用車は地方の公共交通にかわり、そこで暮らす人を支え、地域社会を変え、生活には欠かせぬ移動手段として深く根付いていきました。一方で地方の公共交通はどんどん廃れていき、今では路線バスなど無くなって困る人はいないと言われるありさまです。
しかし、これから高齢化がさらにすすむことから、「いずれ運転ができなくなった時になくては困る」という意見の人も結構いて、そうした地域は増えているといいます。
そこで地方の公共交通に携わる人たちの中からコミュニティバスやオンデマンド交通に取り組み、地域住民の移動手段の確保に努めるという動きがでてきました。
オンデマンド交通は、予約を入れると自宅の近くから目的地まで乗合方式で運行される仕組みで、乗車の受付から配車までコンピューターが自動処理してくれます。最近では、システムがそれら一連のデータを蓄積してビッグデータ化され事業者の運行改善のためにも役立てられています。
さらに、クラウド技術により低コスト化が進んだことや身近な移動手段が増えることで高齢者の健康面で改善がみらたこと、さらに子供の見守りや通院、買い物など住民の多様な希望を叶える移動が可能になったことから、こうしたシステムの導入をすすめる自治体が増えてきました。
しかし、その後の活動を追ってみると、うまくいっていない地域も多くみられます。
数年前、タクシー会社の方に頼まれて高台にある住宅地の自治会と共同したオンデマンド交通の導入実験を試みたことがあります。自治会側の要望で始める予定だったのですが、いざ行動をはじめたところ住民側の意見がまとまらずに結局うまくいきませんでした。300所帯ほどの小さなところなのに、なぜ、何のために車を走らせるのかという目的が詰められなかったことや繰り返される参加者のネガ発言に、はじめは熱心だったキーパーソンもついに嫌気がさして結局あきらめてしまったのです。
震災と津波で大きな被害を受けた石巻市では、移動手段を失い困っていた高齢者の送迎を行う市民団体が今も活躍しています。また舞鶴市では自治会に協議会が設置され、外出支援サービスがすでにはじめられています。
新たな公共交通を担い、運行しようとする地域は、まだ多くありませんが、立ち上げから上手く継続しているのは、NPOや住民組織が自立した事業の主体となって活動しており、地元愛にあふれた志のある人がいる地域というのが共通しています。
【篠塚恭一(しのづか・きょういち )プロフィール】
1961年、千葉市生れ。91年(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。