中村祥之インタビューシリーズ
①負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189
②橋本真也、新日本プロレス決別の理由
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar974841
③ファイティングオペラ「ハッスル」とはなんだったのか?
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1034482
④破壊王・橋本真也の死――不倫とゼロワン崩壊
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1049820
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■「久しぶりにターザンが面白い!」と大絶賛!
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――中村さんが巌流島に仲介したラウェイ戦士のトゥトゥミンは残念ながら負けちゃいましたが、直前まで相手が二転三転してドタバタされてましたね。
中村 グラチャンに出るはずだったんですよね。しかもあの選手はコンゴの柔道オリンピック強化指定選手だったのに、谷川(貞治)さんは「キックボクサーなんですよ〜〜」と言い張ってね(笑)。
――うーん、さすがペテン師(笑)。
中村 ボクはラウェイ関係者には「違う違う!」と言ったんですけどね。キックボクシングルールならそんなに強くないけど、柔道をやっていたから道着の襟を掴む技術はこっちより強い。「このルールならおいしい仕事」と思って出てきたと思いますよ。彼に練習をつけてる菊野(克紀)さんも「強いですよ」と言っていましたしね。
――至って普通のMMAファイターですよね。
中村 そうそう。巌流島って「元○○」という肩書きをつけてるけど、今回出ていたバレーボールの選手だってバレーだけをやってたわけじゃない。過去にバレーボールをやってたMMAファイターでしょ? 巌流島ってこういう内幕なんだなあって。
――こんなにバタバタしていたら試合はキャンセルできましたよね?
中村 ミャンマーからわざわざ来ちゃってるから。ボクはやめてもいい腹づもりだったんですけど、ラウェイ側は「やる」と言うので。
――まあ、そうなっちゃいますよねぇ。有明コロシアムが会場でしたけど、お客さんはまったく入ってなかったですね。
中村 見事にガラガラでしたね、見事に。うーん、見事!(笑)。
――「見事!」3連発な客入り(笑)。いままでの巌流島もお客は入ってなかったですけど、谷川さんはよく興行を続けられますよね。
中村 もうね、他人のことだから気にしないですけど、間違いなく4桁の赤字でしょう。
――4桁の赤字!! アマチュアクラスの選手を起用してるのでファイトマネーは絞れそうですけど……。
――宿泊費だ航空代だ会場費だ……って考えたら。
中村 切符が売れなかったら普通はある程度、招待券を撒くんですけど。それでも着券率が異様に悪かったですよね。あの日、ウチは後楽園ホールで火祭り決勝だったんですけど、そっちのほうがお客は入ってたんじゃないかって。
――業界関係者っぽい人がSNSで「巌流島に来ました!」って書き込んでるんですけど、とてもお金を払ってくるような席じゃなかったんですし。あくまで予測ですけど、実券は500枚くらいなんじゃないなあ、と。
中村 それくらいでしょうね。そういう匂いを感じざるをえないです。そこまでしてやり続けるのは、谷川さんの中には「夢をもう一度!」という思いがあるのかなあ。
――興行という魔物に取り憑かれてしまっている。
中村 そうかもしれませんね。
――中村さんもこれだけ長いこと興行をやってると、そういう瞬間を感じたりしないですか?
中村 ボクはね、最近はバカな興行はしてないから。勝ち目のない興行はやってない。
――大振りしないわけですね。確実にミートするという。
中村 そこはわきまえてますよ。できるなら大きくやりたいですけど、いまってお金をかけてもお客さんが入るわけじゃないから。
――中村さんが最後に大振りしたのはいつですか?
中村 ボクがやったわけじゃないんだけど、最後の最後で責任を押さえつけられたプロレス・エキスポかなあ。
――伝説の両国3連戦! ありましたね〜。
中村 金曜日の夜、土曜日の昼夜で3興行やってね。
――ああ、2日で3興行だったんですよね……。大振りすぎる!(笑)。
中村 もうムチャクチャですよね(苦笑)。あれはボクが主催者じゃないんだけど、あたかもボクがやったものとして責任を押し付けられて。
中村 プロレスや格闘技が好きで興行をやってみたいと考えたんでしょう。ウチは主催じゃなくてあくまでお手伝いということで関わったんです。それにウチはその金曜日に後楽園ホールで興行が入ってたんですよ。後楽園を中止する代わりの対価をいただいて。
――後楽園ホールを中止させてまで!
中村 その後楽園をプロレス・エキスポのオープニングセレモニーみたいな前ふりにして、翌日両国1大会でいいんじゃないかって話はしたんです。
――その構成のほうが無難ですね。
中村 ボクと蝶野(正洋)さんで10回は言いましたよ。でも、「2日で3興行やる」と言って聞かない(苦笑)。
――成功する自信があったんですかねぇ。
中村 その実業家の方が言うには「金曜の夜と土曜日の昼はファミリー層が動く」と。スーパーマーケットや大型ショッピングモールにはそういうデータがあるらしいんですよね。
――いや、スーパーマーケットじゃなくてプロレスの興行なんですけど……(笑)。
中村 ボクも蝶野さんも興行に関わって長いから「動かない」と言い続けたんですけど。おまけにマス席も1マスでしか売らない。1マス買うのに最低でも2万円かかるんですよ。
――ひえ〜〜!!(笑)。
中村 そんなに高いマス席、誰も買わないですよ。個別で1枚ずつ買いたい人は「どうぞ2階席のチケットをお買い上げください」と。
――そんなんだから両国史上最低の客入りになったんですね……。
中村 ヤバかったのは土曜の昼かな。土曜の昼からプロレスは見ないですよね、やっぱり。そりゃスーパーマーケットにはお客さんは来ますけど(笑)。プロレスファンは土曜日の昼に興行を見る習慣がない。見に来るのであるならば、土曜の昼に後楽園ホールでたくさん興行があるはずなんですよ。
――ちなみに売れた枚数は……。
中村 何枚売れたのかは定かではない。でも惨劇です。
――プロレス格闘技界ってこういうパターンが多いですよね。出資者がプロデューサーとしても口を出し過ぎてズンドコしていくという。でも、お金を出してくれるから周囲は誰も……。
中村 反対できない(笑)。過去に失敗と言われる興行は意外とこのケースが多いですね。
――周囲も強引には反対しづらいんですよねぇ。
――周りのアドバイスに耳を傾けないんですよね、たいていの人が。
中村 プロレス界に偏見を持ってるじゃないですけど、自分たちのほうがビジネス的に優れている、プロレスは立ち遅れているという見方をしてるんでしょうね。でも、プロレスが立ち遅れてるんじゃなくて、こっちは興行界なんですよ。普通の目線で見たら「何をやってるんだ?」と思われるかもしれないけど、そんなに簡単なもんじゃないんですよね、興行って。
――2日で両国3興行のほうが「何をやってるんだ?」の世界ですけど(笑)。
中村 もうね、一生忘れられないですね(苦笑)。いい選手が出てたんですよ、アメリカから選手も呼んだりして。ドン・フライとかスコット・ノートン、あとダニー・ホッジさんも来日してましたね。選手は与えられた仕事をきちんとやろうという士気は高かった。ドン・フライさんは来日してから帰るまで、ずっと酔っ払ってて手に負えなかったけど(笑)。
――そのあとネパールで「プロレス・エキスポ」名義の興行をやってましたよね?
中村 それは名前を付けただけですね。逆にネパールのほうが客が入ったんです(笑)。
――チケットの前売りは散々だったわけですけど、主催者の方は最後まで成功を信じて疑わなかったんですか?
中村 大会4日前に「中止にしたい」と言ってきた。
――うーん、この!(笑)。
中村 あまりにも切符が売れないから4日前に「中止にしたい」と。中止ならギャラも全額払う必要もないって考えたんでしょう。
――中村さんはなんて言ったんですか?
――ここまで来たら引き返せない。
中村 切符が売れてないから中止というのは日本ではありえない。中止にせざるをえない理由があるならばわかりますよ。たとえば天災とかね。でも、切符が売れてないから中止はダメ。
――主催者は渋々やったんですね……。
中村 渋々やった。だからボクのせいにされてるところがある。でも、そんなことを許したら、変な前例ができちゃうでしょ。切符が売れていなきゃ直前でやめていいんだって。
――けっこうな赤字になったはずですよね。
中村 これはあくまで個人的な読みですけど、あの2日間3興行で赤字6000万以上。
――2日で6000万を溶かした! その方はプロレス興行には二度と……。
中村 やってないですね、心が折れてましたから。プロレスは時々見に行ってますけど。そのお金を有効利用したら、ひとつのプロレス団体ができます。どんなに赤字を出したとしても2年間は持ちますよ。それを2日間で使い果たしたのはもったいないですね。まあ、本業からすれば、かすり傷程度でしょうけど。
――かすり傷程度! 世の中にはお金持ちがいるんですねぇ。
中村 白石(伸生)さんもバッと現れて、バッと消えましたね。白石さんも相当、お金を使ったと思います。
――全日本プロレスの元オーナーでガチンコプロレスの白石さん。
中村 グレート・ニタvs曙さんの電流爆破のとき白石さんに「人間爆弾をやってくれ」ってお願いしたときありましたよ。あのときの電流爆破は再戦で切符が動きそうになくて。そのとき白石さんがネットで炎上していたから「これはおいしい」と思って直接掛け合いに行って(笑)。
――炎上男に燃えてもらおう、と(笑)。
中村 白石さんって派手なファイティングスーツを着て試合をしたことあるじゃないですか。
――ああ、蝶野さんとやりましたねぇ。
中村 白石さんと面談したときにそのスーツを持ってきて、それには大きな爪がついてるんですけど「これで戦ったら死んじゃうよ?」とか真顔で言っていて。「何を言ってるんだろう……!?」と思ったんですけど、人間爆弾をやってもらいたいですから「凄いですね!」って褒めて(笑)。
――大人の受け身を取ったわけですね(笑)。
中村 やっていただけることになったんですけど、試合当日の朝になって「やっぱりやりたくない」と言い出したんです。「ここまで来たんですから!」って説得したら「だったら入場テーマ曲を用意してくれ」って言われて、CHAGEand ASKAの「YAH YAH YAH」をかけさせられて(笑)。
――どこまでが本気なんだかわからない!
中村 笑い話ですよ、ホントに。
――白石さんもお金を出してくれるから、周りも注意できなくて暴走した感じはありますね。
――マット界に参入する方々って、自分もプロレスラーだと勘違いするのか表現したがる人間が多いですよね。
中村 この業界に来ると勘違いをしちゃうんですかね。たとえばウェブニュースなんかで取り上げられると「有名人になった」と錯覚に陥るんですよ。
中村 ビンスになりたいんなら4桁の億を持ってこないと(笑)。
――身体を鍛えて半ケツも出さないと!
中村 ビンスはボデイビルをやって身体を鍛えて、なおかつビジネスセンスにも優れている。プロレスというビジネスで絶対に成功してやるっていう決意が強いからなんでもやったわけじゃないですか。そこはブレないんですよ。
――ただ、フロントの人間が否応なしにスポークスマンとして駆り出されるケースも多いですよね。中村さんも『ハッスル』ではいろんなことをやらされて。
中村 振り返ってみれば、2000年代というのは、フロントの人間が前に出されて、罵り合って、傷つけあい、結果、なんの得にもなってなかったですね(苦笑)。上井(文彦)さん、永島(勝司)さん、亡くなった仲田(龍)さんしかり。前に出て責任を追う立場だった。
――新日本プロレス時代、中村さんの上司だった上井さんは駅長コスプレまでしてましたね。
中村 上井さんがやっていたビッグマウス・ラウドのことはあんまり詳しくないけど。
――あれ、ビッグマウス・ラウドって最終的にゼロワン傘下に入りませんでしたっけ?
中村 傘下になったというか……初めは知らなかったんですが、ビッグマウスという会社とビッグマウス・ラウドという会社が存在していたんです。ラウドは村上(和成)さん、ビッグマウスは上井さんの会社。そこのやりとりはボクたちは知るよしもなかったんだけど。村上さんがやられていたラウドの受難をうまく回避できる方法はないかということで相談に乗ったということですね。
中村 そうそう。
――ビッグマウス時代の上井さんとは接点はなかったんですか?
中村 ビッグマウス・ラウドの興行が始まった頃かな。ある人を通じて食事をさせていただいて。そのときゼロワンはドン底じゃないけど、後楽園で1000人くらいしか入らない時期で。逆にビッグマウス・ラウドは旗揚げや2回目は超満員が続いてたんですよ。
中村 前田(日明)さんもいたしね。上井さんは「もうちょっとしたら助けてやるからな!」と言われて。
――ところが前田さんが離れ、上井さんと村上さんのあいだにトラブルが起きて、ビッグマウス自体が
落ちていってしまって。その時期に上井さんとは会われたんですか?
中村 そのときは消えていた。
――消えていた!
中村 困った村上さんから相談を受けて、初めてビッグマウスとビッグマウス・ラウドが別法人だと知ったんですよ。
――そのあと上井さんは「シュポ〜!」とUWAI STATIONをやりだしましたね。
中村 駅長になりましたね。ドン荒川さんのつながりからプチシルマがスポンサーにつきましたけど、選手が全面に立つわけじゃないし、スポンサーのための興行だからいまになってみるとネタですよね、ネタ。もう一部の人しか知らないでしょう、プチシルマもプロレス・エキスポも(笑)。
――プロレス興行がどうしようもない時期だったというか。
中村 混迷期というか、どんどんとバラバラになっていった時代ですよ。いまは大箱で打つ団体が限られてますし、小さい興行だと報道されてない。報道されないから成功しようが失敗しようがわからない。
――あの時期はUWAI STATIONですら後楽園ホールでやってましたもんね。
中村 あの時代は小箱で後楽園ホールでしたから。
――橋本(真也)さんが野心を抱いて独立した時代と比べると、興行規模も変わってきたということですね。
中村 大きく変わりましたよね。2000年以降も興行師としてやられ続けている人間の中に、大日本プロレスの登坂さん、DDTの高木さんがいますけど。お二人は小さい箱から手がけてきた方々なんですよ。だから、いまの時代のプロレスがどういうものかはわかってる。永島さんや上井さん、ボクたちみたいに新日本という名前があるところから来た人間との差は出てきますよね。
――見てきた風景が違う。