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Dropkick
変貌するWWEを支えるニューリーダー、ステファニー・マクマホン大研究■MMA Unleashed
Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「変貌するWWEを支えるニューリーダー、ステファニー・マクマホン大研究」!
ステファニー・マクマホン(40)。1953年にキャピタル・レスリング・コーポレーションとしてプロレスビジネスを手がけるようになったマクマホン・ファミリーにとって、いまや中心的な存在だ。子どもの頃から会社の現場で育ち、自社のスーパースター、HHHと結婚、現在はWWEのチーフ・ブランディング・オフィサーとしてクリエイティブ部門をリードしている。最近ではプロレスメディアの枠を飛び越えて、ビジネス誌などでも、女性リーダー枠、若手経営者枠で紹介記事が載ることもけして少なくない。今回はそんなステファニーのビジネス誌での発言を取りまとめて紹介してみよう。この人についていけば、WWEはこの先20年は安泰だという気分になるはずだ。
●これまでどのようにしてキャリアを積んできたのか。
最初の仕事は8歳の時で、当社グッズの通販カタログでモデルをやっていました。15歳くらいからは、社内の各部署で見習いのようなことをやりはじめ、電話交換手をしたり、資料を順番に並べてホッチキスで止めたり、会社のニュースレターを配ったりしていました。それからテレビの制作も手伝いました。中継用のコードをかたづけるとか、そういったことです。やがて、ライブイベントのチームやマーケティングのチーム、黎明(れいめい)期のデジタルメディアの手伝いもしました。
大学を卒業した後、私は独自の研修プログラムのようなものを経験しました。まず3か月を、母のオフィスで過ごしました。母は当時当社のCEOでした。私は母の出席する会議には全部出席をして、分からないことがあればメモしておいて、会議の後で母を質問攻めにしました。母はちゃんと時間を取って説明してくれました。次の6か月間は父のオフィスです。父は当社の会長であり、クリエイティブ部門のトップでした。父の教えがあったからこそ、私はクリエイティブがどうやって仕事を進めているのか、実態を知ることができたのです。
その後は営業部門に配属され、同時にテレビに登場してキャラクターを演じるようにもなりました。それが22歳の頃だったと思います。
それから、クリエイティブ・ライティング・チームに行きました。私はこう言われていました。「ステフ、これからはライティングチームで仕事をしてもらう。2、3年で成果を出せたら、昇格させてやる」。そうしたら2週間後にヘッドライターが辞職してしまったので、「おめでとう。厳しい試練にはなるが、キミはこれからライティングチームのトップだ」と言われました。
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