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1997年10月11日に産声を上げたPRIDE――今月で20周年を迎えることを記念して、かつてDropkickメルマガに掲載されたPRIDE関連企画を復刻掲載します。第2弾はレフェリーの塩崎啓二インタビューです(2014年4月収録)。

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プロレスが格闘技へと変換していくダイナミズムに満ち溢れた1990年代を立体的にしていく「総合格闘技が生まれた時代」シリーズ第5弾!! 今回はPRIDEやリングス、あの船木誠勝vsヒクソン・グレイシーを裁いた、金髪がトレードマークの元レフェリー・塩崎啓二氏が登場! 総合格闘技が巨大化していくさまを至近距離から目撃していた貴重な人物である。取材場所は塩崎氏が名古屋で営むラーメン屋(牛骨ラーメン「牛次郎 新瑞橋」)。次から次へと飛び出す知られざるエピソードにお腹いっぱいです!(聞き手/ジャン斉藤)



――『猪木祭り』メインレフェリーだった塩崎さんの話が聞きたくて名古屋まで来ました!

塩崎 それだけのためにわざわざ東京から来たの?

――はい。ズンドコ興行の極み2003年の『猪木祭り』に関わった方に話を聞くのが大好きで!

塩崎 あ~、ボンバイエかあ。……裏側の話は知らないよ!(笑)。

――ハハハハハハ!

塩崎 とりあえずラーメン食べていく?

――せっかくですのでお願いします! ここのお店は長いんですか?

塩崎 1年くらいだね~。さあ、どうぞ。牛骨ラーメン。

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――
では、いただきます!

塩崎 ……どう?

――……あ、牛骨というから濃い味かと思ったらアッサリしてますね。食べやすくて美味しいです!

塩崎 そうなんだよ! アッサリしてるでしょ(笑)。ついでに特製カレーも食べて行きなよ。

――は、はい(笑)。

塩崎 しかし、ボンバイエかあ。当時ね、日本テレビがあの件で格闘技から手を引いちゃったでしょ。やっぱり資金力のことでいったら日テレでやっていてほしかったですよ。そうしたら今頃UFCが天下を獲ることはなかったかもしれない。

――ちなみに塩崎さんは『猪木祭り』のギャラはもらえたんですか?

塩崎 うん。あのときの俺の仲間連中はみんなギャラをもらってますよ。

――あ、未払いは免れたんですか。

塩崎 もともとドクターからジャッジからすべて俺に揃えてほしいという話で。俺の人脈で揃えるのはいいんだけど、未払いはかなわんなと思って。

――というと、最初から金銭関係は怪しかったんですか?

塩崎 Xって知ってる? 

――はい。Xさんが『猪木祭り』の現場責任者だったんですよね。

塩崎 その名前を聞いた時点で取っ払い要求ですよ!(笑)。

――信用できなかった、と。

塩崎 うん。とても信用できないからさ。向こうは「今回は銀行振込で……」ってしつこく言うんだけど「銀行振込は受けつけないです。ボクが選んだメンバーは全員取っ払いでお願いします。じゃなきゃやらないです」と。それで「考えさせてください」って言われた2~3日後にはこっちの要求したとおりになって。

――そうやって被害回避したんですね。

塩崎 あのとき取っ払いじゃない人はみんな未払いだもんね。しっかし、なんで日テレも任せちゃったんだろうね。ハッキリ言って格闘技イベントに関しては素人集団。ボクが神戸に前日入りしたら、関係者がみんなテンパってるから「リング周りの準備を手伝いますか?」って聞いたんだよ。

――相当ドタバタしてたそうですね。試合前日に永田vsヒョードルが決まるくらいでしたから。

塩崎 そうしたら「いや、大丈夫です!」って鼻であしらわれたんだけど、大会当日は大混乱で。関係者が「俺を探してる」と聞いて会ったら半泣きの状態。「すいません……ゴングを忘れちゃいましたぁ!」って試合開始2時間前だよ? もう開場してるんだよ!!

――ハハハハハハハハハ! 出た、有名なゴング忘れた事件!

塩崎 そこでブチギレですよ。 だって「ゴングの代わりに笛を吹こうと思うんですけど……」とか言い出して。テレビ中継があってほかの大晦日イベントはゴングを鳴らしてるのに「ピ~~~! 1ラウンド終了!!」はないだろって(笑)。

――笛だとたまに乾いた音が鳴り響いたりして(笑)。

塩崎 「どうしたらいいですか?」「どこかスポーツショップを当たってこいや!」。そうしたら大晦日だからどこのお店もやってないと。で、そのときジャッジだった淡路島で修斗をやってた須田(匡昇)くんが「塩崎さん、三島(☆ド根性ノ助)くんが観戦に来ますよ」と教えてくれて。

――三島さんは大阪在住でジムをやってますね。

塩崎 すぐ携帯に電話したら三島くんはちょうどジムを出ようとしてたんですよ! それで「三島くん、ゴングを持ってきて!」とお願いして。

――それでゴングを持った三島さんが神戸ウイングスタジアム入りしたとき、日テレ24時間テレビのマラソンゴール並の大歓迎を受けたとか。

塩崎 いやいや、違うんだよ。三島くんがゴングを持って来るから「顔パスで入れるようにしろ!」って伝えたんですけど、1時間くらいしてからかな。ボクの携帯に三島くんから電話があって「警備員に止められて会場に入れません!」と困ってるんだよ。

――せっかくゴングを持ってきてるのに!

塩崎 関係者入り口にダッシュで向かって「おまえら、三島くんとゴングは顔パスだって言っただろ!コノヤロー!!(怒)」って怒鳴りまくってね。

――それでなんとか試合準備が整ったわけですねぇ。

塩崎 いやいや、まだまだ問題があったんですよ! それでゴングを持ってリングサイドに行ったらさ、どこにも見当たらないんだよ。

――えっ、またゴングが行方不明ですか?

塩崎 違う違う。ジャッジの席がリングサイドにないんだよ! 

――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 試合開始直前なのにジャッジ席がない(笑)。

塩崎 ホントなんだよ。ジャッジの机もイスもないだんだよ、どこにも!! 「すぐに用意します!」って大会開始1時間前に「すぐ」も何もねえよって。そして「ジャッジペーパーは?」って聞いたらコピー用紙を持ってきやがって。

――コピー用紙って適当すぎますよ(笑)

塩崎 そこには案の定、対戦カードも何も書いてないんだよ? どうやってジャッジを記入するんだよって話で。「ボールペンは?」「すぐ用意しますっ!!」だし。

――筆記用具くらいジャッジが持ってくるだろ!みたいな(笑)。

塩崎 ストップウォッチもなかったからね。どうやってラウンドを終了させるつもりだったんだよ!(笑)。

――ククククククク。

塩崎 凄く怒りまくったなあ。あのときスタッフは俺のことをメチャクチャ怖い人だと思ってるはずですよ。

――大晦日にずっと激怒してる金髪の人(笑)。『猪木祭り』はカードもなかなか決まりませんでしたよね。

塩崎 マッチメイクのほうはぜんぜん知らない。

――でも、事前にどの試合を裁くか決まってないとやりづらくないですか?

塩崎 ああ、それで急にK-1ルールまで裁かされて。「これ、K-1ルールなんでお願いします」ってそんな話は聞いてなかったんだよ。

――あのときは日テレが大ピンチだったから、同局で番組を持ってるK-1がレイ・セフォーを派遣したんですよね。

塩崎 しかもグローブがワンサイズしかないんですよ。「グローブにクレームが入ってます」と連絡があって慌てて行ってみたら「グローブが入らないです」「ほかのサイズは?」「……これしかないです」と。

――グローブはさすがに「すぐに用意」できないですねぇ。

塩崎 これは裏話ですけど、しょうがないからグローブの中を切って手が入るようにしてその上からテーピングで固めたんですよ。対戦相手も呼んで「こういうふうにするけどオーバーハンドブローは反則を取る」ということで了承してもらってね。選手に申し訳ないなと思いながらギリギリで試合を成立させましたね。

――大会ハイライトだった最後のビンタ乱闘はどうされてたんですか?

塩崎 最後? 試合が終わったら知ったこっちゃないよっ!

――ハハハハハハ!

塩崎 すぐに控室に帰って三宮に焼き肉を食いに行きましたよ!(笑)。

――おそろしいことに日テレ『猪木祭り』って当初は2ヵ月に1回やるという予定だったんですよね。

塩崎 そう、最初の話では年6回興行。でも、アレで終わりましたよね。あんときの番組プロデューサーは地方に飛ばされてるでしょ。

――その方はあの『LEGEND』も担当してたんですよねぇ。

塩崎 選手引き抜いてPRIDEを潰すみたいな話だったけどさ。

――実際に『猪木祭り』とのトラブルが発端でPRIDEは潰れましたけど……。『猪木祭り』ってあまりにもズンドコだから開催中止の話もありましたよね?

塩崎 大会はやるはやるけど、日テレ中継がどうなるかわからなかったんだよ。

――ラーメン特番に差し替えになるなんて噂もあって。

塩崎 ラーメン特番かどうかはわからないですけど、代替番組は用意されてたみたいですよ。永田さんがヒョードル戦を断ったらテレビ中継は中止になったという話ですね。

――そこは永田さんが男を見せたわけですね……。もうひとつの目玉だったミルコvs高山善廣戦も中止になってましたし。

塩崎 それでヒョードルも飛ぶなんてことになれば日テレとしても放映する意味はないし、代わりの番組が用意されてるから。そう言われちゃったら永田さんも準備期間がないのにやるしかなくなったという。

――それで大会前日に決定したわけですねぇ。

塩崎 そこで永田さんが猪木さんの顔を潰せないでしょ。だから永田さんからすれば作戦も何もないですよね。出ることで役目を果たしたわけだから。「あのヒョードルと闘うのに緊張もしなかった」と言ってたし。

――永田さんは「無」の境地だったらしいですよね。それで話はだいぶさかのぼりますけど、そもそも塩崎さんはどうしてレフェリー業をやることになったんですか?

塩崎 愛知で四王塾というジムをやってたんだけど、コンプリートファイティングという大会を開いて。それは1997年かな。当時は東京にしか大会がなくて、ウチの選手は修斗に出てたんだけど。アマチュア選手って普段は仕事をしてるのに、休日の日曜日に試合をするため東京に行って、すぐ帰ってきて翌日からまた仕事でしょ。そんな環境はかわいそうだなと思って「じゃあ俺が愛知でやっちゃうか」って始めたのがコンプリートファイティング。

――どんなルールだったんですか?

塩崎 下のクラスはスーパーセーフと道着を付けて、上のクラスはヘッドギアを付けてどっちもパウンドあり。アマチュアでパウンドありのルールは珍しくて20回以上はやったのかなあ。ボクが言い出しっぺでルールも作ったから必然的にレフェリーもやることになったんですよ。

――そうしてレフェリーをこなしてるちにほかのイベントから声がかかったわけですね。

塩崎 最初は和術慧舟會から声がかかったのかな。『出島バーリトゥード』。長崎でやったやつ。

――ありましたねえ! そんな大会。

塩崎 廣野(剛康)くんとか小路(晃)くんが出てたね。交通費と宿泊費は出るけどノーギャラで。ギャラは出ないけど面白いなと思って。それがプロ興行で初めてのレフェリングですよ。そのあとに大道塾のTHE WARS。

――THE WARS、なつかしいですねぇ。当時はアマチュアだと修斗くらいしかないからコンプリートファイティングは貴重な場だったんですね。

塩崎 修斗はいい顔してなかったですけどね。それで修斗協会に行ってクレームをつけたこともありましたよ。ウチに吉信という選手がいたんだけど、リングスやパンクラスに出る話があったときに「プロシューターがほかの団体に出るとライセンスを剥奪される」という噂が流れてて。それでほかのジムや修斗以外の団体の代表も引き連れて浦田(昇)さんに会いに行ったんですよ。

――噂の真相を確かめるために。

塩崎 それで「じつは選手のあいだでほかのプロモーションに出たらライセンス剥奪という噂が流れてるんですけど、どうなんですか?」「ないと思います」と。

――実際に剥奪されたケースはあったんですか?

塩崎 ないけど、修斗からオファーされなくなるんですよ。それでみんなの前で確認を取ったんですよね。「じゃあウチの吉信がパンクラスに上がりますけど、ライセンスは剥奪しないんですね」と。それで吉信はパンクラスに出ることが決まったんですけど、修斗からオファーが来ました。パンクラスの試合の3日後の大会に。

――うわ~!(笑)。

塩崎 今度リングスに出ます。修斗からオファーが来ました。リングスの1週間前の大会に。そんなの出られるわけねーだろ!って(笑)。

――ハハハハハハ! 

塩崎 それで最終的に「再三オファーしたのですが出られないようなので……」とか言ってきやがって。たしかに剥奪はしてない、オファーもしている(笑)。

――間違ってはないですね(笑)。

塩崎 だからさ、あのとき修斗の関係者に言ったんですよ。「なんでほかのプロモーションに出ちゃダメなの。昔、八百長があった? いま全部ガチをやってるからいいじゃないの!」って。「いま本当に真剣勝負をやってるかどうかはわからない」っていうけど、俺は当時リングスKOKを裁いてるのに。全部ガチだよ。ガチじゃなかったら撤退するよって。

――塩崎さんがリングスでもレフェリングをやるようになったのはKOKルールになってからですか?

塩崎 そうです。ボクがKOKからオファーされたとき修斗関係者からは止められましたよ。「やめなよ。絶対にガチじゃないよ」って。

――そういう認識だったんですね。

塩崎 それでルールミーティングに出席して、前田(日明)さん、和田(良覚)さん、平(直行)さんと話をしたら「レフェリーの皆さんにはインカムとヘッドセットをつけてもらう」ということになって。前田さんが言うには「俺が本部席から試合を止める指示をする場合がある」と。で、俺は言ったんですよ。「それはやめたほうがいいです。前田さんが指示することにイチャモンをつけられかねないですよ」と。

――前田さんはリング下で見てるし、レフェリーの視点とは違うから何か問題が生じても不思議じゃないですね。

塩崎 それにへんな誤解をされる前に排除したほうがいいと思ったんですよ。「やっぱり怪しいぞ!」とか。だから「ボクも平さんもプロのレフェリーとしてリングスに協力するつもりで来てるのでそこは信頼してもらえませんか?」ということで。そうしたら前田さんも了承してもらったんです。だから前田さんはちゃんと話せばわかる人なんですよ。本心ではボクのことをどう思ってるか知らないですけど(苦笑)、みんな前田さんに遠慮して黙っちゃうから。

――まあ、前田さんはおっかないですからねぇ。

塩崎 あと前田さんが凄かったのは、『コロシアム2000』のリングス提供試合はホントはボクと和田さんが裁くはずだったんです。

――田村潔司vsジェレミー・ホーン、金原弘光vsマリオ・スペーヒーですね。

塩崎 その直後にテレビ東京からボクのところに直接電話があって、メインイベントの船木vsヒクソンを始めとする『コロシアム2000』ルールのメインレフェリーをやってほしい、と。で、あるときリングス関係者と会ったら、どうもその話がリングス側には伝わってなかったらしくて。

――それは確実に揉めるパターンですねぇ。

塩崎 そうして前田さんに会ったら「塩崎さん、メインを裁くの?」と聞いてきて、ボクが「リングスルールもやりますよ」と答えたら、しばらく考えて「塩崎さんはリングスルールはいいよ。コロシアムルールとヒクソンvs船木戦に集中してください。リングスルールと違うからそこで混同してビッグカードが台なしになったらイカンから」と。

――大人の対応してくれたんですね。

塩崎 「そんな話は聞いてない。ふざけるな!!」と揉めてもおかしくないじゃないですか。ボクは何回も前田さんとぶつかってますけど、ちゃんと言えばわかる人なんですよね。ただ、まったく聞いてくれないときもありますけど(笑)。たとえば第1回のKOK準決勝のダンヘンvsノゲイラ。これは再延長かなと思っていたら本部席でザワザワし始めて、呼ばれていったら「体重判定でダンの勝ちだ」って。体重判定があるなんてそこで初めて聞いたんですよね。

――事前には決められてなかったんですね。

塩崎 そもそもあのトーナメントは無差別級だし、ルールには再延長の項目も明記されてなかったんです。だったら「公平にもう1ラウンドやったほうがいいんじゃないですか」とか言ってるあいだにリングアナが勝利コールをしちゃって。

――だからあのときへんな間があったわけですね。

塩崎 リング上からノゲイラの視線が突き刺さってね。日本語はわからないけど俺がクレームを入れてることはわかってたんでしょう(笑)。体重判定は選手もセコンドも誰も聞いてないんだけど、前田さんは「ダンは体重が軽いのに頑張ってるじゃない。体重が軽いほうがあんだけやったら勝ち勝ち!」って。

――なんだか前田さんらしいですね(笑)。

塩崎 あとその大会だったと思うんだけど、朝、会場に行ったら「ダウンのルールを変えるから」と。いままではスタンディングでダウンしたらその場で試合終了。グラウンドで顔面パンチがない代わりにワンダウンで終わりだったけど、そのダウンの判定をジャッジ3人に赤旗を持たせて決める、と。

――そういえば、そんなルールがあったような……。

塩崎 たとえば誰かがダウンしたときに3人のうち2人が赤旗をあげたら試合終了。で、第1試合のレフェリーはボクだったんですよ!(笑)。

――ハハハハハハ!

塩崎 レナート・ババルvsイリューヒン・ミーシャの試合だったかな。ミーシャがババルの打撃でダウンしたのでジャッジの赤旗を見ようとしたら……ジャッジが赤いブレザーを着てるんですよ!(笑)。

――ブレザーと旗の色が被ってる(笑)。

塩崎 しかもリングは高くてジャッジは下にいるでしょ。旗を上に挙げてくれればいいけど、チラっと上げるだけだし、そもそも試合中に3人のジャッジの位置を瞬時に確認するのは難しいんですよ。選手の動きに集中しているわけだから。

――それにリングサイドにはカメラマンや関係者もいるわけですからね。

塩崎 だからダウンのたびにへんな間が開いちゃって、その試合が終わったら、すぐリングサイドの前田さんのところに行って「前田さん、無理です。ブレザーが赤だし、よくわからないです!!」「じゃあ、次の試合からなし!」って(笑)。

――ハハハハハハ! しかし、塩崎さんもリングスで重要な役回りをされていたんですね。

塩崎 たとえば田村潔司vsヘンゾ・グレイシーもリングス関係者だと田村選手に肩入れしちゃうじゃないですか。和田さんから「レフェリーは第三者の塩崎さんにお願いします」って言われて。和田さんはリングスJAPANの人間だったから、感情的にレフェリングは難しいと思ったんでしょうね。

――塩崎さん、UWFに思い入れなさそうですしね。

塩崎 ないですよ! まったくなかった!!(笑)。でも、あの田村vsヘンゾの盛り上がりは凄かったですねー。

――UWFのメインテーマが鳴った瞬間の観客のどよめき。

塩崎 凄かったですよ!……あのテーマ曲になんの思い入れもないんだけど(笑)。

――ハハハハハハ!

塩崎 それでも鳥肌が立ちましたよね。日本武道館、凄い盛り上がりだったじゃないですか。なんかね、耳がおかしくなりましたから(笑)。それで田村選手もヘンゾもリングインして古田リングアナがコールするんですけど、あの人も田村に肩入れしちゃって力が入りすぎて声が裏返ってましたからね。それでリング上で笑いそうになっちゃって(笑)。

――そんなリングスでいちばん思い入れのある試合はなんですか?

塩崎 やっぱり田村vsヘンゾですね。UWFにはなんの思い入れもないんですけど、あの試合は印象に残ってます(笑)。

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――塩崎さんがPRIDEに関わるようになったのはいつからですか?

塩崎 PRIDE5からですね。体制がDSEになってから。

――そのときから島田裕二さんがPRIDEのリング周りを仕切ってたんですか?

塩崎 ですね。あの人は八百長でもなんでも平気でやるからPRIDEは使いやすかったんじゃないですか。

――……八百長ですか。

塩崎 ボクはそういうのは絶対に許さないですから。

――でも、塩崎さんは疑惑の試合があるようなイベントには関わらないスタンスではなかったんですか?

塩崎 まあ、あのときは内部から見てやろうという気持ちがありましたよね(苦笑)。

――実態はわからないですけど、PRIDEに途中から関わったフジテレビはスポーツとして疑惑の試合などはないように要請していたそうですね。

塩崎 いや、普通におかしな試合はありましたよ。当時PRIDEのジャッジやレフェリーをやってた人はみんな知ってるんじゃないですか。レフェリーミーティングでみんながいる前で島田がそういうことを指示してますからね。

――指示と言いますと?


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