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この記事は田村潔司の「ボクと真剣勝負してください!」を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)
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・プロレス番記者が見た「北尾光司の真実」■柴田惣一
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事情通Zさんの記事でも扱いましたが、田村潔司選手がNOAHと絡んでまして。詳細は各自チェックしてもらうとして、NOAHの拳王選手が田村選手に「俺と真剣勝負をしてください!」と挑発したんですが、この言葉はUWFインターナショナル時代の田村選手が高田延彦本部長に放った有名なものなんですね。ただもうあれから20年以上経ってますから、拳王選手がオマージュしたことを知らない人も多いようなんです。ちょっと前の31人しか聞いていないDropkickニコ生配信で20代のユーザーの方から「UWFの歴史を解説しください」という書き込みがあったんですけど、それって途方もないじゃないですか(笑)。 でも、こういった名言からプロレス格闘技の歴史を振り返るのも面白そう……ってことで、今回は田村潔司選手の「真剣勝負をしてください!」を解説してみます。
最初に言っておきたいのは、最近はU系のインタビュー本が数多く出版されていますが、いまになって発言がコロコロと変わったり、解釈を変えているかのようなケースが見受けられるんですね。それは選手や関係者が嘘を付いてると言いたいわけじゃなくて、皆さんも20年前のことを思い出して語ってくれとなれば、都合のよい思い出になるじゃないですか(笑)。
あの「真剣勝負」発言はどう意味で言ったのか。当時の田村選手の心理を読み取ることは凄く難しいんですが、どういった状況で飛び出たかといえば、 田村選手が所属していたUインターがいろんな意味で行き詰まっていたときのことなんです。経営も悪化していたし、高田本部長は選挙に落選。新日本プロレスとの対抗戦に踏み出す直前のときなんですね。
その頃の田村選手は、選挙出馬で不在の高田本部長に代わってUインターのメインイベンターを務め、シュートマッチもいくつかやってたんですね。そして95年8月18日、いまはもう取り壊された東京ベイNKホール。メインを勝利で飾った田村選手は、マイクで高田本部長を呼び出します。姿を表した高田本部長にはスポットライトは当てられる。
「ボクは今日、胸を張って高田さんに挑戦お願いします! そして……ボクと真剣勝負してください!! お願いします!!」
田村選手はそう叫んでマイクを無造作にマットに叩きつけました。しかし、高田本部長は無言のままバックステージに踵を返しました。2人の試合は実現することなくUインターは崩壊します。
なぜこのマイクがいまだに語り継がれるのか。たとえば、いまRIZINで「真剣勝負してください!!」というのは単なる対戦要求になりますよね。
90年代当時、U系のリングで「真剣勝負」という言葉はもの凄くデリケートなものだったんです。「挑戦お願いします!」のあとに「真剣勝負」と付け加えることで意図的に発言したようにも見える。
UWFは真剣勝負という装いでしたが実態はプロレスでした。パンクラスやUインター、リングスの中でも真剣勝負の試合が行なわれていたことは事実ですが、だからこそややこしいんですね。「真剣勝負のほうでやってください」と聞こえる。
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歴史の改変は私達ファンもしてしまうものですね。美しい師弟愛で試合が終わったと思い込んでしまいます。忘れ物が小川の事を指してたのももう改変されて忘れてしまってました。
教えてくれ?自分勉強しないと‼