和田京平レフェリーと木原文人リングアナの「語ろう全日本プロレス」第2弾…全日本を知り尽くした男たちのジャイアントな対談をお読みください!
前回はコチラ→和田京平&木原文人の「全日本プロレスを知り尽くした男たち」対談!!
――先日ロード・ウォリアーズのアニマルの訃報が知らされました。今日はそのウォリアーズを含め、全日本プロレスを彩った外国人タッグチームのお話を聞かせてください!
――殺人魚雷コンビ! スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビではないんですね。
京平 まあ、ハンセン&ブロディも強いんだけど、タッグチームとしての連携が見事だったのはゴディとウィリアムスの2人のほうじゃないかな。いまのプロレスって6人タッグだったら、3人がかりで攻撃することがあるじゃないですか。それも反則は5カウント以内は許されるというルールを無視して。
木原 コーナーにいるべきレスラーがリングインするのは、実際には反則の範疇ですからね。
京平 そう、あれはレフェリーの目を盗んで行なうべき攻撃だから。でも、いまのプロレスってレフェリー無視なんだよね。だったらレフェリーなんていらないじゃんって。
――反則攻撃が普通に許されている現状に、ファンの不満も高まってますね。
木原 そこが絶妙なんですよね。
京平 バコンバコンと殴ったら、レフェリーが注意する前にスーっと逃げちゃう。小気味のいいタッグチームだった。ハンセン&ブロディの場合は、ブロディはルールに基づいているけど、ハンセンは無視しているから(苦笑)。まあ、そのへんがまた面白いんだけどね。でも、基本的に昔の全日本に来たタッグチームというのはルールを無視したりしないですよ。
――レフェリーとしても勝手なことはさせない、と。
京平 反則には厳しかった。「ウチは絶対に許さん」ということで控室でもよく注意していたよね。レフェリーが見てないときにやるのがテクニック。いまはレフェリーが見ていないあいだにやるという、その「あ・うん」の呼吸がない。
――そこが肝なんですね! 反則をやるならレフェリーにバレないようにやれと。
京平 昔のタッグって片方が攻撃しているときに、もう片方がレフェリーを引き止めてたんだからね。やり終わったらまた違うほうが出てくるという。そのへんの小気味のよさが見ていて楽しかった。でも、いまはもう堂々と反則をやってるじゃん。たとえばトップロープに上がってブレンバスターやるのに20秒ぐらいかかってるんだよ?
京平 だから、なんつーかな。俺から言わせれば、いま日本のプロレスはやりたい放題で楽しくないよ。木原にもよく言われるもん。「京平さん、あれ反則じゃないんですか?」って。でも「あれを反則にしたら客が怒るだろ?」と。そんな感じですよ。
木原 本当のルールを理解している人が少ないんでしょうね。いまは京平さんがおっしゃるとおりで、トップロープに登ってお客さんを煽って、お客さんの反応を待っていますから。もっと言うと、コーナーにいる選手が自分のチームを応援したりもしないし、「なんとか決めてもらおう」という悲壮感もない。待っているヤツは、ずっと見ているだけですもんね。
――ルールに則ることで試合の緊張感を生み出すというか。反則が許されたり、動きに制限がなければ勝負の意味がないですね。最近は技術に優れた本格的な「タッグ屋」は存在しいないということなんですかね。
京平 うん。超世代とか四天王とかの時代まではちゃんとしてたけど、ここ10年ぐらいルールを守っている人はいないんじゃない? 関本大介&岡林裕二が小気味がいいのは、そういうところなんだろうね。もともと彼らはヘタだったんだよ。でも、俺が注意したんだよね。要するにルールを知らなかった。
木原 おそらく彼らが所属する大日本プロレスさんで、ずっと反則ありでやってきてるから。
――ルールを守るだけじゃなく、ルールを活かすことによって、お客さんがより熱狂できるようになるということですね。
京平 すべてに意味があるの。レスラーたるもの、攻めているんだったら自分のコーナー側で攻めるべきだし。自分が有利なのに敵陣のほうで攻めているのはおかしいでしょ。
木原 たとえばボディスラムでガーンと投げて、タッチした次のヤツもボディスラムを投げて、またタッチしたらまたボディスラムをやる。でも、センスないヤツは、そこでロープに振っちゃうんだよね。
――「そこはボディスラムだろ!」と。
木原 腰を狙うなら徹底的に攻めないと。パートナーが腰を攻めてるのに、アキレス腱固めやヘッドロックをやってると「何を考えているんだ?」と思いますよ。さっきのゴディ&ウィリアムスの話に少し付け加えると、ハンセン&ブロディというのはボクがまだファンの時代に活躍していた選手で、ガキの頃から見ている立場からすると、ハンセン&ブロディは強いけど暴走しがちというか。反則負けがしょっちゅうあったんですよね。
京平 ブロディはジョー樋口さんをよくぶん殴ってたよ(笑)。そうなるとレフェリーは「許さん!」ということで反則。
――そのウィリアムスに目をつけて新日本とトレードした馬場さんも凄いですね。
京平 新日本はウィリアムスを使いきれなかったからねえ。ジュニア系では、やっぱりカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)が面白かったよね。カンナムとマレンコ兄弟が対戦するときは面白かったよ。その中で一番ヘタというか、あんまりプロレスがうまくなかったのがダグ・ファーナス。でもね、これがまた面白かったんだけど、ダグ・ファーナスのしょっぱさと、ダニー・クロファットのうまさがちょうどうまく噛み合ったんだよね。
京平 そう。しかも、クロファットは本当に強くて、馬場さんがPRIDEみたいな大会にも出そうと思ってたぐらい。
――えっ、そうなんですか?
京平 プロレスラーは強えんだ、と。その代表として「じゃあ、クロファットでも出すか」と話してた。
木原 彼はもともとは旧UWFに上がった選手でしたから。
京平 あと渕(正信)も出そうかなあということで。
――渕さんの総合格闘技は見たかったですよ!
京平 渕は強いよ。この2人は馬場さんの中では出してもかまわないぐらいに思ってた人たちですよ。
――意外ですね、馬場さんがそんなこと考えていたなんて。
木原 YouTubeでカール・ゴッチさんの試合映像を見ると、渕さんとそっくりですもんね、体型も身体の動かし方も。ゴッチさんというと藤原(喜明)組長とか木戸(修)さんとかのイメージがありますけど、試合を見ると完全に渕さん。あんなガッチリした複雑な関節技やらないですもん。
――渕さんは某有名柔道家と道場でスパーリングをやって負けなかったという話もありますね。
京平 道場破りは必ず相手をしていたからね。昔は道場破りが本当に来てましたから。リング上で相手をしてやったこともあったみたい。新日本ではそれが藤原喜明さんの役割でしょ? そういうことを教えていたのは新日本はカール・ゴッチさん。全日本はパット・オコナーだったんだよね。三沢(光晴)とかはパット・オコナーが教えてた。
木原 パット・オコナーって全日本道場にいたんですか?
京平 うん。馬場さんがわざわざ日本に呼んでね。試合はやらなくていいけど、合宿所で教えてやってくれって。結局、パット・オコナーって試合に関してはプロレスというものを魅せられないんだよ。そこはカール・ゴッチもそうだけど。グラウンドレスリングみたいなガチガチの試合はパット・オコナーに勝てる人はいないから。
京平 馬場さん自体が強かったからね。
木原 ああ、「馬場さんには敵わない」って言いますよね。あの身体で乗られたら終わりだって。
――クロファットが本当に強かったというのはいい話ですね。
木原 ダグ・ファーナスのほうはパワーリフティングの世界記録を持っていたんですよね。それが日本でたまたま一緒になって、試験的にタッグを組んでいって。カンナムは日本で誕生したタッグチームなんですよ。もともとカンナムとして日本に来たわけじゃなかった。最初はケン・シャムロックとかと一緒に来ていたはずですよ。ボクが全日本に入った頃、シャムロック、ダニー・スパイピー、クロファット、ファーナス、けっこういろいろ馬場さんが外国人レスラーを入れ替えている時期で。マレンコ兄弟も来てましたしね。マレンコもカンナムと同じで、お兄さんがガチガチのシュートスタイルで、弟が万能系というか。
京平 そう。だからカンナムとマレンコ兄弟が戦うと面白かったんだよ。
木原 あと、ジュニア系でもいいタッグがいっぱいいましたよね。ザ・ファンタスティックスとか、ロックンロール・エクスプレスとか……。
京平 ちょっとおちゃらけだけど、俺は覆面コンビのブラックハーツが好きでね。試合中にどっちがどっちからわからなくなるから、これを見極めるのがレフェリーとしてもの凄く楽しみで(笑)。
木原 京平さん、あのブラックハーツのひとりは、あのあとマスクを脱いでWWEに上がって、もの凄い有名になったんですよ。
京平 ああ、だってうまかったもんなあ。
木原 やっぱり90年の初頭が面白かったですよ。まだ超世代軍はなくて、外国人選手がいっぱいいて。その後、2~3年経つと日本人抗争が始まりましたけど。
――あのへんから、外国人レスラーのハードルが高くなっていったんですかね。
京平 というか、もともと全日本はハードルが高かったんだよ。それに、どうしても日本テレビとの契約上、外国人を呼ばないといけなくて。シリーズに7人まで外国人レスラーを呼ばないといけないという契約があったんですよね。ところが、外国人レスラーってめちゃくちゃ高いんです。ギャランティも凄いけど、飛行機代だけで1000万円ぐらいかかるから。
木原 それに安いホテルに泊まってないですからね。
京平 日テレからもらったギャランティなんて、外国人レスラーで全部飛んでったもん。いいレスラーは必ず3人呼んで、あとは安いレスラーでOKと決められていたんです。
木原 いい選手がいっぱいいたから、90年代は1シリーズに10~14人ぐらいいたときもありましたよね。
京平 どんだけ金かかってるんだよって(笑)。馬場さんってレスラーに対して絶対にエコノミーなんて乗せないからね。身体の大きいレスラーがエコノミーなんてもってのほかだと。そこそこのレスラーでもビジネスクラス、NWAチャンピオンや三冠チャンピオンになった選手はファーストクラスでしたね。
――いまはファーストクラスで来る外国人レスラーなんていないですよ(笑)。
京平 みんなファーストクラスに乗りたいから、早く三冠チャンピオンになりたいと言ってね。馬場さんも言ってたもん。「ジョニー・エースがファーストクラスに変えてくれって言ってきた。バカヤロウ、チャンピオンでもねえくせに」ってね。チャンピオンってそのぐらい権威を持っていたんですよ。
木原 ボクは空港まで選手の送り迎えもしていたんで、帰りのチケットなんかは全部持っていたんですけど、ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、ブッチャー、たまに来ていたファンクスはファーストクラスでしたね。たとえばハンセンだったら、ちゃんと襟付きの服にテンガロンハットを被って来てましたし、ブッチャーもスーツを着て降りてくるんですけど、ゴディとウィリアムスはビーサンだったんですよね(苦笑)。
京平 それを見た馬場さんが「あっちゃー」って。「あんな格好でファーストクラスに乗せたくねえなあ」と言ってね。お酒も飲み放題だから当然酔っ払ってるし。
木原 空港についたときにゴディが仮死状態だったことがありましたしね。
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