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DEEP後楽園ホール大会で引退試合を迎える小見川道大インタビュー! 柔道から転向、連敗から始まった格闘家人生を振り返っていただきました!(聞き手/ジャン斉藤)


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小見川選手がDEEPの中村大介戦を引退試合を行うことになりました。

小見川 デビューしたのはPRIDE武士道なんですけど。そのあとDEEPさんに出させていただいて。DEEPさんはホームじゃないですけど。そこからDREAMやUFCに出させていただいてるなって感じです。

――ホームで引退試合という感覚なんですね。引退の決断はどういう理由だったんですか?

小見川 UFCが終わって、日本で試合するようになって。何戦かしてるうちに、だんだんとチャンピオンを狙うぞ、チャンピオンになるぞ!っていう気持ちが以前よりなくなってしまって。そういう気持ちのまま、試合で戦ってる自分にちょっと酔ってるところもあって。そうなると自分で自分の気持ちに疑い始めたというか。やっぱりチャンピオンを目指さないのに、自分がカッコイイとか思っちゃってる時点で……。

――内面に迷いが生じたんですね。

小見川 あと同時並行して自分の柔道場をやってますので、そっちの指導がメインになってきてまして。練習する時間も昔ほどガッツリできないし、それはべつに言い訳になんないんですけど。そういうことが合わさって。

――ここで、ちゃんと踏ん切りをつけようと。

小見川 ここに出たい、あそこに出たいっていう気持ちもとくになくなってしまった。そういう欲がない。並行して、どうしても自分の道場だったり、これからの子供たち育てることをメインにやってこうかなと。

――道場教育に情熱が移ってるってことなんですね。相手の中村大介選手は小見川選手のほうからの指名なんですか?

小見川 そうです。次の試合をラストにしようと思ったときに、誰とやりたいのかなって考えて。やっぱり一番強い選手とやってみたいというところで、いまのDEEPのチャンピオンは牛久選手なんですけど。その牛久選手にKO勝ちしたのが中村選手で。その後のリマッチでも、ボクの中で中村選手が勝ったんじゃないかなっていう印象だったので。中村選手は43歳でしたっけ。ボクと3つしか変わらないんですけど、ずっとDREAMだったりとか、上の舞台でやってきて。40超えて、ここでまた上の選手を食うのは本当に本物だと思っていて。

――同じ40代として思うところがあるんですね。

小見川 ボクと同じ階級の中では、年齢問わず、この人が本物だなっていう。やるんだったら、本物とやりたいですから。

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――柔道vsUWFという構図は先輩である吉田秀彦さんも田村潔司さんと……。

小見川 あー、UWFってよくわかんないですけど。ボクは本当に中村大介って男を本物だと思ってるんで。本物とやりたいんで、最後は。

――引退試合を見守らせていただきます! PRIDEに参戦した吉田道場の柔道転向組では小見川選手が最後の現役というか。

小見川 吉田道場の生き残りでいえば和田(竜光)がいますけどね。

――和田選手はPRIDE消滅後のデビューですよね。小見川選手はデビュー戦は黒星で、2戦目も敗戦。先を危ぶまれたんじゃないですか。

小見川 最初はホントに負け込んでましたから。デビュー戦で負けて1勝4敗とかだったんで。まあ、相手も相手でしたけど。

――デビュー戦がアーロン・ライリーで2戦目がJZカルバンですからね(笑)。そこで聞きたかったのは、MMAに転向するときはどういう認識だったんだろうと。柔道で強ければやっていけると思ってたのかなっていう。

小見川 正直、ボクは柔道で強かったので。オリンピックは行けなかったとしても、武大(国際武道大学)でやっていた柔道は強いし。どこまでこの柔道が異種格闘技戦的なところで強いのかなってちょっと試したかった。それで転向したんですけど、まあ、そんなに甘くはなかったです。

――アーロン・ライリーとはキャリア差があるとは考えなかったですか?

小見川 考えないっていうか、考えますよね(苦笑)。成績を見たら、相手はもう23戦とかしてたんで当時で。

――オファーを断れなかったんですか。

小見川 いや、1回断りました。1回断ったんですけど、吉田(秀彦)さんが「大丈夫だよ」って。「ああ、そういう感じなんだ」と思って「わかりました」と。

――まあ、吉田さんは大丈夫だったから(笑)。

小見川 でも、ボクも大丈夫でした、おかげさまで(笑)。

――いまとなってはですか(笑)。

小見川 第1戦目アーロン・ライリー、第2戦目でJZカルバン。あれで鍛えられたっていうか。どちらかっていうと、ボクはゲームで説明書を読まないタイプなんで。柔道でも感覚的で。説明書を読まないで飛び込んで、そこから成長していくって感じだったので。最初に負けこんだことで「くそったれ!!」って火が付いたいうか。絶対に追い付くんだっていう気持ちになったのかな。

――絶望はしなかったですか。

小見川 しなかったです。さすがに3連敗したら「どうしよう!?」って焦ったけど(笑)、こっから這い上がってやるっていう気持ちでしたね。

――吉田道場の選手たちって最初からプロ契約だったから、戦績が厳しく問われるわけですよね。

小見川 そうです。毎月、給料いただいて。なので、第1戦目も断ることができないんです。給料が発生してて仕事だから。

――ああ、そうなっちゃいますよねぇ。戦績を残せば待遇もよくなるわけですけど、逆に負けがこむと……。

小見川 そこはもう伝わってきますね。口をきいてもらえない。

――なるほど、過酷ですね。

小見川 ホントにそんな感じなんで。言葉では出さないけど「次に負けたらもう終わりだ……」みたいな雰囲気だし。それでまた火が付くんですよ。

――小見川選手と同日のPRIDE武士道でデビューした村田龍一さんも大久保一樹選手に負けて、試合後の控室で相当、絞られたって話が聞きましたけど。

小見川 詳しいっすね(笑)。懐かしいなあ、村田。

――PRIDEに参戦したときって、将来設計はどういうふうに考えてたんですか。

小見川 正直、将来のこと考えてなかったっす。

――いいですね!(笑)。

小見川 ボクはALSOK所属で柔道をやらせてもらってたんですけど。そこでも柔道だけで給料いただいてたんですけど、選手によってランクがあって、オリンピックの可能性がなくなったり、大きな大会で勝てなくなると「もう柔道はそこまでにしろ」みたいな感じになって契約のランクが落ちるんです。そうするとALSOKの仕事しなきゃいけない。

――柔道以外の仕事を。

小見川 まだ試合をやりたいのに。高校の同級生だったマッハ(桜井マッハ速人)もそうだし、吉田さんもそうでしたけど、総合格闘技をやってたんで。ボクもやってみたいなって。将来設計っていうよりも、まだ戦いたい。将来も何もないです(笑)。「どうにかなんだろ!」みたいな感じで、とりあえず、やんなきゃ意味ない。

――無頼の格闘家って感じで最高です! 

小見川 負けから始まったところでDEEPさんにはお世話になって。ようやく勝てるようになりましたね。ボクは徐々にですけど、やりながら勝ち方を覚えてくってタイプで。完全にアジャストしたのは、石渡伸太郎戦。あそこからようやくつかんできたかな。

――引き分けに終わった2009年の修斗の試合ですね。柔道で実績があっても4〜5年かかったと。
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