RIZIN35の引退試合をTKO勝ちで締めくくった「世界のTK」こと高阪剛16000字インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)
──はじめに気になったのは入場曲がストーンローゼスの『ドライヴィング・サウス』ではなかったことなんですが……。
TK ああ、そこから入りますか(笑)。はい、今回はモトリー・クルーでした。
──『ワイルド・サイド』ですよね。
TK じつは『ワイルド・サイド』はリングスのデビュー戦のときに使おうと思っていた曲なんです。
──あっ、そういう曲だったんですね。
TK 使いたかったんですけど、デビュー戦だから早くリングに出ていかなくちゃいけないから。
──ああ、新人の分際では曲に合わせて入場できないってわけですね。「Wild Side!!」のサビを歌うまでにリングインしている可能性がある(笑)。
TK はい。なので、デビュー戦はスティーブ・ヴァイにしたんですけど。
──リングスって選手それぞれにオリジナルテーマ曲が用意されてましたよね?
TK ありましたけど、自分は頑なに使わず……(苦笑)。
──ハハハハハハ! こだわりがあったんですね。
TK 長く使ったのは『ドライヴィング・サウス』ですけど、「オリジナルを作ります」って言われたときに、自分は「たぶん使わないと思いますけど」って言ったら「じゃあ寄せた曲を作るので」と。『ドライヴィング・サウス』に似た曲を作ってもらったんです。
──でも、しっくりいかなかったんですね(笑)。
TK はい。「1回だけ使ってください」って頼まれたから1回くらいは使ったんですけど、本物がいいなぁと。
──ある程度キャリアを積んだら、間をおいて入場できるわけですよね。 『ワイルド・サイド』に変えようとは思わなかったんですか?
TK 『ドライヴィング・サウス』は長く使っていたし、入場曲って勝ったときまたかかるじゃないですか。そのときのいいイメージが 『ドライヴィング・サウス』にはあったんですよ。そういうこともあったりしたんで、ずっと使い続けていたところはあったんですよね。
──めちゃくちゃいい話です! 『ワイルド・サイド』の「Save the blessings for the final ring, amen」という歌詞にかけてるのかなと思っていたり。
TK いや、歌詞のところまで見てなかった(笑)。
──じゃあ深読みしすぎですね(笑)。
TK じつは理由は他のところにありましたね。本当にデビューのときに使いたかったくらいモトリー・クルーが大好きだったし、あの年代のロックが大好きで。そもそもボクがロックに芽生えたのはKISSの『デトロイト・ロック・シティ』。小学校5年くらいで聴いて、そこからなんで。
――ボクはモトリー・クルーは後追い世代なんですけど、モトリーって『ワイルド・サイド』が収録されたアルバム『ガールズガールズガールズ』からスタイルが変わったじゃないですか。
TK そうですよね。『ガールズガールズガールズ』前のモトリーも好きなんですけど、ポップすぎて。モトリーはライブにも行ったんですけど、そのときはヴォーカルのヴィンス・ニールが抜けたあとで、ヴォーカルはジョン・コラビだったんですよ。
TK あれは大学のときですね。でも、トミー・リーのドラムが見られるからいいかと。
TK まぁ使ってないでしょうね。今回の相手の上田(幹雄)くんはMMAデビュー戦ですけど、自分のキャリアをひけらかすような試合をやりたくなくて。自分は毎試合毎試合、全力で試合をしたいという気持ちが強いんですけど、どうしてもやっぱり自分の思いと違う見方が先行することもあったりして。先輩だとか先駆者とかリング上がったらそんなものは関係ないんで。
──その姿勢が入場曲に込められてたんですね。
TK なので、自分なりにパッと思いついたのがあれっていうか。入場はこれでいこう、と。
──「神は細部に宿る」という感じでプロですね。
TK いや、そんなことない、そんなことない(笑)。
──結果は極真世界王者相手に打撃で勝ったわけですけど。試合前からガンガン攻めようと。
TK そこに何年か前にたどり着いたんです。要は相手がどうのこうのじゃなくて自分の戦いをしっかりとやると。
──何年前にたどりついたんですか?
TK 結局ぐるぐる回ってるんですね。「俺ってこうだよね」って自分で自分のことを再認識したっていうのが何年か前。「何年か前」っていうかもうずいぶん昔だけど(笑)。
TK 自分は中学時代に柔道を始めたんですけど、試合で勝っていた時期があったんです。滋賀県で決勝まで行って、全国大会まで行ったり。そのときの柔道は、いわゆるガチャガチャ柔道。要はバカみたいに攻めまくって体力だけで戦ってたんですね。だから体力勝負になって相手のほうに体力があった場合は負けているんですよ。そういう柔道で最初は始まったんですけど、高校や大学でやるようになって、技術が必要なんじゃないの?と。それで技術を学んでいったんですけど、全然成績は上がってないんですよ。それは自分の本質が見えなくなっていたんじゃないかなって。それを総合の中でも気づいて。
──それが数年前。
TK でも、それは何周もしているんですよ。「やっぱり攻撃しなきゃ!」「でも技術も必要だよね」「いやでも結局、俺ってこうじゃん」って自問自答を繰り返しながら、いまに至る。思い返せば、何度も何度も巡って時間が過ぎていったなって。
──今回の引退試合では自分の原点に立ち返ったと。
TK はい、そうですね。「ここだろう」という確信は自分の中にあった。「自分はこうじゃなきゃ何も生まれないよ」って。
──確信はしてるけど、迷ってしまったのはなんなんですか?
TK いや、迷いはまったくないです(笑)。
──でもぐるぐる回っちゃうんですね?
TK そこはもう何周もしてますね。やっぱり自分がいままでやってきたことってトライ・アンド・エラーの繰り返しで。やってダメだった、そのダメからまた何かを見出す。またダメ、また見出す。その繰り返しだったんです。それはいまもそうなんですけど、それはすごく大事だなと思っていて。だからそこはすごく練り込んだ感が自分にはあって。
──同じ場所をぐるぐる回ってるように見えるけど、じつはそうではないということですね。
TK そうです。自分の身体の核となるものが一周回ることでできるんです。一周回るというより、塗り重ねていくイメージですね。それがどんどん分厚くなっていくのが格闘技なのかなって思ったり。
TK それはもう間違いないと思います(笑)。途中でこれはマズイなっていう故障もあったんですけど、なんだかんだで完治したので。
──高阪さんってたまにとんでもない殴り合いをするときがありますけど、いまの話を聞いて納得しました!
TK そういうことだと思います。UFCでいうとバス・ルッテンとの試合なんかは、カウンターのタックルやグラウンドのポジションの使い方とかすごく練習していたんです。
TK あのときはリングス所属のまま、シアトルに移って練習していたんですけど。モーリス・スミスやフランク・シャムロック、ジョシュ・バーネットやジョン・ルイスとか、そういう選手たちと「これからはこういう戦いが必要なんじゃないか」と練っていた時代でもあったんで。
TK そうですか(笑)。あのときは試合のやり方としても「このプランで行こう。それがもし崩れたらこのプランで行こう」と。いまのUFCの選手がやっているプランAからプランCまで用意しておくかたちに近かったのかもしれないです。
──時代の先頭を走っていたわけですね。あの時代のUFCってまだアングラ感が漂ってましたよね。
TK アスレチックな方向に向かおうとしていた時代の過渡期でしたね。ルールも毎大会ごとに変わっていて。ルッテン戦は1R12分で、オーバータイムが3分。その前までは15分1Rだったんです。
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