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プロレスで人生をこじらせた方々に深く語ってもらう「こじらせ」トーク。今回はミュージシャンのファンキー加藤さんが登場! 来春引退する武藤敬司について!(聞き手/ジャン斉藤)


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・前田日明を信じ、前田日明に失望したU世代の愛憎■小説家・樋口毅宏




――
今日はファンキー加藤さんに来春引退する武藤敬司選手を中心にお話をうかがいます!

加藤 よろしくお願いします!

――それにしてもプロレスグッズが充実してますね(笑)。

加藤 ありがとうございます(笑)。音楽である程度、メシが食えるまではずっと貧乏生活だったんで。買いたくても買えないプロレスグッズばかりだったりのが、たがが外れたかのように一気に買いそろえて……。闘道館も毎日メールが届くようにしてて、その日のラインナップが発表されたと同時に全部チェックしてます。

――最高のプロレスファンライフですね(笑)。加藤さんは本アカウントとはべつにプロレス関連アカウントをつくっちゃうくらいですし。

加藤 やっぱりプロレスに興味のないフォロワーもいたので……。

――ファンキー加藤は好きだけど、プロレスネタはちょっとという(笑)。いつぐらいからのプロレスファンなんですか?

加藤 もともと格闘技が好きな家系だったんです。親父やおじいちゃんも、それこそ相撲、柔道、ボクシングが好きだったし、もちろんその中にプロレスがあって。それで小学生のときに町内会の廃品回収のお手伝いをしていたら、『プロレス・スターウォーズ』が全巻捨てられていて。

――みのもけんじ先生の怪作ですね。

加藤 全巻もらったんですけど、『キン肉マン』や『北斗の拳』を楽しむような感覚で読みました。そうしたら漫画の世界だけだったはずなのにテレビでプロレスは実在している。そこで衝撃を食らっちゃいましたねぇ。アンドレ・ザ・ジャイアントのでかさだったり、ロード・ウォリアーズのバイオレンスさは漫画の世界だけじゃないんだと。

――でも、漫画と実際のプロレスってまた違うじゃないですか。

加藤 違うんですけど、小学生目線でいうとそんな大差なかったですね。そこまで脚色されてるような感じもなかったし……。

――そこまで深くは考えずに楽しめたというか。漫画は面白いし、プロレスも面白いから、そこの整合性は関係ない。

加藤 そうですね。ボクには1個上に兄貴がいて、1個下に弟がいて、3人兄弟の真ん中なんですけど。兄貴も弟もプロレス好きになって。兄貴は全日派なんです。自分は新日派で、弟はUWFが好き。

――見事に割れてますね。

加藤 だから兄弟間でのイデオロギー闘争も激しくて。あたりまえのようにプロレスごっこするんですけど、まったくかみ合わず。団体のカラーが違うだけで、こんなにもプロレスごっこがうまくいかない。「これはいったいなんなんだ……」と考え込んじゃうくらいプロレスと触れ合うような環境にはありましたね。

――加藤さんが新日好きになったのは何がきっかけなんですか?

加藤 ボクは闘魂三銃士世代なので、武藤さんが凱旋帰国したNKホールが……。

――伝説のIWGPタッグ選手権(1990年4月27日/橋本真也&マサ斉藤vs武藤敬司&蝶野正洋)。

加藤 あの試合あたりから本格的にプロレスにのめり込みましたね。蝶野さん、橋本さんも好きだったんですけど、子供の自分には武藤さんが断トツでカッコよくて。

――あの凱旋試合は衝撃でしたねぇ。その前はそこまで熱中してなかったんですか?

加藤 いや、熱中はしていたんすけど。ぶっちゃけ猪木さん、馬場さん、長州さん、鶴田さん、藤波さん、天龍さん……たちは、子供心におじさんに見えていたんですよね。

――ああ、わかります。洗練されたプロレスではなかったですね。

加藤 自分とはちょっと遠いところにあった。だけど武藤さんの凱旋試合はそれまでのいわゆる昭和のプロレスとは違ってスタイリッシュでカッコよく見えたんです。

―― たとえば猪木さんとマサさんの巌流島や8・8猪木vs藤波のすごさはいまになればわかるんですけど、当時のボクにもひじょうに食べづらさがあって。

加藤 たしかに小学生の自分にはわからない世界だったところはありますね。そこで武藤敬司というカッコいいお兄さんたちが織りなすプロレスにハマっていった。ひよこが初めて見たものを親と思うみたいな感覚で、ボクにとってのプロレスは世代的に闘魂三銃士と四天王、なかでもとくに武藤さんの存在は大きいってことですね。

――スター性では武藤さんがぶっちぎりしたけど、ストロングスタイルを受け継いでいるのは橋本真也という位置づけでしたよね。

加藤 三銃士の中では強さは橋本さんが頭ひとつ抜けてたかなという感じでしたね。

――闘魂三銃士がブレイクした91年の第1回G1クライマックス。そこで優勝した蝶野さんが2人に追いついて。あのとき会場には行かれました?

加藤 会場はまだ行けてなかったです。ボクは当時『週刊ゴング』を愛読していて。『週プロ』にはSWSが載ってなかったからという理由なんですけど。

――『週プロ』はSWSに取材拒否されてましたね。

加藤 2冊も買えるほどお小遣いもなかったんで。あの頃はどんな試合もテレビで放送するのはだいぶあとでしたし、いまみたいに配信なんかもなかったですから『週刊ゴング』のレポートで結果を知って。あと『週プロ』編集部の電話サービスですね。

――なつかしい(笑)。

加藤 「何分何秒、どっちの勝ち」とテープに録音された声を聞いて。「えっ、蝶野が優勝したの?」みたいな。

――決勝の組み合わせって事前に知ってました? 

加藤 それも知らなかった。

――ですよね。決勝当日に橋本さんと蝶野さんが決勝進出決定戦をやって、武藤さんが決勝で待っていた。事前に知っていれば「どう考えたってハンディのない武藤が勝つだろう」って思っていたところに……。

加藤 それは俺も思いました。あの第1回G1のインパクトは、よりプロレスにのめりこませる、きっかけをつくってくれたというか。あとから映像で見ると、最後はちょっとかたちの崩れたパワーボムで、蝶野さんが3カウントを取っちゃうところにもすごいリアリティーを感じましたし。

――第1回G1って大半の試合はテレビスルーだったから、より伝説の度合いが増したところもありますよね。武藤さんがベイダーを倒した試合もすごかったし、あのG1から座布団投げが禁止になるくらいの盛り上がりで。

加藤 ホントに面白かったのでボクは中学校1年生ぐらいのときから、プロレスラーを目指したんですよ。ボクは好きになるとすぐ見る側からやる側に立ちたくなって。小学校のときは漫画家になるってことで、ジャポニカの自由帳にずっと漫画を描いてたんですけど。中学校のときからボクはプロレスラーになると。見よう見まねのいわゆるライオン式のプッシュアップを毎日続けて、中2ぐらいのとき100回できるようになったんですよね。中学校は野球部だったんですけど、野球はそこまでのめり込まず。野球の練習を抜け出して、陸上の幅跳びの砂場でプロレスごっこだったり、ローリング・ソバットやドロップキックの練習をしてました。プロレスラーになりたかった人生なんですよ。ボクは中学校のとき音楽も好きだったんで、プロレスラーかミュージシャンかの2択でした。

――プロレスラーを目指したらどうなってたのかと思いを馳せるわけですね。

加藤 自分がレスラーだったらどういうふうになっていたか。新日の野毛道場で入門して、暗黒時代に大量離脱して、もしかしたらドラディションに移籍していたかもな、と(笑)。

――そこまで想像しちゃうわけですね(笑)。あの当時はUWFや四天王プロレスも元気だったから、プロレスというジャンルの入り口がたくさんあって。

加藤 いまほど団体数は多くないけど、ルチャから格闘系プロレス、デスマッチまでありましたもんね。ボクはみちのくプロレスも身近に感じましたね。170センチ代のレスラーが多かったんで、「新日、全日ちょっと無理だけど、俺、みちのくプロレスかな」みたいに考えたりもしてましたもん。

――武藤さんはグレート・ムタというもうひとつの顔を見せていきますよね。

加藤 グレート・ムタはまたすっごい衝撃で。とくに馳さんとの試合。

――伝説の広島サンプラザ(1990年9月14日)。WCWのグレート・ムタって武藤敬司そのもので違いがなかったんですけど、初めて凶暴ヒールとしてのムタが確立された試合ですね。

加藤 当時『ワールドプロレスリング』は夕方4時から放送してましたけど、あの試合、ビデオに録ってクラスメート全員に見せましたね(笑)。

――よくわかります! あの試合は誰かに見せたくなりますよね(笑)。

加藤 俺の好きな女の子にも見せたんですよ。その子、X JAPAN好きなんですけど、YOSHIKIとグレート・ムタ、同じくらい好きっていうぐらいハマって(笑)。

――メイクという共通点しかないですけど(笑)。

加藤 あの試合はまた一個一個の動きがすごくて。担架に乗せてのムーンサルトとか。もちろん馳さんの試合巧者なところを含めて相当のインパクトがありましたね。

――その直後のリッキー・スティムボート戦は超凡戦に終わったから、横浜アリーナの天井からムタが降りてくる入場が最大の盛り上がりで。

加藤 あれ、まったく自分のライブで同じことをやったんですよ! 2016年の横アリで天井から……「これがムタが見た景色か!」って(笑)。ミュージシャンになって一番いいのが、ライブで武道館や東京ドーム、横アリでやるときに「ここであの試合が……」って感慨にふけることですね。

――すばらしい特権ですね(笑)。当時ってけっこうU系の勢いも強かったじゃないですか。

加藤 弟はUWFのファンでしたね。

――ボクなんかは武藤さんのプロレスを見たことでプロレスの面白さを再認識したというか、「UWFって試合自体は微妙だな」って思ったんですよ。

加藤 中学生のときUはつまらなかったっすねぇ。やっぱり子供だったので、よくわからなかったです。

――ボクは地方在住だったのでUWFは会場観戦したことはなかったんです。「UWFがすごい」という評判だけは耳にしていたので、レンタルビデオ屋で借りて見たら……最後まで見られなかったんですよね。

加藤 そこはしょうがないですよね、これは本当に素直な子供の頃の感想なので。当時はわからなかったです、UWFは。でも、弟は最初からなぜかUが大好きで。プロレスごっこをやると、すっごい腹立つんですよ!

――あ、たしかにUは厄介そうですね(笑)。

加藤 長州さんみたいに「Uを消したい」と思っちゃうくらいですよ(笑)。

――ハハハハハハ! 基本的に受けないスタイルですから、かみ合わないですよね。

加藤 そうなんですよ、面白くないんですよ。技を受けないし、ロープも飛んでくれないし。関節技、本当に痛く極めてくるから「ちょっと待て。俺がやりたいプロレスごっこはこうではない!」って(笑)。

――ハハハハハハハハ!

加藤 兄貴は全日好きなんで、垂直落下式で落としてくるから「タイガードライバー91は禁止だ」という話し合いをしたんですけど(笑)。まだ兄貴とはまだ楽しくできる。でも、弟とのプロレスごっこはつまんなかったですね。弟はその後、修斗を始めました。アマチュア修斗で2回ぐらい試合したのかな。

――UWFから修斗でやる側になる流れはありますよね。

加藤 いまでもUFCを見てます。いわゆるUから始まって行きついた場所がそこだったっていう。

――プロレスファンとしてはUには恐怖を感じていたというか。要するにプロレスの強さの部分を先鋭化したスタイルでしたし。プレステのプロレスゲーム『ファイヤープロレスリング』はやられました?

加藤 もうずっとやってましたよ。

――前田日明をモチーフにした冴刃明の大車輪キック。ゲームの中で最強の技だったじゃないですか。

加藤 すぐ流血しますしね、あれを食らうと(笑)。

――当時の前田さんはそこまで大車輪キックをやらないから、ボクは『ファイヤープロレスリング』でU幻想が高まっていったんですよね。

加藤 たしかにそうかもしんないですね。UWFは当時の自分が理解できない。でも明らかに強い。強さを前面に出して試合していたので、ずっと不気味で嫌な予感だけはひたすらしていた。プロレスごっこの印象もそうですし(笑)。

――武藤さんの試合を見て喜びながらも、心のどこかで……ってことですよね。

加藤 心の片隅ではUにヒヤヒヤしてましたね。とくにプロレスごっこを弟とやってると、同じ腕ひしぎ逆十字でも新日や全日の試合では極まらないけど、Uのほうでは極まる。「これはいったいなんだろうな」ってクエスチョンマークはあったはあったんですよね。そのときはターザン山本さんじゃないですけど、自分の言葉で武装していく。

――プロレスファンは理論武装が大得意ですよね(笑)。

加藤 必死に理論武装していたんですけど、どこか自分の中で割り切れない部分もあった。でも、それ以上に楽しかったですね。武藤さんのムーンサルトプレス一発で、すべて覆ってしまう。

――言葉はいらないっていうか。

加藤 そうですね。そんな野暮なこと言うなよ!みたいな。

――あとになって武藤敬司というプロレスラーもストロングスタイルを兼ね備えたことがあきらかになるんですが……。

加藤 そうなんですよね。もう当時はわからなかった。いわゆる身体能力とか美しさにプロレスのすごさはそこにあるというか。

――ヘビー級の武藤さんがあんなに躍動しているわけですからね。

加藤 当時の新日本もすごかったですよね。ヘビー級の外国人がたくさんいて。スコット・ノートン、ベイダー、ビガロ、トニー・ホーム。ジュラシック・パワーズ(スコットノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス)もすごかったです。

――三銃士以外にハセケン(馳浩&佐々木健介)もいて、ジュニアも充実してて。

加藤 まだ藤波さんや長州さんも現役バリバリで。そう考えると90年代の新日、すごいっすね。

――90年代・新日本はドーム興行の定期開催もあって相当盛り上がってたんですが、新日本からストロングスタイルが失われた……という批判がありましたよね。

加藤 ボクは地元が八王子なんですけど。新日の興行がたまにあって見に行ってたんです。当時は選手入場のときに群がれる時期だったので、間近で見たときの橋本さんや武藤さんのでかさ。「こんなにでかいんだ!」って。それであんなに動ける人たちが弱いはずがないって。

――武藤さんもいまだと大きい部類ですよね。年々巨大化して(笑)。

加藤 本人も言ってましたもん、「いつのまにか俺がノアで一番でかくなってた」って(笑)。上半身が尋常じゃないですからね。

――批判が絶えなかった平成・新日本プロレスに、UWFインターとの対抗戦が訪れるじゃないですか。

加藤 来ました。いよいよ来ましたね!

――Uを恐れていた加藤さんからすると、武藤さんと高田さんが大将戦でやるって聞いたときどう思われました?

加藤 いやもう……イヤな予感しかしなかったです。当時の高田さんの最強幻想はすごかったので「高田を迎え撃つのは橋本しかいないでしょう!」って思ってたんですよ。当時、兄貴はプロレスファンはほとんど卒業してたんですけど、弟はバリバリのUインター信者で。ドーム決戦が決まったあたりからほとんど会話しなくなった、本当に。家庭内に不協和音が響き渡っていまして(笑)。

――家庭内イデオロギー闘争(笑)。

加藤 弟は「Uインターが負けるはずがない!」っていうスタンスで。ボクも新日や武藤さんが好きとはいえ、全部の団体をくまなくチェックしていたんで。高田さんが北尾さんをKOしたり、バービックをリングから敵前逃亡させたり……本当に強いなと思ってたんで。「これ、新日の分が悪いぞ……」と思いながら、とりあえずチケットを取ったんですよ。

――おお、あのプレミアチケットが取れたんですね。

加藤 高校のプロレス仲間が4人いたのかな。チケット販売開始時刻に各自の家から一斉に電話して、なんとか押さえて。弟も同じような感じでUインター仲間とチケットを取れたけど、八王子からドームまで完全に別々。

――敵とは一緒に行けないと(笑)。

加藤 あの日の東京ドームは、ボクがいままで見てきたあらゆるエンターテインメント……音楽や演劇、格闘技もろもろ含めた中で、断トツで会場内の熱気、熱狂がありましたね。異常でした!<15000字の武藤敬司トークはまだまだ続く……>
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