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さいたまスーパーアリーナ担当者に聞く「格闘技の聖地」になった理由
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さいたまスーパーアリーナ担当者に聞く「格闘技の聖地」になった理由

2023-08-26 16:26
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“格闘技の聖地”さいたまスーパーアリーナの関係者に話を聞きました!(聞き手/松下ミワ 
さいたまスーパーアリーナウェブサイトより


【1記事から購入できるバックナンバー】

辻結花、星野育蒔…みんながスマックガールに夢見た時代■篠泰樹☓松澤チョロ





――
今日は“格闘技の聖地”さいたまスーパーアリーナについて、ご担当のおふたりにインタビューさせていただきます!

大立目川畑 よろしくお願いします。

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向かって左が大立目 司さん、右が川畑尚也さん


――
おふたりは、いつ頃からさいたまスーパーアリーナのお仕事に携わっているんですか?

大立目
 まず、ボクは格闘技の大会が初めて行なわれたPRIDE.12の頃はすでにここで働いていて、むしろこの会場ができるということで「オープニングから関わりたい」と思って転職してきた感じですね。

――
最初から携わっている歴史の生き証人ですね。

大立目
 前職はオーディオメーカーにいたんですけど、ずっと音楽が好きで、オープニングから関わりたかったのも、音楽でも使える会場ができるという話があったので。で、じつは実家がここから200メートルぐらいの場所にあるんですよね。さいたま新都心の駅がなかった頃から住んでましたから(笑)。

――
めっちゃ近い(笑)。川畑さんはいかがですか?

川畑 
ボクは2008年11月に入社したので、それこそPRIDEのときはただの視聴者でした。ボクが入った頃はDREAMの時代ですね。あとは戦極もやってたので、当時は「格闘技イベントっていろいろあるんだなあ」みたいな感じで。ボクも転職組で、その前はカリブ海専門の旅行会社で働いていたんですよ。

――
それもまた特殊ですね(笑)。

川畑 ジャマイカ、キューバ、プエルトリコ、カリブ海だけを扱っている会社だったんですけど、当時はちょうど燃料サーチャージが異常に高騰していた時期で。遠方まで旅行に行く人が全然いなくなっちゃって、老舗の会社だったんですけど倒産しちゃったんです。そこで、転職活動していたときに、転職エージェントの方からいまの会社を紹介していただいて。当時は「スーパーアリーナって、名前は知ってるけど一度も訪れたことはないんだよなあ」と思いながらダメ元で入社試験を受けました。イベント業界についても未経験でしたが、縁があって入社することができて、いまはRIZINも担当をさせてもらってます。

――じゃあ、初めてのライブ格闘技は2008年末のDynamite!!だったんですかね?

川畑 そうです。もう「なんじゃこりゃ!」という感じでした。運営チームの人の多さと、12月31日なのに、あのみんなの汗かき具合(笑)。

――
ハハハハハ! でも、先ほどの話だと、会場ができたときはまだ、さいたま新都心駅はなかったんですね。

大立目
 いや、会場は2000年9月にオープンしたんですけど、駅は4ヵ月前の2000年5月にできてます。で、当時はオープニング前からイベンターさんやレコード会社さんに「会場ができますので」と営業したんですけど、最初はパンフレットすらもらってくれなかったんですよ。それこそ駅もまだ完成していないから「場所どこですか?」みたいな。

――いまの人気ぶりからは考えられないです!

大立目
 9月にグランドオープンということで『SUPER DREAM GAMES』というバスケットボールの大会で幕を開けたんですけど。音楽ではV6がこけら落としですね。あと蜷川幸雄さんの『火の鳥』というミュージカルもやったんですよ。当時も『火の鳥』はお客さんがいっぱいでしたけど、いまやっても満員になるんじゃないかなあ。だから「スポーツ」「音楽」「文化」の三本柱のイベントをやっていきましょうと。で、そのときの「スポーツ」というのはバスケットボールのことだったんですけど、ここってプロレスのメッカと言われた大宮スケートセンターが近いということで、音楽系とは違ってプロレス・格闘技の団体さんからはわりと注目は高かったんです。

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さいたまスーパーアリーナのパンフレットより

――大宮スケートセンターは、それこそ第一次UWFの旗揚げ会場だったり。

大立目 とはいえ、ウチの会場使用料はけっこうお値段もしますので(笑)。簡単に使える感じでもなかったんですけど、当時PRIDEを主宰するドリーム・ステージ・エンターテインメント(以下、DSE)さんのプロデューサー加藤(浩之)さんですね。加藤さんから連絡があって「我々こういうイベントをやっているんですが、さいたまスーパーアリーナと一緒にここを本拠地にしてやっていきたい!」という熱いメッセージをいただきまして。

――その熱さが目に浮かびます(笑)。

大立目 音楽系のほうはこちらからお願いしないと来てくれなかった当時、DSEさんが熱烈なオファーをくれたので、そこに賭けてみようかなと思ったのがはじまりですね。最初の大会はクリスマス時期だったかなあ。

――PRIDE.12は12月23日が開催日ですね。

大立目
 その前の大会のPRIDE.11を大阪城ホールまで観にいったんですよ。PRIDEはテレビでは観たことありましたけど、ライブで観たことはなかったので。あの大会って、たしかサザンオールスターズの桑田佳祐さんが歌ったイベントでしたよね?

――
小川直也vs佐竹雅昭の応援歌を歌うということで、桑田さんがギターを持ってリングに登場したんですよね。

大立目
 そういう演出を観て「面白いなあ」と。だから12月も盛り上がるなという予感がありました。で、その大阪城ホールでの大会が10月末だったんですけど、やっぱり初めての会場だったから大阪大会が終わってからほぼ毎日、会場までスタッフさんが下見に来てましたね。

――初めての会場だとそんなに準備に時間がかかるんですか。

大立目
 やっぱりこれだけ大きな会場だと、どこがどうなってるのかを把握するために隅々まで確認する必要があるんですよね。楽屋をチェックしながら「桜庭さんはここの楽屋だな」「VIPはこの場所を使ってもらおう」とか。舞台チームは舞台チームで「こういう演出ができるな」とか。で、火薬だったり特殊効果だったり……まあ、当時はボクらもまだ確約できるようなルールがなかったので、一緒につくっていった感じだったんです。ちなみに、ここって消防でいうと当時は旧与野市の管轄だったんですけど、管轄内で初めての大型施設ですから、当時は大きなイベント開催を想定した細かな基準やルールがなかったんですよ。

――
へえ~、面白いですね!

大立目
 PRIDEってけっこう演出が派手じゃないですか。だから特効などの演出方法については消防さんと「こういうのをやりたいんですけど」という話をしながらコンサートの特効の基準も決まっていった感じですね。

――となると、じつはPRIDEの演出が特効の判断基準になってるという。

大立目
 そうですね(笑)。PRIDE.12は初めての会場だということで、お客さんの期待感も凄かったんですよ。クリスマスが近いからということで、リングの上の空間にLEDモニターをクリスマスツリーの形につくったんですけど、それがすんごい時間がかかって(苦笑)。それをセンターに吊るんですけど、全然具合が悪くて。ちょっと仕込みすぎちゃったなと思いましたね。

川畑 いまでも仕込むボリュームとか熱量は相当ありますよね。

大立目
 音楽コンサートだと全国ツアーとかで各地決まった演出をすることが多いけど、格闘技は何が起こるかわからないじゃないですか。1ラウンドで終わるかもしれないし、試合が膠着するかもしれない。そうなったら熱を持続させるために「ここであの発表をしちゃいましょう」とプランが変更されたり。

川畑 すべてが「生」なんですよね。

大立目
 だから打ち合わせが一番多いんじゃない? 「箱打ち」と言って、会場で最終の打ち合わせをするんですけど、スタッフさんは300人ぐらい集まるから、大きな控室を2部屋ぶち抜いて使ってますから。

――
300人!!

川畑 いまじゃ考えられないですけど、当時はまだタバコとかもみんな吸っていて。300人ぐらいの人が一斉に吸ってましたから、部屋の中が煙モクモクで真っ白になっていましたよね(苦笑)。

――
“昭和”ですねえ。

川畑 その頃ぼくは新人だったので、打合せ後に灰皿を回収するんですが、一斗缶がすぐに満タンになっちゃうんですよ。もうそれぐらいみんな吸ってました(苦笑)。

大立目 打合せが煮詰まるとみんなタバコに火をつけてたよね。最初は全体の運営をやるんですけど、そのあと演出会議に入ったら「うーん……」と停滞して。「ちょっと大立目さん、川畑さん、こういう演出をやりたいんですけど」って、こっちが戸惑う提案があって(苦笑)。

――
無理難題を言われるわけですね。

大立目
 「うーん、じゃあ現地で一回確認しましょう」と。たとえば壁に360度LEDをつけて光らせるとかね。いまだったらCGでできることも多いんでしょうけど、当時は豆球で対応した演出とかもあったりして。

川畑 あと、PRIDEの頃は空撮とかもやってましたよね? 高田(延彦)さんが会場の屋根に登って。

大立目
 ああ~、空撮は寒かったですねえ(しみじみと)。

――
2003年PRIDE男祭りオープニングで、高田さんが屋上から開会宣言しましたね。大晦日はとくに演
出プランが派手でした。

大立目
 そう、高田さんのふんどし太鼓だったり、タップダンスだったり。

――
それでいうと、超RIZIN2のフライングケージもよく成功したなって。

川畑 あの日も遅くまで何度もテストをやってました。時間を計りながら。

――
まさか、あの照明の中をケージが通過できるとは思いませんでした。

川畑 そうですよね。お客さんの反応も凄くよかったですし。

大立目
 でも、そういうのを演出にしちゃうところが凄いですよね。「リングとケージの入れ替えの時間どうするのかなあ」って思っていたんですけど、さすがに間を埋めてくるなあみたいな。

――
ちなみに、PRIDE.12で初めて格闘技会場として使われて、当時はフジテレビでの地上波放送もあったと思いますが、それがPRになって利用者が増えたというのはありました?

大立目
 ありましたね。PRIDEがこのさいたまスーパーアリーナを全国区にしてくれたので、そういう意味では我々としては思いは強いですよ。たぶん社員もそれがわかっているので、わりとPRIDEからの流れで「年末はやっぱり格闘技でいこうよ」と。年末ってやっぱり音楽系も含めて凄くニーズがあるんですよ。だから、PRIDEやDREAMもちょっと沈没しかけるときもありながら、スーパーアリーナと歩んできた歴史が格闘技にはあるので「なんとか頑張りましょう!」と。

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今までありそうでなかった、とてもいいインタビューだ!

No.1 8ヶ月前

今日入会し記事を読みました。格闘技を別の視点から知る事が出来てとても面白かったです!

No.2 8ヶ月前

裏方の方々のお話も面白いなぁ

No.3 8ヶ月前

そうきたか!という素晴らしいインタビューでした。
たまアリの方々に感謝です。

No.4 8ヶ月前

たまアリの皆さんありがとうございます!!!!!

No.5 7ヶ月前
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