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松澤チョロの脱線プロレスシリーズ第7弾。今回はスマックガール創設者の
篠泰樹さんをお迎えして女子格闘技を語ります! 左から松澤チョロさん、篠泰樹さん。女子格闘技黎明期をよく知る2人の2万字対談!(聞き手/ジャン斉藤)




――
ボクが篠さんと会うのは2度目なんですが、一度目は松澤さんを交えてこの3人で会ってるんですよね。

 そう言われると会ったような気がします(笑)。

――
当時カミプロの編集部員だったボクが、篠さんが2003年大晦日『猪木祭り』の現場を仕切っていたのでインタビューしたんですよね。

松澤
 それって週刊現代がPRIDEについていろいろと報道する前のことでしょ?

――
たしか2005年の11月頃ですね。大晦日特集で過去を振り返る企画で。最近の読者は知らないと思いますが、ボクはズンドコ興行の担当だったじゃないですか。

松澤
 壊れた興行やイベントを追っかけるという特殊な担当ね(笑)。

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カミプロでボツになった篠さんインタビューを振り返るジャン斉藤と松澤チョロ。
その原稿はカミプロ休刊のどさくさでどこかに消えてしまいました。


――
なので暴動をはじめとするエピソードを篠さんに聞きまくったんですが、原稿完成後に当時カミプロ編集長だった山口日昇からストップが入ってボツに。そのときはよく知らなかったけど、いま2003年『猪木祭り』を振り返るのはいろんな意味で危ない……ということで、数ヵ月後にいろいろと把握するわけなんですが。

 オレ、変なことしゃべってないですよ(笑)。

――
どうなんでしょうか(笑)。

 わりとそのへんは常識人だと思いますよ(笑)。まぁ、『猪木祭り』に関わったのは女子格闘技絡みが一つのきっかけなんですけどね。

――
今日の対談のテーマですね。篠さんと松澤さんはいつぶりくらいの再会なんですか?

松澤
 一番最近会ったのは女子格闘技の運営に関わっていた長尾メモ8さんが2019年に癌になって、女子格闘技の選手や関係者がメモ8さんを応援しようということで集まったときですよね(長尾メモ8さんは2022年9月23日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします)。

 2~3年前かな。ライターの高崎(計三)さんが主催してくれたんです。メモ8さんはスマックガールを筆頭に女子格闘技を裏側から支えていた歴史の教科書に出てくる人なんですよね。自分はスマックガールをやめてから、ケジメとして格闘技業界に接点をもたないようにしつつ、日本を出て海外に住んでましたからね。

松澤
 あのときで10年ぶりくらいに会いましたね。

――
篠さんは運営側、松澤さんはマスコミとして黎明期の女子格闘技に携わってきたわけですよね。そしてスマックガールは定期開催された世界初の女子MMAイベントで。

松澤 篠さんはあんまり評価されてないけど……。

 あっ、されてないんだ(笑)。

松澤
 いやいや、もっと評価されて然るべきって話です!(笑)。やっぱり世界初の女子格闘技団体を立ち上げたわけですから。

 もともとはネオレディースという女子プロレス団体の設立に関わってました。

松澤
 井上京子さんがエースの団体。猪木さん好きの篠さんらしく、正式な社名は株式会社新日本女子プロレス(笑)。

 名付けたのは別な人なんですよ。そもそも、仕事として最初に関わったのはW★INGです。

松澤
 話がどんどん複雑になりますね(笑)。W★INGからネオ・レディースってどういう流れなんですか?

 子供の頃からプロレスラーになりたかったけど、身長が足りないから諦めつつ、80年代に社会人プロレスのイベントを手掛けて、全日本女子プロレスからリングを借りて興行していたんですよ。

松澤
 全女からリングを借りるって本格的ですね(笑)。

 まぁ、チケットは売っていたけど、アマチュア・プロレスです。

松澤
 社会人プロレスといえば谷津嘉章さんですけど。

 谷津さんとは関係ないです(笑)。芝浦にあったGOLDというクラブで興行をやってました。

――
GOLDでプロレスってすごいですよ(笑)。

松澤
 篠さんは初期DDTで、高木三四郎さんと渋谷club ATOMで絡んだりしてましたけど、その頃も関係はあったんですか?

 高木さんと知り合う遥かに前の話ですね。当時は角川書店で働いていたので、趣味と実益を兼ねてプロレスラーの取材などもしていたんですよ。たとえば、全日本女子プロレスにブリザードYukiという覆面レスラーがデビューしたじゃないですか?

松澤
 長谷川咲恵が正体の。のちにオッキー沖田さんと結婚して離婚しちゃいましたけど。

 あれ、オレの企画なんですよ。

松澤
 そうだったんですか!?  それは知らなかったです。

 角川時代はわがままを聞いてもらっていたけど、唯一ダメって言われたのがプロレス興行。いまの角川歴彦会長から「プロレス興行だけはやめとけ」と。でも、少年エースという雑誌をベースに漫画とプロレスのタイアップは許可をもらえたので、ブリザードYukiの企画を進めたんですよ。

松澤
 タイアップありきでブリザードYukiのマンガを始めたんですか?

 そう。要はタイガーマスクの女子版をやろうとしたんです。ロッシー小川さんが相談にのってくれたんですよね。ゲーム化やアニメ化も企画してました。

――
ブリザードYukiは東京ドームでデビューしますけど、入場演出でスタントマンにトラブルがあって。そのせいで長谷川咲恵が動揺しちゃって試合はスイングしなかったみたいですね。

 スタントマンによる事故があったんですよね。それで長谷川選手が動揺しちゃったんですよね。ほかにも大仁田さんがFMWを立ち上げた頃に取材して、大将から「応援してくれよ!」って頼まれたから繋がりのある編集者たちを紹介したり、若手に食事をおごったり、リッキー・フジ選手や工藤めぐみ選手をスポンサーに紹介する飲み会を開いたりしてました。その後、大宝(拓治)さんと川並(政嗣)さんというFMWを影で支えていた2人が独立を計画していて、世界格闘技連合W★INGを旗揚げするから手伝ってほしいと頼まれたんですよ。

松澤
 元『週刊プロレス』の小島和宏さんが書いたW★ING本は読んでないんだけど、そこに篠さんは出てくるのかな。

――
その本、読んでますが篠さんの名前は出てなかったですね。

 オレは裏方で手伝っていただけだから。見える部分だと……モンゴルマンはオレの企画ですよ。でも最初のシーズンから未払いだったんで、セカンドシーズンからは手伝ってないですね。

松澤
 さすがW★INGですね(笑)。

 旗揚げの後楽園ホールをはじめ、最初のシリーズを一緒に回ったんだけど、経費の精算もされず、厳しそうだったので1回フタを閉じて、プロレスとはお別れしました。その後も一部の選手と交流は続いていたんですけどね。数年後に全日本女子プロレスが傾いてプロレス界も大変そうだなーと思っていると、井上京子選手が団体を作るから応援してもらえないかと頼まれたんですよ。角川書店から独立して、そこそこ儲かっていたのでプロレス界に貢献したいと思ったんですよね。

松澤 それがネオ・レディースなんですね。

 はい。最初はスポンサーの依頼で、けっこうな金額を提示してきたので、それはスポンサーとしては厳しいので、議決権を持てるかたちだったら考えると返したら、共同代表の席を空けますからという話になって(笑)。だから当初は代表が2人いて、その方の名義で選手と報酬に関する契約が勝手に履行されていたんです。オレが手伝ったのは、団体ロゴやパンフレットなどを作ってあげたり、主に資金提供ですね。

松澤 ネオの内部に入ったのは、けっこうなお金を出していたからなんですね。

 昔から猪木信者、UWF信者だったので、女子プロレスに興味なかったし、内部に入ることは本意ではなかったんですけどね。議決権を持てないと、お金を溶かされちゃって困るから。女子プロレスの人気が下落していたし、W★INGの経験もあったので(笑)。

松澤
 トップの全女が沈みかけていたわけですからね。

 道場兼常設会場も作ろうという話や配信事業なども計画していたんですよ。

松澤
 渋谷のリキパレスじゃないけど、実際に渋谷に作りましたよね?

 現在のWOMBがあるところですね。許可を取れると聞いて不動産契約まで進めたんですが、結論を言えば当時は商業地域として認められず、興行ができないということで、旗揚げ前に一度イベントを実施したあとで契約解除しました。その後、現在の使用者たちが時間をかけて変更したんでしょうね。

松澤
 篠さんが早すぎたんですね(笑)。

 ネパールで建国史上初のプロレス興行を手掛けたり、韓国やオーストラリア、アメリカでも試合をやったり、このあたりはすべて自分が担当してましたね。あと、ネット配信などもやりました。ReMixをスカパー!でPPV配信して、2500円で当時は驚くほどの結果を出しているんですよ。あれは桜庭あつこ効果ですけど。

松澤
 PPVをやってましたね。ウリの1つがグラビアアイドルだった桜庭あつこの総合デビューで。

 ネット配信は最初にBIGLOBEさんと組んでやりました。その後はNTTさんとも組みました。現在RIZINがやってることは2000年にやってるんです。ただ、時代が追いついてなかった(笑)。日本で最初にインターネットでクレジットカード決済サービスを提供したのもオレなんですよ。

松澤
 スマックガールの選手に密着したリアリティー番組的なものをやっていたり!

 格闘技を手掛け始めた頃からリアリティーショーはやりたかったんです。番組企画はいろいろと手掛けて、TBSと組んで『ワンダフル』という番組の中でも定期的に放送したり、挑戦してきたんだけど、まだ少し早すぎましたね。
松澤 わりとメディア露出は多かったですよね?

 予算がないのに露出量は多かったと思います。最近の時流的なことは、当時からやってたんだけど、あまりにも早すぎて世間がついてきてくれなかった感じですね(笑)。

――
ネオ・レディースからReMixに移ったのはどういう経緯があったんですか?

 プロレスの興行が厳しくて、小さな会場で開催するのが手一杯になってきた頃、オレが別に投資して役員をやっていた会社がコンテンツ産業に参入する話があって、「女子版のPRIDEをやってみたら?」という話が出たんですよ。サンクスやサークルK、ファミリーマートさんと一緒にキオスク顛末というローソンにあったLoppiみたいな端末を開発してコンテンツ販売するプロジェクトがあって、そこで女子格闘技を取り扱うという計画だったんです。諸事情でオレが役員を降りるという条件で1億円を用意してもらい、自分でもらって遊んでもいい金だったけど、それでReMixを立ち上げたんです。経験がなかったので大変でしたけどね(笑)。

松澤 女子格闘技イベントとしてはその前にL-1がありましたよね。

 まぁ、L-1はいろいろとね(笑)。

松澤
 ズバリ言うと真剣勝負じゃない試合もあったと(笑)。

 何とも言えないけど、もっと良い形で女子総合格闘技の大会を開きたいと思ったんですよね。
ネオの選手たちに話したら拒絶されて、悩んでいた際に元LLPWの八木淳子さんを紹介されるんです。

松澤
 八木さんはLLPWから引き抜いたかたちになるんですか?

 彼女はLLPWを辞めていて、本人も総合格闘技に興味を持っていたんだけど、LLPWから契約違反で訴えるという連絡が入ったんです。でも、そんな奴隷制度みたいな契約は違法なんで、法律の知識があったから「そんなの関係ない」と突っぱねたんです。それからLLPWと険悪ですけど、数年前に神取忍さんとは飲んで握手して和解しました(笑)。

松澤
 ネオはその時期に消滅しますよね。

 正確にいうと消滅ではなく、分裂って感じです。ReMixの少し前ぐらいに選手やスタッフと話し合いがあって。「後楽園ホール以上の会場で派手に見せながら、スポンサーを付けてチャンスを伺う方法がいいんじゃないの?」って提案したんだけど、甲田くん(東京女子プロレスの代表)を筆頭に「下北沢タウンホールを中心にコツコツ地道にやっていきたいです……」と言われたので、別々の道を進む話になったんです。正直な話、特別な感情もなくて、進む方向の不一致というの感じです。同時期にオレが参加していたDDTに関しても全否定されていたので、お互いの考え方に溝があったんだと思います。でも、共に苦労してくれた井上京子選手に対する想いは強くて、彼女に「ReMixに出てほしい」と伝えました。こちらも看板選手がいないと厳しいし、彼女に対しても出場してくれたら少しはギャラを払うことができたからです。彼女は「出てもいいけど、勝てないよ……」と言うんだけど、「出ることに意味があるんだよね―」ということになるんです。

松澤
 それで井上京子の1DAYトーナメント1回戦の相手はグンダレンコ(・スベトラーナ)だったんですね。でも、グンダレンコはいわくつきの試合もあったし、篠さんはプロレス側の人間だから変な目で見た人もいたんじゃないですか。

 そこで八百長を組んでも意味ないですよね。ReMixやスマックガールは神に誓って一度も事前に勝ち負けを決めた試合はないです。だから、井上京子選手の試合も八百長ではないし、彼女に対するリスペクトは強いんです。

松澤
 最近井上京子さんのインタビューを読むと、団体で作った借金で何回か自殺しようと考えたこともあったみたいで。「選手を食わせるために大変だった」みたいなことも振り返っていて。

 そこはオレも同じ気持ちでしたよ。多くの選手は、お金が空から降ってくるくらいに思ってるんですよ。会場にお客さんが入ってない現実を認めたくないのかもしれませんけどね。
そういう状況だったから井上京子選手に「ReMixに出ないか?」と声を掛けました。ReMixにはサンクスとか大手企業のスポンサーが付いていたから、もしかしたらプロレスに還元できるかもしれないし。彼女は本当にプロレスが好きな人だから、プロレスだけをやっていきたい人ですよね。そんな自分の気持ちを置いても他の選手を思って嫌なことも飲み込める男気がある選手なんです。

松澤
 ファンからしても格闘技をやらせたら、けっこうイケるんじゃないかって幻想はあった選手ですよね。身体能力が高かったし。

 「絶対に勝てないから、好きなことしていいですか?」って宣言して、グンダレンコに噛みつきましたからね(笑)。それはそれでプロレスラーの魅せ方と言えるんじゃないでしょうか?

松澤
 もう1つの看板はさっきも名前が挙がった当時グラビアアイドルの桜庭あつこですよね。

 総合格闘技自体が黎明期だし、名前のある選手なんていないわけですよ。ちょうど桜庭あつこ君の事務所から「何か目立つことできないですか?」なんて相談をされたので「格闘技をやってみませんか?」と交渉して即決して頂いたんですよね。彼女は半年間ぐらいずっと練習してたんですよ。

松澤
 絶妙な人選でしたよね。PRIDEでは同姓の桜庭選手が大活躍してましたし(笑)。

 かなり話題になりました。当時はスキャンダルネタもあって、週に1回ぐらいはワイドショーに出演してましたね。桜庭あつこ効果はすごかったです。

松澤
 そこでちゃんとした相手をぶつけるのは篠さんらしいです(笑)。

 ロシアの柔道メダリスト、コボチノバ・タチアナ選手です。最近、石井館長が桜庭あつこの試合は注目していたと言ってくれたんですけど、あんな強い相手をぶつけるのはダメだって言われました。個人的には勝敗ではなく、彼女がいかに頑張ったかを見せたかったので、弱い選手ではダメだと思ったんです。一応、打撃の選手は避けましたけどね。ちなみに、グンダレンコ選手の件を含めてロシアまで交渉に行って、現地の怖い人たちと気絶するまでウォッカを飲んで信用を勝ち取ってブッキングしたんですよ。

松澤
 前田日明ばりの行動力(笑)。

 あ、前田さんといえば、立ち技系の選手とバランスを取るために寝技20秒ルールにしようと発案したんですが、「これってリングスKOKルールに似てるから前田さんに筋を通したほうがいいんじゃないの?」みたいな話になったので、挨拶に行ったんですよ。
ちなみに20秒は短いという話になって、スマックガールからは寝技30秒になりました。

――
当時は寝たら終わりの選手が多かったですもんね。

 前田さんはかわいい子が好きだと聞いたので、桜庭あつこくんを同行させるかたちで会食を行なったんですよ。そしたら作戦通り上機嫌で「KOKルール、使っていいよぉ」と(笑)。
あと、阪神タイガースをやめた直後の新庄剛志が解説なんです。同級生が新庄のマネジメントをやってたので、一緒に飲んだんですけど、野球の知識がないから「あ、有名なの? 格闘技の大会をやるからゲスト解説してくれません?」と言ったら、たまたまスケジュールが空いていて、トントン拍子で決まったんです。これもスポーツ新聞の一面ネタになりましたね。

――
チケットは売れたんですか?

 正直なところ売れてないですね。ただ、思っていたよりは入っていて、パッと見た目、ガラガラに見えなかった。友人たちも驚くほど呼びましたからね。チョロさんも現場にはいましたよね?

松澤
 いました。なんとなく入ってましたね、なんとなく(笑)。

 それは2003年大晦日の『猪木祭り』も同様、売れてないけど、思った以上は入っていた(笑)。

松澤
 ハハハハハハ! ReMixはトーナメント準決勝で、藪下めぐみが90キロ近く体重差のあるグンダレンコに勝ったことに尽きますよね。

 大会的には薮下効果で大成功だったと考えてます。寝技20秒ルールの面白いところが出て。寝技になっても薮下選手が亀になって30秒間耐えきる。判定で負けたグンダレンコ選手が泣くという。グンダレンコ選手は負けるはずがないと思ってたでしょうからね。

松澤
 いまはもう競技化されて階級制になってますけど、無差別だから生まれたドラマというか。

 個人的にはいまでも無差別級はありだと思ってるんです。当時はすべてが手探りだったから、やっていく中で勉強させてもらって、リングドクターも整骨院の先生がいれば大丈夫だろうみたいな感じでやってたわけです(苦笑)。ところが、専門誌の記者たちに怒られて改善していったんですよね。

松澤
   プロレス流は通用しなかったと(笑)。

    そんな経緯があって、前日検診や試合前問診なども行うように成長しました。当時、2000年の頃はそんなノウハウもなかったんですよね。気合でなんとかなんでしょ!みたいな。

松澤
 よく言えば、手作り感満載だからこその親しみやすさはありましたね(笑)。

 当然ですけど、選手には賞金をキチンと渡してますよ。ジェラルド・ゴルドー選手が昔チョロさんのインタビューで「日本で一番信頼できるプロモーターは篠だ!!」って言ってたじゃないすか! ゴルドー選手には現金で渡してますからね。彼が招聘してくれたマルロス・クーネン選手が優勝したので賞金を届けに行くと、「本当に満額くれるのか? はじめてだよ!」って驚いてました(笑)。

松澤
 どれだけ日本で変な目にあってたのかって話ですね(笑)。

 あるときエリン・トーヒル選手たちが試合直前に「ギャラアップしなきゃ試合をやらない!」と言い出して、マネージャーがチンピラみたいに騒いでいたときも、ゴルドー選手が「どうした?」って事情を聞いてくれて、「ちょっと待っていてくれ……」と言うと、トーヒル選手の控室に入って行って、中からは怒鳴り声が聞こえてきたので、ヤバイかな?と思っていたら、扉が開いてゴルドーが「……解決したよ」と(笑)。

松澤
 ゴルドーらしい、いい話!(笑)。

 黎明期の頃っていい加減だったんですよね。それは自分も含めてですけど。あの頃はビジネスとしても成立してないし、オレもお金をもらってないし、日当1万円ぐらいのボランティアスタッフで運営していたんですよ。外国人招聘で関わった橋本欽也さんもそんな感じで参加してくれてました。

松澤
 メモ8さんや品川さんも、そんなスタンスでスマックガールに関わっていたんですね。

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 そうそうそう。みんな女子格闘技は面白くなるって信じて、夢を見て、サークル活動的なカタチで手伝ってくれていた。自分を含めて、品川さんやメモ8さんは私財を投げて応援してくれた。そこは本当に感謝してます!!

――
スマックガールは小規模興行、ReMixは大規模興行という両輪でやっていく予定だったんですよね。<ジョシカク黎明期2万字対談はまだまだ続く>

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