
『榊原社長に呼び出されました』元谷友貴出演編で大きな話題となった福本吉記さんインタビューです!(聞き手/松下ミワ)
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――今日は、DEEPフューチャーキングトーナメントの最中、お時間いただきありがとうございます!
――今年は各階級16名ぐらい参加してますもんね。2000年代から選手を育てている福本さんに、先日話題となった元谷友貴選手のことから聞きたいと思っています。
福本 よろしくお願いします。
――RIZINのYouTube番組『榊原社長に呼び出されました』に元谷選手が出演された際、井上直樹選手とのタイトルマッチに向けて福本さんがメッセージを送られる場面がありました。事情はよくわからないながら、元谷選手の表情からも何か胸に迫るシーンだったなと。
福本 ホントにね、ボクもよかったと思ってます。本人からも「勝ってベルトを持って富山にあいさつに行きます」という連絡がきましたし、うれしかったですね。
――それはひさしぶりの連絡だったんですか?
福本 10年ぶりぐらいじゃないですかね? ボクは富山でクラブバーバリアンというジムをやってるんですけど。ジムを盛り上げるためというか、DEEP富山というのをやるために佐伯さんに直談判しに行ったことがあるんですよ。あれはPRIDEがあった頃ですね。
――というと2000年代前半ですね。
福本 結局、富山って地方じゃないですか。日本海側だし格闘技の大会なんかアマチュア修斗しかなかったんですよ。アマチュア修斗で優勝か準優勝してプロ選手になる。当時はそれ以外の道がなかったんですね。だから「これはどうしたもんかな」と思っていたときにDEEPという大会が出てきて。で、佐伯さんは富山出身なんですよ。
福本 富山の立山町というところの出身で。そこって、じつは「佐伯」姓ばっかりなんですよね。
――「佐伯」さんばっかりの地域(笑)。
福本 ホントに、ホントに。その後、何かの縁でご家族で名古屋に引っ越したらしいんですけど、富山出身と聞いてお話ししたいなと。だから名古屋でDEEPをやってたときに、大会っていくらかかるのかわからないですけど、手付金として100万、150万をかき集めて持っていったんですよね。
――それもまた凄い話ですね。
福本 つまり、冷やかしじゃなくて本気の姿勢を見せるためなんですけど。そしたら佐伯さんは「やりましょう! もう来月やりましょう!」と(笑)。
福本 それが春頃の話なんですけど、ボクは選手も育てたいし会場も抑えなきゃいけないし、開催できても秋ぐらいかなと。なのに「来月やりましょう!」と言うんで、「なんじゃ、この人」って(笑)。で、佐伯さんには1回ウチの選手の練習も見てもらって。そのときに、MIKUのことを見て「あの子、どうなんですか?」と素質を見抜いてましたよね。
――MIKU選手は「天才」と呼ばれた女子格闘家ですね。全盛期真っ只中に突然引退しちゃいましたけど……。
福本 元谷のことも最初の頃から「あの選手いいんじゃないですか?」と言ってました。
福本 地方活性じゃないですけど、上がる舞台があればジムの子たちもやる気が出るじゃないですか。DEEP富山はそういう理由で始めました。
――ジム自体はもっと前から始めてたんですか?
福本 ジムは2002年ぐらいですね。それこそ自分で勉強して試合に出たりしながら、有名な先生たちのセコンドの声を聞いて「なるほど、そういう声かけが必要なんだな」とか。結局、富山の選手もキックとかちょっとしたMMAの選手はいるんですけど、ぜんぜん強くないんですよ。だから、まずボクがやってたDEEP富山に上がりたいんです。そこで経験を積んでから後楽園に行くなり、それこそPRIDEを目指すなりしてほしかったんですけど。それでBarbaro44が後楽園に呼ばれたり、石川県にCBインパクト(クラブバーバリアントインパクト)という名前で、自分のライバルジムを自分でつくってたんです。
――より競わせるために。
福本 CBインパクトの生徒さんには「クラブバーバリアンとは同列なんだから、早く追いつけ追い越せでいきましょう」と。ボクも選手を育てるのに石川のほうに行ったりして。そこに元谷が来たんです。元谷はもともとキックの試合とかをちょぼちょぼやってて。でも、ある試合で寝技でやられたみたいで、負けた次の日にCBインパクトに来たんですね。ウチのジムのことは知ってたみたいで、当時の元谷は大学生だったんですよ。サッカーとキックはちょっとやってるけど、寝技はぜんぜん強くなくて。ただ、打撃を見るかぎり運動神経はよかったんですよね。
――元谷選手といえば寝技が強いイメージですけど。
福本 でも寝技の練習を見てたら、すぐバックを取らせたりマウンドを取られたりして。ただ、よくよく見てみたら相手にポジションを取らせて自分の苦手なところを潰してたんですよ。
――わざと取らせて練習してたってことですか?
福本 そう。そこからどうしたら逃げられるかとか。だから、アイツは練習では弱いんです。でも、やっぱり急にパーンと強くなるんですよね。頭もいいんで、自分の足りない部分を潰していってすぐに強くなりました。で、もっと強くなりたいからということで「MIKUさんはどういう練習をしていましたか?」とか聞いてきたりして。最初は「MIKUのファンなのかな?」と思ったりもしたけど、当時MIKUは打撃もできたし、練習も一緒にしたことがあったんでね。当時、グラップリングでも元谷よりMIKUのほうが強かったかもしれないですね。
福本 MIKUは本当に強かったんですよ。で、元谷には「もっと強くなりたいんだったら富山のキッズグラスに出てブリッジ、マット運動、レスリングとかをしっかりやり直したほうがいいよ」とアドバイスして。そしたら本当に富山まで来て子供たちと一緒に練習していましたから。それでだんだん強くなっていきましたね。
――元谷選手って昔の写真からすると見た目がやんちゃだったりして、当時は「真面目にやるのかな?」とか思いませんでした?
福本 でも練習は毎日来ましたし、それこそ富山のキッズクラスに出て、それから石川に戻って練習したりとかしてましたからね。あとは1日40キロ走ったり。いまでも試合当日に10キロぐらい走るじゃないですか?
――そ、それはアップなんですかね? そうしないとエンジンかからないみたいな?
――軽量級はまだ注目されてなかった時代ですよね。
福本 でも木部ちゃんが頑張ってたからチャンスをやろうと。それに東海・北陸にフライ級の選手がけっこういたんですよ。元谷は新人で、春日井“寒天”たけし、あと加藤直行ね。そこで元谷がパパパーと勝って、そこから快進撃という感じでした。
コメント
コメントを書くMIKU選手の話しが聞けて嬉しい。
当時突然変異みたいな印象だったからなあ。
MIKUにインタビューしてほしいなぁジョシカクが無かった次代だ