
noteに過去記事を引っ越し中……それに伴いブロマガに再掲載! 山田学16000字インタビューです。MMAがなかった時代にMMAをやろうとした男の狂ったエピソード群!2014年6月に掲載されたものです(聞き手/ジャン斉藤)
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・【17000字】川口健次が語るシューティング黎明期から、創始者・佐山聡離脱まで
――初代シューターにして初期パンクラスでも活躍されていた山田さんは、総合格闘技というジャンルがなかった頃から闘ってきたわけですよね。
――そうだったんですか!(笑)。では、今日はそのへんのお話をたっぷりとおうかがいしますが、もともとは栃木のほうで空手をやられていたそうで。
山田 栃木の小さな町道場だったんですけど。17歳の頃、映画の『燃えよドラゴン』を観てブルース・リーみたいになりたいなと思ったのがきっかけですよね。
――それでシューティング(修斗)を始める前に地元・栃木で就職されてるんですよね。
山田 防衛庁関係のね、ちゃんとした会社だったんですよ。
――防衛庁関係! いったいどんな仕事なんですか?
山田 戦闘機やレーダー関係。詳しくは言えないんですけど(笑)。
――あ、国家機密ですか(笑)。プロレス格闘技に興味はあったんですか。
山田 それがまったくなかったです。空手も健康のためにやっていただけなんで。どっちかというと格闘技は好きじゃなかったんですよ。
――それがどうして佐山聡先生のシューティングに入門するようになったんですか。
山田 佐山さんが昔タイガーマスクをやっていたことは知ってたんですけど。空手をやってるときに投げ技ができる人が勢いで相手を投げたんです。空手で投げは反則ですから審判は「はい、立ってスタンドから」と指示するんですけど、そのときに「これでは路上で通用しないな」と思って。路上に審判はいませんから。
山田 そのときに『格闘技通信』が創刊されたんですね。読んだ『格通』がたしか創刊号か2号目だったんですけど、三軒茶屋に佐山さんのスーパータイガージムができて会員募集をしているという記事が載っていて。じゃあ行ってみるか、と。
――旧UWFの興味から入門したわけじゃないんですね。
山田 ボクはいつも直感で動くんですけど、「この人は日本でいちばん強い」と思ったんで。いちばん強い人に習えばいちばん強くなれると思ったんですよね。それで次の日、場所もよくわからないのに栃木から三軒茶屋のジムに行きましたからね。ローカル線で上野駅まで3時間かけて行って。上野から三軒茶屋まで1時間かけてたどり着いて。
――シューティングってどういうものか理解してたんですか?
山田 なんとなく。『格闘技通信』に殴って蹴って関節技を決めると書いてあったんですけど。「関節技ってなんだろ?」って感じで。
――当時は栃木で仕事をしながら三軒茶屋まで通ってたんですよね。
山田 ジムには週1回ですね。でも、自主練は毎日やってました。自宅でひとりで(笑)。
――どんな練習をしてたんですか。
山田 まずスパーリングは頭の中でやるんですよ。
――刃牙の空想カマキリ戦の世界!(笑)。
山田 だってスパーする相手がいないですから。仕事を終えて最初にスクワットを1500回やって、それから15キロ走るんです。そしてサンドバックを2時間叩いて、そのあとウエイトを1~2時間やって。
――日をまたぎそうですね(笑)。
山田 それから柔道のダミー人形を使って「こうかな?」って自分になりに考えながら関節技の練習。だからボクのサブミッションは独特です。それは誰にも教わってないですから。
――独学でやられていたんですねぇ。
山田 たまたま地元で紹介された整体の先生のところへ治療に行ったんです。そこで「身体を治せるということは壊せるんだな」って考えて。治せるんだから壊せる、壊せるんだから治せるという逆転の発想。両方できて武道家だなって思ったんですよ。なんで「整体を習おう」と週1回、朝から晩まで先生に付き添って。いわゆるカバン持ちですよね。ずっと先生の整体を見ながら、身体の構造をいろいろと質問したりして。それがいまの整体の仕事にもつながってるんですよね(笑)。
――しかし、そうでもしないと格闘技の勉強はできなかった時代なんですねぇ。
山田 「十字固めのどこが痛いんだ?」って感じでしたから。あと高校の柔道部に行って寝技を習ったりしてね。だから近所では「あそこの息子は頭がおかしい」と言われてたんですよ。夜にサンドバックを叩きながら奇声を発していると(笑)。
――ただでさえ当時は格闘技への理解もなかったでしょうし。週に一度のシューティングではどんな練習をされてたんですか?
山田 初めて行ったときはステップワークを1~2時間やったんですよ。で、次の週に行ったときにまた同じことをやらされるは嫌だから勝手にいちばん上のクラスに参加したんです。当時は3クラスあって、初級者、中級者、選手。ボクは週に1回しか通えないから、なるべく選手クラスで勉強しようと。そこで川口健次に「おまえ入ったばっかだろ?」と言われたんですけど「いや、長いこといますよ」なんて嘘をついて(笑)。それで選手とたちと練習するようになったんですけど、最初はスパーやってもボロボロですよ。しかも真夏は四十度を超えるんですよ、室内。
――当時は何人くらいいたんですか?
山田 あの当時1500人はいました。
――1500人!!!!
山田 でも佐山さんが1回怒ると100~200人はいなくなりましたから(笑)。
――ハハハハハハハ!
山田 また入ってくるけど、佐山さんが怒ったらやめての繰り返しで。
――やっぱり佐山先生は怖かったですか?
山田 ……おかしいですよね(笑)。
――ハハハハハハハ! 基本鉄拳制裁ですもんね。
山田 いま高校とかで生徒が教師に頭を叩かれたことが問題になってるじゃないですか。ボクらの場合は木刀ですからね。あれを見ちゃうと「体罰って何?」って感じですよね(笑)。
――YouTubeに合宿映像が残ってるんですけど、あれも凄いですよね。
山田 いやいや、あれはまだ優しいほうですよ(ニッコリ)。
――あれで!!
山田 あんなの優しいですよ。だってまだ選手に話しかけていますから。ボクからすると「あ、今日は機嫌がいいのかな~?」って感じで。
――あれで!!!
山田 耳が切れて出血するじゃないですか。「それがなんだ!? 耳が切れるほうが悪いんじゃ!!(怒)」って感じでしたから。
――では、優しくないときは……。
山田 もう倒れてからマウントパンチですよ。
――は!?
山田 ハハハハハ。それで生き残れない奴は来なくていいというスタンスですよね。だから根性はつきますよね。だから朝日(昇)と「あそこで生き残った奴はみんなキチガイだ」っていう話をしてて。並の精神状態だと残れないです。
――だって月謝を払って通ってるわけですよねぇ……。
山田 お金を払って殴られに行ってるわけですから(笑)。
――佐山先生のスパルタ指導にはどんな意図があったと思いますか。
山田 ボクにも言ってたんですけど、「みんな来ないでほしい。強い奴だけ来ればいいし、強い奴だけが残ればいいんだ」と。ひとり、ふたり残ればいいと思ってたみたいですよ。だから毎日ふるいにかけてたわけです。よく「心技体」というじゃないですか。最初は「心」なんです。心ができていない人間が技も身体もできないという理論で。
――つらくありませんでした?
山田 いやあ……「もっと激しくやってくれ!!」と思ってましたよ。
山田 まあ、あいつも頭がおかしいですから。ハハハハハ!
――あんな合宿をお願いするんですからね(笑)。
山田 中井が入ったのはボクの所属が木口(道場)になった頃なんですよ。「寝技が強い奴が入ってくるから」と言われて。それでボクと朝日とかと一緒に練習したのが最初の出会いですね。中井は真夏なのにロングジャージを着てきたから「あ、こいつも頭がおかしいな」って(笑)。
――真夏にロングジャージ(笑)。
山田 あのね、タイガージムってヘンチクリンな人間の集まりだったんですよ。
――朝日さんも変わってますよね。話しだすと止まらないですし。格闘技の質問をしてるのにいつのまにメジャーリーグのダルビッシュの投球術の話になってたり。
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