非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! 記事16本15万字で800円!!(税込み)


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noteにバックナンバー引っ越し中に伴いブロマガにも再掲載! 新日本プロレス、ZERO-ONE、ハッスル、超大花火プロレスを作ってきた男、中村祥之ロングインタビュー。長州力の運転手から始まった中村氏のプロレス業界歴は、新日本の猛烈営業部隊の一員として全国を飛び回り、その後は破壊王・橋本真也の片腕となりゼロゼロ年代をかき回して、いまに至る。裏も表も知り尽くした中村氏の17000字にも及ぶ今回のインタビューでは、栄華を極めた90年代新日本バブルの実態、エースだった橋本真也が新日本に見捨てられるまで……を語っていただいた! 18000字!(2016年1月に掲載されたものです)




――中村さんも取材を受けた『真説・長州力』ですけど、あの本にどんな感想をお持ちですか?

中村 まだ全部は読めていないですけど。うーん、なんか長州さんが丸くなってるなって。丸くなったという表現が適切かどうかはわからないんですけど、「人間」になったなって。

――『真説・長州力』から「人間・長州力」が見えたんですね。

中村 そうそう。長州さん、人になったなって。

――じゃあ、以前の長州さんはなんだったんですかね?(笑)。

中村 昔は24時間1日じゅう、長州力を背負っていたというか。いまはオンとオフがあるんだなって。

――長州力というキャラクターを過剰なまでに演じていたという。

中村 いまは家の外に一歩出たら長州力でいる部分と、吉田光雄でいられる部分が出てきたということですよね。

――長州さんがジャパンプロレスとして全日本プロレスに参戦していた頃、大学生の中村さんは長州さんの個人事務所リキプロダクションでアルバイトしてましたよね。そのときは吉田光雄の部分は見えなかったんですか?

中村 あの頃はダース・ベイダーでしたよ(笑)。

――ハハハハハハハハハハ! 

中村 ホントに。近寄れない。

――そんな暗黒卿と何か会話した記憶はありますか?

中村 リキプロの頃は「はい」しか言えなかったんです。「いいえ」や「どうしてですか?」なんてことは口が裂けても言えなかったんですね。長州さんが口にするには「行け」「迎えに来い」くらいですし(笑)。

――中村さんは運転手のアルバイトをやってたんですよね。

中村 ボクの知り合いが「車付きのアルバイトがあるよ」と。学生だから車なんか買えないじゃないですか。面白そうだなと思って面接に行ったらそこに長州さんがいたという。

――プロレス関連の仕事につきたいというわけではなかった。

中村 全然全然。リキプロダクションは恵比寿のマンションにあったんですけど。部屋に入ると昼間なのにカーテンが閉まっていて、薄暗い照明がついてるだけ。そこにサングラスをかけた長州さんがいるんですよ(笑)。

――ダース・ベイダー!(笑)。

中村 長州さんの姿を見たその瞬間、固まりましたねぇ。

――長州さんの人間嫌いな部分が全面に出ている感じですね。

中村 あの頃の長州さんはとにかくマスコミに追っかけ回されていたんですよね。プロレス界では時の人で、プロレスマスコミが事務所に押しかけてくることが多かった。基本的に長州さんのマネージャーがさばいてはいたんですけど、マネージャーもずっと事務所にいるわけではない。ボクたちみたいなアルバイトだと隙があるじゃないですか。その隙に事務所に入り込んでくるという。

――当時はマスコミも攻めの姿勢だったんですね。

中村 長州さんがガングリオンで欠場したときは『東スポ』の若い記者が3日間くらい張り込んでいたりしてましたからね。長州さんの自宅マンションにも張り込んでいた。 

――そこまで追っかけ回されると人嫌いにもなりますね。

中村 と思うんですよね。ずっと監視されてるわけですから。心が休まるときがなかったんじゃないですか。そうしてボクは「プロレス界はこういうところなんだ」って言葉ではなく実地体験でおぼえていきましたね。

――長州さんに怒られたりしたことはあったんですか?

中村 長州さんに怒鳴られたことは……リキプロのときはないですね。うん。ボクは長州さんに対して失敗はしてないです。ドライバーをやってただけですから。

――長州さん専属のドライバーなんですか?

中村 長州さんが中心で、ほかにジャパンの選手でも長州さんに言われたら、という感じです。長州さんはその頃、BMW735という一番高いBMWに乗ってたんですよ。電話付きで。

――80年代で電話付きはヤバイですね(笑)。

中村 そんな車に乗るってのはステータスじゃないですか。いつ長州さんから連絡があるかわからないから、家に車を乗って帰って24時間いつでも迎えにいけるようにしてたんですよ。だから大学にもそのBMWで通学して(笑)。21歳でそんな車に乗れるってことでバイトを続けてたところはありますね。

――優越感に浸れるというか。

中村 優越感、優越感(笑)。お金じゃなくて夢のような世界に身を置いてるという。

――そのうち長州さんとジャパンプロレスはゴタゴタしてきますよね。

中村 ボクが入った頃からギクシャクし始めてて。でも、ギクシャクしてる意味がわからなかったから。ジャパンプロレスは知っていたけど、リキプロという長州さんの個人事務所があることも知らなかったし。そこでグッズなんかを売っていたわけですよ。長州さんの貯金箱やトレーナーとか。

――やっぱり相当売れたんですか?

中村 通販は梱包だけでも忙しくてそれだけで1日が終わってましたよ。あの頃は現金書留だったんで、それが束になって事務所に毎日届くんです。それを空けて宛名書きをして、グッズを梱包して、郵便局に持っていく。1日に何回も郵便局と事務所を行き来しました。そのグッズの売り上げだけで相当なもんだったし、事務所の人間が食べていけましたからね。

――リキプロのスタッフは何人いたんですか?

中村 ボクを含めて5人。4人だと忙しくて人手が足りないからボクを入れたわけですから。

――リキプロだけでもけっこうな年商があったんですね。

中村 グッズをプロレスショップに運ぶだけでも一日何往復。リキプロの業務が忙しくて全日本プロレスさんの会場に数回した行った記憶がないんですよ。そのあと長州さんがガングリオンで休んで、いつのまにか新日本の両国に長州さんが乱入して。

――運転手いえども離脱騒動はわけがわからなかった。

中村 わからなかった。「迎えに来い」「ここで降ろせ。待ってろ」「帰るぞ」の世界ですから。あとになって「そういうことだったんだな」って。で、長州さんが新日本プロレスに復帰したあと、ボクは大学4年の6月でリキプロダクションをやめてるんです。それは新日本に長州さんが戻ったことで、事務所がプロダクションとして機能しなくなったからなんですよね。

――権利も含めて新日本に集約されていったということなんですね。

中村 ボクは事務所で一番若かったんで「おまえももういいだろ」ってことでやめることになって。そうしたら当時の新日本プロレス営業部長だった上井(文彦)さんに誘われたんですよ。もともとアルバイト時代から面識はあったんですけど、「新日本で営業のアルバイトしないか?」と電話があって。ちょうど夏休みだったし、上井さんはわざわざ自分の母親に代わって「息子さんのことはちゃんと面倒を見ますから」と話をしてくれて。親も夏休みのあいだくらいはいいかなってことで。そこが縁でズルズルといまに至ってるんですけどね(笑)。

――上井さんは中村さんを新日本の社員にするつもりだったんですかね。

中村 そうですね。「ワシが面倒を見てやるからな」ってことは言ってくださいましたね。

――当時の新日本の営業は人手が足りてなかったんですか?

中村 興行数のわりには人がいなかったんですね、たしかに。当時の地方巡業はほとんど自主興行だったし、年間でなんだかんだで130興行近くはやってましたから、その数を4~5人で回すのは至難の業。しかも当時はそこまでプロレスに爆発的な人気はなかったですしね。切符を売るのが大変でしたから。

――「冬の時代」と言われてましたね。

記事16本15万字の詰め合わせセットはまだまだ続く……