さいちんことジャン斉藤です。「Dropkickチャンネルの会員を増やすのはどうしたらいいか? しかもお金をかけずに!!」……そんな無茶な相談をある人にしたら「さいちんが麻雀を打つ時間を削って連載の読み物を書けば、お金はかからなんじゃないの?」という至極真っ当なアドバイスをちょうだいしました。うーむ、連載か……。「数字で見る日本vs世界」も放り出したままなのにそんなことができるのかと躊躇した私の脳裏に浮かんだのは「Dropkickチャンネルが始まったらPRIDEフジテレビショックのルポを書く」という宣言でした。なぜあの企画をやらないかといえば、あの件を真面目に調べだすと自分の身に危険が及ぶんじゃないかという恐怖を感じたんですね。でも、もうあの騒動から9年(!)近く経ったし「自分目線」で深入りせずに書けば問題ないですよね!ねっ!ねっ!!ねえ~っ!?


というわけで、通称「フジテレビショック」、PRIDEの地上波契約解除から身売りした半年間の出来事を週1~2回くらいのペースで書いていきます。思いつくまま筆を走らせるので話がちょくちょく脱線するかもしれませんが、よろしくお願いします。

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「PRIDEが死んだとき、豚肉弁当を食べていた」

2006年6月5日の昼ごろ――当時一介の編集部員だった私は代々木の『kamipro』事務所でコンビニ弁当を食べていた。380円の豚肉弁当、120円の鮭おにぎり、110円のペットボトル烏龍茶。白米に豚肉が数枚乗っただけのシンプルな弁当を頬張りながらパソコンでネットサーフィン(死語)をしていると、目を疑うようなニュースが飛び込んできた。