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☆連載再開を記念して、以前掲載された『当事者の時代/佐々木俊尚』の書評をフリー記事として再掲します。
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新宿のゴールデン街に、よく足を運ぶ串カツ屋さんがあり、そこで「金魚」という鷹の爪と紫蘇が入った辛めのチューハイ(水槽で金魚が泳いでいるように見えるため)をしこたま飲んだところ、持病の群発性頭痛が再発して、その痛みに悩まされている笹原です。あー憂鬱。
群発性頭痛の発症のメカニズムはまだ解明されていないそうなのですが、痛みが始まると一ヶ月くらいの期間、目の奥が抉られるような痛みが何度もやってきます。
別名「自殺頭痛」とも言われるほど痛いのです。このネーミングはどうかと思いますが、とにかく痛みで何も手につかなくなり、小股の切れ上がった美女が通り過ぎようとも反応する気も、コンプガチャしてレアカードを集めようという気もおきません。
そんな痛みを押して、この書評を書いている私は、眼球を抉られようと戦う夏侯惇(かこうとん)と言っていいでしょう。
というわけで、早速今週の本を紹介しましょう。
本作はつい最近、光文社新書から発売されたばかりの新書です。まぁ、新書と言えば、手に取り易いイメージがあろうかと思います。
「スタバではグランデを買え」とか「人は見た目が9割」とか「若者はなぜ3年で辞めるのか」といったキャッチーなタイトルが思い浮かぶはずです。とりわけ「なぜ....か?」形式のタイトルは、新書で本当に良く見かけます。誰かが「新書のタイトルはなぜ『なぜ...か』を使うのか」という本を書いても良いくらいです。
しかしながら本作は新書にも関わらず460ページ以上もあり、タイトルも読者に向かって人差し指を突き指しているかのような熱さを感じます。この本の「厚さ」と、タイトルの「熱さ」が影響をしているのか、あまり売り上げは芳しくないよう(作者ご本人がツイッターでもつぶやかれています)。ズバリ言ってDropkickのサイトで取り上げても、援護射撃になるどころか、足を引っ張る可能性もありますが、そのあたりは斉藤編集長が責任を取ってくれる筈です。
昨今の新書の風潮から察するに、本のタイトルも内容も、できるだけキャッチーにして手に取り易く、よりリーダブルなものが好まれるのでしょう。ファーストフードにはファーストフードの利便性があるので、そのことを否定する気はありませんが、たまにはシェフが気合いを入れて作った渾身の一皿に向き合うのも悪くありません。本作はまさに入魂の一冊と言っていいでしょう。
作者の佐々木氏は元・毎日新聞の記者にして、現在は作家&ジャーナリスト。ネットメディアの第一人者の方なので、本コラムを読んでいる変態のなかにもツイッターでフォローをされている方も多いはずです。もし未フォローの方がいたら是非フォローしてみてください。毎朝8時には、ネット上のニュースや出来事、果ては個人のブログに至るまで多岐に渡った事象をピックアップして紹介してくれているので、それを追うだけでも朝の良い習慣になるはず。少なくともスポーツ新聞の記事を何の検証もせずに垂れ流している朝のワイドショーを観るよりも、自分の頭で考えるクセがつくのではと思います。
では本の紹介をして行きましょう。本作の内容はいわゆる「メディア論」です。ですが、いわゆる学術的なお話ではなく、もっと我々にとって身近な問題としてメディアを論考した内容です。もっと言えば、作者が提示しているのはある種の「日本人論」と言えるかもしれません。では、何故にメディアについて語る言葉が、日本人を語る言葉になるのでしょうか。はい、これは非常に明瞭に説明できます。なぜなら我々は、メディアに囲まれて、もはや逃れられない程緻密なその空間のなかで暮らしているからです。テレビ、新聞、ラジオ、雑誌だけでなく、個々人が関わる大小の共同体において交わされる言葉も含め、メディアは我々自身の姿と言ってもいいはずです。だからメディアについて語る時に、それはそのまま我々について語る言葉となるわけです。
例えば、ネット上でもよく見かける言葉に「マスゴミ」という言葉があります。偉そうに能書きを垂れる新聞や、低俗な番組を流すテレビを「昨今のマスコミは腐ってる。あんなのはマスゴミだ」と一刀両断するのは気持ちいいでしょう。巨大なメディアに対して張本勲ばりに「喝!」と言えば、なんだか自分が強く、そして偉くなったような気すらするかもしれません。前段で私も「スポーツ新聞の記事を何の検証もせずに垂れ流している朝のテレビ」と書きましたが、これもまた「マスゴミ」的物言いと同じなのかもしれません。
でも、こうした我々が口にする紋切り型のメディア批判って、我々が嫌悪感を抱くメディアの言葉や振る舞いとどう違うのでしょうか。
「政治の腐敗が止まりません。政治家たちは、一体この国をどうしようとしているのでしょうか。次はお天気です」という、ニュースキャスターの通り一辺倒な言い回しとどこが違うのでしょうか。
メディアへの批判自体はときに有益であることは言を俟ちませんが、ときに人ごとのように、そして高みから指弾するとき、少なくともその批判する言葉自体は、メディアのなかで機械的に使われている言葉と同じであることと、メディアへの批判は我々自身の批判となって戻ってくることを心に留めておいた方が良いような気がします。
頭が痛いので気の利いた冗談も書けず、今回は真面目だけで突き進むコラムになりますが、これこそが私の真の姿です。
では、本作の具体的な内容です。あとがきから引用すると分かり易いと思います。
私は巷間言われているような「新聞記者の質が落ちた」「メディアが劣化した」というような論には与しない。そんな論はしょせんは「今どきの若い者は」論の延長でしかないからだ。
そのような情緒論ではなく、今この国のメディア言論がなぜ岐路に立たされているのかを、よりロジカルに分析できないだろうか----そういう問題意識がスタート地点にあった。つまりは「劣化論」ではなく、マスメディア言論が2000年代以降の時代状況に追いつけなくなってしまっていることを、構造的に解き明かそうと考えたのである。
作者は構造的に解き明かすにあたって、自身の記者時代の経験をはじめ(これが非常に面白い。これだけで一本別作品を書いて欲しいくらい)、戦後から1960年代、70年代に至る言論状況の推移を繙き、「マイノリティ憑依」という言葉を紡き出します。
これもまた、帯の言葉から引用しましょう。
いつから日本人の言論は、当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する〈マイノリティ憑依〉に陥ってしまったのか...
1960年代後半から70年代にかけては、ベトナム戦争や学生運動が盛んだった時期です。それまで戦争の被害者であると考えていた日本人が、一方で加害者でもあるという意識を持ったときに、マイノリティ憑依することで、その相反する感情を共存させるようになったとのこと(駆け足で書いてますが、このあたりの言論の推移は、もっと仔細に書かれています)。
そしてマイノリティ憑依とは、ざっくり書けば弱者や被害者の立場から言葉を発する、ということです。
「ん?なぜ弱者や被害者の立場を慮っちゃダメなの?」
と思われた方、それは正しい。正しいのですが、弱者や被害者の立場から発せられた言葉は、反論無用の、そして無敵の言葉となることを考慮しておかなくてはなりません。こうした言葉が強力なのは、その言葉を発する側に立つ人が「正義」であることを信じ込んでいるからでしょう。正義がある、なしではなく、正義があると信じ込んでいるからです。人は正義の側に立っているときよりも、正義の側にいると思い込んでいるときの方が、発する言葉が先鋭になり、無慈悲になるような気がします(匿名のネットは特に顕著です)。
以前読んだ小説の一節に、こんな言葉があったことを思い出します(ちょっとうろ覚えですが、こんな言葉だったはず)。
「酒に酔い、歌に酔い、女に酔う。でも一番酔えるのは正義だ」
では、弱者や被害者の立場を思いやり、一方でそうした立場に絡めとられない(マイノリティに憑依していない)立ち位置とは一体いかなるものなのでしょうか。それは是非、本作を読んで考えてみてください。読めば明快な答えが得られるはずです...と言いたいところですが、そうではありません。きっと思考の渦のなかで立ち尽くしてしまうはずです。
なぜなら我々は、当人の痛みを想像によってしか思い計れないからです。だから当然そこには限界があるし、逆説的には無限に同化することもできます。震災のときに顕著になりましたが、想像力の限界を素直に受け入れる人は「今、自分のできることをしよう」となり、無限に同化する人は底なしの悲しみに沈み、その悲しみが反転すると「被災した人たちの気持ちを考えろ」という舌鋒鋭い言葉となって現れていたような気がします。
そこから付随していた自粛や反自粛の動きは、「被災地の方々のことを慮る」という同根にして、別の実を成しているように思えました。自粛派と反自粛派が相容れなかったのは、それぞれ「慮る」という数値では表せないモノを依拠していることに加えて、畢竟「お前に俺の気持ちが分かるのか」という、想像力の話しに帰結していたからでしょう。
想像すること、想像力って、一体なんなんでしょうか。想像によって、我々はどこまで弱者や被害者に近づくことができ、そしてどこまでしか近づくことができないのでしょうか。と、本作を手にして、思春期の高校生のように考えてみましょう■
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