Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは、ジョニヘンをぶっ飛ばしたワンダーボーイです!
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日本時間2月7日に開催されたUFCファイトナイト・ラスベガス大会では、新進気鋭の空手ファイター、スティーブン”ワンダーボーイ”トンプソンが、元チャンピオンのジョニー・ヘンドリックスに鮮やかなアップセットKO勝ちを収めた。これでトンプソンのウェルター級ランキングは3位に急上昇、すでにベルトも射程圏内に収めている。
そんなスティーブン・トンプソンは、根っからの格闘家の家庭に生まれ育った。父親のレイ・トンプソンは空手道場『Upstart Karate』の主宰者兼師範で、5人の子ども全員を3歳になると道場に入門させ、最低でも16歳になるまでは続けさせた。もっとも、レイ自身が18歳で空手を始めたきっかけはC調なものであった。
「私はエルビス・プレスリーが本当に大好きでね。歌もいいしダンスもうまくて、女によくモテるいい男だったよ。で、エルビスはよく、空手のムーブをやっていたんだ。もちろん私に歌は歌えないし、ダンスだってできない。顔だってエルビスとは大違いだ。しかし、私はこう思った。あの空手の動きだったら私にもできるかも知れないぞ」
5人の子どものうち、最も早い時期から頭角を現したのは、スティーブンの姉、リンゼーだった。リンゼーは子ども時代を振り返って語っている。
「私が3歳の頃、私を背中を負ぶったまま、父が道場にモップをかけていた記憶がある。私たちは文字通り道場で育った。フットボールに力を入れる家があったり、野球一家があったりするけれど、我々はまさにカラテファミリーだった。何か他のことをやってみたいという雰囲気を出すだけで、ダメだとピシャリと叱られた。まずはカラテで強くなることが先決だった」
家で兄弟げんかをする時にも、レイはテーブルを動かしてスペースを作り、リビングの真ん中で決着を付けさせた。こぶしによる打撃は禁じられたが、それ以外はノールールだった。
「父は、『戦いたいのか。よろしい、ではやりなさい』という感じだった。兄弟でさんざん殴り合ったあげく、たいていはもう殴りたくないと思って泣き出すまで終わらなかった。今の時代なら父は逮捕されているんじゃないかと思う。私たちはそれ以来、父がいる前では、ケンカをしないようにしていた」
スティーブンも父のこんな教えを記憶している。
「父からはいつも、お前の方からは絶対に喧嘩を仕掛けてはいけない、そんなことをしたら理由を問わずお前のことを殴る、と言われていた。でも同時に父は、もし誰かから喧嘩を仕掛けられたら、その時には絶対に負けてはいけない。負けて帰ってきたら、お前のことを殴る、といっていた」
スティーブンにとって道場は聖域であると同時に監獄だった。彼は文字通り、道場で食事をし、道場で宿題をした。外で野球をやりたいと思ったこともあった。スティーブンは子どもの頃の道場での稽古を、「まるで仕事みたいだった。特に楽しくはなかった」と振り返っている。
ところがスティーブンは15歳の頃、空手に突然開眼する。「ある日、急に頭の中で何かがつながった。理解したんだ」
道場内で敵なし状態になった15歳のスティーブンは、当時26歳で無敗の男と他流試合を行い、勝利を収める。「あまりにも簡単に勝ってしまった。その試合で、自分にもできると確信した」(スティーブン)
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