• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

【記事詰め合わせ13万字】中井りん、光GENJI、HERO'Sの裏側、RENA×浜崎、ランデルマン…
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【記事詰め合わせ13万字】中井りん、光GENJI、HERO'Sの裏側、RENA×浜崎、ランデルマン…

2016-02-29 23:59
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par25は大好評インタビュー10、コラム10本、12万字540円!!(税込み)  試し読みも可能です!




    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    記事内容一覧

    ◉大反響!中村祥之インタビュー第2弾!
    激動のZERO-ONE旗揚げ! そして追い詰められていく破壊王……


    中井りんUFC再出撃、衝撃の理由!!
    「飢え死にしたくないので戦います!」


    ◉好評連載小佐野景浩のプロレス歴史発見
    「馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス」


    ◉大晦日に手を組んだシュートボクシングとMMAの女王対談!
    RENA×浜崎朱加「一緒にアメリカへ行こう!」


    金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル今回も「Tさん」の話題!
    「鬼が作るUWFインターちゃんこ!」

    ◉元・光GENJI山本淳一、プロレスデビューを語る
    「昔、山本小鉄さんに指導をしてもらったことがあるんです」


    ◉「パンクラスイズム横浜」設立! 北岡悟のとても優しいインタビュー

    法の番人が語る現代MMA、桜庭vs秋山、Dynamite!! USAの舞台裏――!!
    大沢ケンジ×礒野元 「格闘技とルール」対談

    ◉事情通Zの「プロレス 点と線」
    新日本プロレスの上場とカミングアウト問題/2016年のプロレスラー育成方法とは?

    ◉藤原喜明の教えとは――プロレスと格闘技まだらの時代
    ケビン・ランデルマンが生き抜いた時代/ジャン斉藤のMahjong Martial Artas

    OMASUKIの「MMA Unleashed」、中井祐樹の「東奔西走日記」、「MMAオレンジ色の手帖」、二階堂綾乃のオールラウンダーAYANOも収録で12万字!

    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■














    da9399285bea6698e762bf4f098cb1f86068e10d
    ゼロワンを作った男・中村祥之インタビュー第2弾。通称1・4事変で新日本内で立場を失った橋本真也、商品価値を見切った新日本プロレス。両者の思惑が一致するかたちで新団体構想が浮かび上がり、ゼロワンは船出する。ところが意外な理由で破壊王と新日本は決別……そして新日本から出向していた中村氏は「人生の分岐点」と振り返るゼロワン残留を決意するのであった。中村氏が手がけたミャンマープロレスについても語っています!16000字のロングインタビュー。

    前回のインタビューはコチラ!
    【負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏】
    中村祥之「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189




    ――前回は橋本さんが新日本プロレスに見放されそうになった……ところ(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189)までのお話でしたが、続きを聞く前にミャンマーで初めて行なわれるプロレス大会について聞かせてください!

    中村 わかりました。ネパールでは何度もプロレスのイベントをやってきたんですけど、ミャンマーは今回が初めてで。きっかけは2年前からビジネスでミャンマーに行き続けてて。同地にプロレスを根付かせて、タイガーマスクを作りたかったんです。孤児のために戦ってるタイガーマスクを原作どおりマンガにして、そこからアニメ化したいな、と。 

    ――プロレスをやるにあたりミャンマー現地の協力者はいたんですよね?

    中村 向こうにヤンゴンプレスという日本語新聞を初めて作った64歳の方がいるんですよ。あと日本に20年間住んでいたミャンマー人もいるんですが、彼は闘魂三銃士世代で「ボクを支えてくれたのはプロレスなんです!だからミャンマーでもプロレスをやりたい」と言うんです。

    ――ミャンマーでプロレスはどれくらい浸透してるんですか?

    中村 向こうでWWEが中継されるようになって1年くらい経っていて、若者のあいだで人気があるんですよ。だから「プロレス=レッスルマニア」という頭があるので「プロレスをやるならこの会場だろ」って6万人が入る会場に連れて行かれたんです(笑)。

    ――「さあレッスルマニアをやろうぜ!」(笑)。

    中村 「ここでも小さいなら別の会場もある」って紹介されたのは10万人のサッカースタジアムなんですけど(笑)。

    ――ハハハハハハハハハハ! 今度は北朝鮮「平和の祭典」規模(笑) 

    中村 ミャンマーの国技はミャンマーラウェイなんですけど、それですら4000人の会場は埋められないんですけどね。普段ラウェイをやってる会場だったらすぐにできるんですよ。でも、闘魂三銃士ミャンマー人が「ボクの中でのプロレスは違う」と。東京ドームや両国、武道館クラスの会場でやるのがプロレスだというイメージがあるみたいなんですね。

    ――さすが90年代のプロレス者、面倒くさい!

    中村 最終的に1万人くらい入るミャンマーの国立競技場でやろうということになったんですけど、そこは一般にはなかなか貸してくれないんですよ。でも意地でもやるぞということで実際に使えることになったんですけど、最近ミャンマーで政権交代が起きたじゃないですか。

    ――あ、スー・チーさん!

    中村 政権が変わったら国立競技場を一般には貸さないという話になっちゃったんですよ。こっちは政権交代前から申し込んでいるのに。

    ――というと、中村さんはミャンマーの選挙の結果を一番心配してた日本人だったんですかね。

    中村 凄く気になってましたね(笑)。選挙で旧政権が大敗したじゃないですか。向こうの人に「大丈夫?」って聞いたら「大丈夫じゃない!」って。そこからずっと後手後手に回ってしまって「もう延期しようよ」と言ったら、メンツが立たないと。それでいろいろと動いて2週間前くらいですよ、正式に開催が決まったのは。

    ――田村潔司の参戦が話題になりましたね。

    中村 別件で山口(日昇)さんと話をしてるときに「ミャンマーで和のプロレスをやりたいんだ」と言ったら「和といったらタムちゃんじゃない〜?」って言い出して。

    ――和といえば田村潔司って全然ピンとこない(笑)。    

    中村 去年の9月頃から話をさせていただいて。「田村潔司が出てくれるわけない」と思ったし、田村さんには年末(RIZIN)の話も来ると思ってたんですけど、トントン拍子に話が進んで「じゃあ行きますか」と。それにミャンマーの人にプロレスをやるとお金を稼げるんだよってことを教えたかったので、田村さんのお弟子さんにプロレス教室をやってもらうという話もあるんですよね

    ――U-FILE CMAPミャンマー支部ですか(笑)。

    中村 そういえば、チケットは昨日ミャンマーに到着したんですけどね。

    ――日本からチケットを送ったんですか?

    中村 向こうでチケットで手配すると、増して印刷するんですよ。要は1000枚頼んだのに、勝手に1000枚刷って売り始めちゃうんですよね。

    ――現地で手配すると重チケットになりかねないんですね。

    中村 だから日本で印刷して輸送したんです。送料だけで6万円もかかりましたけど(笑)。

    ――どれくらいお客を呼べる計算だったんですか?

    中村 さっぱりわからないです。昔の新日本じゃないですけど、ロサンゼルスの3万人の会場で興行をやったときなんて、蓋を開けたら400人しかお客がいませんでしたから。

    ――えっ、ロスの「平和の祭典」ってそんな悲惨なことになってたんですか!?(ちなみにこの豪華メンバーが出場→http://www.asahi-net.or.jp/~YF7M-ON/memo24.html

    中村 慌てて2000枚くらい招待券をバラ撒いたけど、全然お客さんが来なかった(笑)。

    ――400人だと大赤字ですよね。

    中村 いや、来たのが400人で実際に売れたのは100枚くらいですよ。

    ――えええええええ!?

    中村 ロサンゼルスってプロレス人気がないんですよ。それなのにやたら高いチケットを売ったんです。

    ――ズンドコだったんですね(笑)。ミャンマープロレスのチケットはどれくらいの価格なんですか?

    中村 VIP1万円、一番安くて2000円です。

    ――その値段、ミャンマーの物価的にはどうなんですか?

    中村 いやあ、高いですねぇ。ボクの中では最高5000円で一番安くて1000円で売りたいんで「1000円の席を作ってくれ」と言ったら、最下層の人間が入っちゃうからダメだと。向こうって金持ちが最下層と同じ空間にいることを嫌がるんですよ。そうしちゃうと金持ちが来ない。

    ――貧富の壁があるんですね。

    中村 ネパールでプロレスをやったときは最初は300ドルでも飛ぶように売れたんですけどね。でも、だんだんと売れなくなったので、一気に500円に下げたら4万人入ったこともありますよ(笑)。

    ――4万人!(笑)。

    中村 圧巻というか、その光景を見てるだけで幸せになりますよ(笑)。「ありがとう!」と言いたくなるというか。屋外の広場に4万人が集まって、入れない人は近くの家の屋根に登って見てるんです。そんなところからリングが見えるとは思えないんだけど(笑)。

    ――日本でいうと街頭テレビ時代のプロレスですね。

    中村 そんな感じです。力道山vsブラッシーの世界ですよ。ダイビングボディプレスやっただけで会場はドカン、しょっぱいドロップキックでもドカン。レスラーがリング上で悪いことをやり過ぎて暴動が起きましたし(笑)。

    ――そこは日本のプロレス史と同じ道を通ってますね(笑)。

    中村 椅子が飛び交いましたからね。それはアメリカ人レスラーがネパール人レスラーを立てなかったからなんですよ。アメリカ人レスラーが「俺は元WWEだぞ。こんなことできない!」と拒否してネパール人をバカにするだけバカにした試合をやっちゃったから。

    ――プロ意識がなかったんですねぇ。

    中村 そのあとボクがあいだに入って収拾を図ったんですけどね。最近はネパールの人たちもプロレスのことがわかってきてるんですけど、それでも本気で怒るんですよ。何か気に喰わないことがあると石が飛んで来るんです。

    ――すばらしい熱さですねぇ。

    中村 ネパールでもずっと続けたかったんですけど、向こうで震災が起きたじゃないですか。たいていの建物が壊れちゃって会場が使えないんですよ。だから「またプロレスをやるのは3年空けなきゃね」って言ったんですけど。ボク、ネパールでNGOを持っていて、代表者は向こうの女性なんですけど。その女性がネパールの女性大統領と親しくて「プロレスをまたやりたい」とお願いしたら、地震で壊れた国立競技場の改修工事を進めてくれることになって。4月16日にまたネパールでプロレスをやることになりました。

    ――国がプロレスを救ってくれたんですか!

    中村 そこは2万2000人の会場なんですけど、ひさしぶりのプロレスなんで、たぶんチケットは売れ切れます(笑)。

    ――凄い!(笑)。

    中村 最後にやったのが一昨年6月で、そのときは3500人の会場だったんですけど。パッと見た感じ、1000人くらいが会場に入れなくて怒ってましたし(笑)。

    ――ネパールでは人気コンテンツなんですねぇ。

    中村 向こうは娯楽がないこともあるんです。だって軍の警備も「プロレスが見たい!」って言ってきますからね。400人の兵隊がマシンガンを片手に会場を警備しながらプロレスを見てるんですよ(笑)。

    ――なんだか物騒すぎますね(笑)。

    中村 リングサイドは富裕層なんですけど、スタンドはガラが悪い客が多いんですよ。何かあるとすぐに暴れるからスタンド最前列にマシンガンを持った軍の警備が並んでるですよね。暴動が起きそうになると「シットダウン!」と叫んで銃口を向けるんです。あと木の棒で客をボコボコ殴ったりね(笑)。

    ――それだけ度を超えちゃう観客が多いってことですね。

    中村 ボクなんかが開会式でマイクでスピーチするんですけど、「貧乏人のミャンマーの皆様……」とか。

    ――そんな煽りを!(笑)。

    中村 「世界で一番貧乏なネパールになんで来なきゃいけのか。臭い、汚い、視界に入れるのも嫌だ!」とか言ったり(笑)。

    ――中村さんはネパールでは悪役なんですか?

    中村 大ヒールですよ。悪名が轟いてますね(笑)。

    ――ネパールの町とか歩いて大丈夫なんですか?

    中村 いや、ダメです。リングではサングラスを掛けてますから、普段は外してますね(笑)。

    ――サングラスって完全に王道ヒールですね(笑)。

    中村 それでも町中を歩いていると「ナカムラ?」って聞かれるんですけど、「アイム・チャイニーズ」って答えて誤魔化してますね(笑)。今度ネパールの大統領官邸に表敬訪問もするんですよ。その代わりレスラー全員スーツを着てくれって言われてて。

    ――ネパールで一番人気のあるレスラーは誰なんですか?

    中村 昔はヒマラヤンタイガーだったんですけど。もう61歳なんで。

    ――えっ、ヒマラヤンタイガーって61歳なんですか!(笑)。

    中村 じつはおじいさんなんですよ(笑)。彼が現地でプロレス団体をやってたんですけど、2つに分裂しちゃったんですよね。ヒマラヤンタイガーが儲けを独り占めするようなおじいさんなんで。

    ――日本プロレス界黎明期と同じ流れ!(笑)。

    中村 歴史は繰り返すんですよね(笑)。ヒマラヤンタイガーの弟子だった子が離脱して新団体を作って、ヒマラヤンタイガーのほうがダメになって潰れちゃったんですよね。

    ――まさに日プロ状態(笑)。歴史を見れば何が起こるかわかるもんなんですね。ミャンマープロレスの模様は次回のインタビューでうかがわせてください!


    ――紆余曲折ありながら、橋本さんはゼロワンを旗揚げすることになりますが、あの時点で新日本と橋本さんの関係は切れていなかったんですよね。

    中村 ゼロワンの旗揚げ戦は、新日本プロレスの名前で両国国技館を借りてもらってたんですよ。ただ、NOAHさんからけっこうな人数のレスラーをお借りする手前、新日本が表に出るわけにはいかない。橋本さんもNOAHさんには「新日本とは切れました」と説明してましたから。

    ――それでも新日本傘下の団体ではあった、と。

    中村 新日本プロレスの衛星団体として、ゼロワンを活動させるという思惑があったんですよ。橋本真也というレスラーは新日本の本隊にはもういらないけど、もうひとつの物語を作るのはいいんじゃないか、と。それにゼロワンは新日本と違ってテレビ朝日の括りのない団体だから、自由にいろいろとできるわけですよね。

    ――そこの猪木さんのUFOと発想は近いんですね。

    中村 似てますね。新日本の上層部はゼロワンでもそういう考えがあったでしょうし、方向性が見えていたわけですよね。だから3月2日の両国国技館をやる前から、ゼロワン第2戦の会場として日本武道館も抑えてたんです。

    ――衛星団体としてやる気満々だった。

    中村  あのときたまたま両国も武道館もボクが営業担当だったんです。でも、新日本が表に立つことはできないから「ZERO-ONE広報 山口悦男」という名刺を作って動いてたんです。

    ――山口悦男さん!(笑)。

    中村 みんなわかってるんでしょうけど、「私は山口悦男です!」と(笑)。

    ――ハハハハハハハハハハ! メインイベントは三沢光晴&秋山準vs橋本真也&永田裕志という対抗戦で、試合後は小川直也、藤田和之らも加わっての大乱闘劇が話題を呼びましたが、新日本主導のプロデュースなんですか?

    中村 いや、すべて橋本さんです。そこは新日本が橋本さんに全権を預けたんです。あのときの橋本さんは目がイキイキとしてましたよ。自分しかできないことをやってる喜びと言うんですかね。NOAHさんとも話をしたのは橋本さんですし。新日本がやってるとなったらNOAHさんは協力はしてくれなかったと思うんですね。

    ――そうはいってもNOAHは新日本の影を感じてたんじゃないですか?

    中村 そこは三沢社長に大人の対応をしていただいたんだと思います。ただ、ゼロワンがテレビ朝日の管理下に置かれていないのは事実だったし、NOAHさんの日テレ中継が開始するのが4月だったので、タイミングはよかったんですよ。ゼロワン旗揚げ戦の3月はギリギリセーフ。

    ――つまりNOAHにもしがらみは何もなかったんですね。

    中村 あの当時、NOAHのリングで三沢社長と秋山さんはタッグを組んでなかったんですけど、「ゼロワンだったらいいよ」と。異例のタッグを組んでくれたのは橋本さんに対する三沢社長の御祝儀ですよ。ボクも“山口悦男”ながら「いまは新日本ですけど、のちのちZERO-ONEに合流します」とNOAHさんに挨拶してるんですけど(笑)。

    ――本当にゼロワンに合流する考えはあったんですか?

    中村 あのときは正直そんなことは考えてなかったんですね。あくまで新日本からの出向という立場だし、橋本さんが社長の団体って怖いじゃないですか(笑)。

    ――ここまでの経緯を振り返ると、ちょっと飛び込みたくはないですね(笑)。

    中村 橋本さんのことはひとりのレスラーとしては尊敬してますけど、経営者としてはいかがなものか……って(苦笑)。だから願わくば新日本とゼロワンはずっと繋がっていてほしいな、と。

    ――ゼロワンへの出向を拒否することはできなかったんですか?

    中村 じつはあのときゼロワンの法人格を取得してるんですよ。有限会社ゼロワン。橋本さんが代表で、そのとき新日本からゼロワンに行くスタッフはボクじゃなくてWさんだった。

    ――武藤(敬司)さんと全日本に移籍してW−1をやったり、そのあとK−1広報を務め、現在は再び新日本に戻っているWさん。

    中村 Wさんがゼロワンのフロントトップという話が決まってたんですけど。3月2日の旗揚げ戦のあとに新日本と橋本さんが揉めるんですよね。理由は旗揚げ戦で橋本さんがガッチリ儲けちゃったから。

    ――あらまー(笑)。両国国技館、超満員でしたもんね。話題性もありましたし、たしかゼロゼロ年代以降の『週刊プロレス』で一番売れたのは、あのときの詳報号だったとか。

    中村 新日本としては「興行の売り上げを新日本に入れろ」と。橋本さんは「これは自分でやった興行だから嫌だ。会場の使用料、選手のギャラは渡す」と。しかも橋本さんは、盛って返したんですよ。でも、新日本は全額じゃないとダメだと。

    ――それは揉めますねぇ。

    中村 でも、有限会社ゼロワンの代表取締役は橋本真也だから。

    ――法的には橋本さんに分がありますね。

    中村 あの興行が5000〜6000人しか入ってなかったら、あんなに揉めることはなかったんですよ。それがとてつもない人数のお客さんが入って、チケットは完売。PPVもバカ売れですよ。ボクの記憶だと、あの日の売り上げは8000万円くらいありました。

    ――8000万円!

    中村 当日券の行列が両国から駅まで伸びちゃって、対応が間に合わなくて両国国技館から怒られちゃいましたから。まだけっこうな人数が並んでるのに「申し訳ないですけど、チケットは売れ切れです!」ってお客さんに謝りましたからね。それでなんだかんだ経費を除いても4000万円は手元に残ったんですよ。

    ――新日本としては衛星団体としてやるはずだったのが計算が狂いますよね。

    中村 ゼロワンの株式を新日本が全額買い取るという話もしてるし、橋本さんと年間契約をし直すという案も提示もされたんですけど。橋本さんはNOAHさんとの交流が始まってるからそれはできない、と。それに「引退までさせられて何を言ってるんだ」と溝は大きくなってしまって。ボクは毎朝、当時新日本の社長だった藤波さんに橋本さんの言い分を報告して、お昼には橋本さんに藤波さんの考えを報告する。伝書鳩で行ったり来たりしてましたね(笑)。

    ――嫌な役回りですねぇ。

    中村 藤波さんは橋本さんのことをよく考えていてくれて「橋本のためにはこうしたらいいんだ」と言うんですけど、橋本さんは「俺なら新日本と離れてもできる!」と意気込んでいて。

    ――両国の大成功で橋本さんの野心が燃え上がってしまったんですねぇ。

    中村 交渉が物別れになりつつある中、新日本は「今度の武道館大会を手伝うわけにはいかない」という方針が決まったんです。その時点でWさんの出向プランも消えた。ゼロワンは新日本から一切援助は受けられなくなったんですが、ボクはNOAHさんとの約束もあったから「日本武道館が終わるまではやらせてください」とお願いしたんですよ。会社も「おまえがそういう気持ちだったらしょうがねえな」ってことで宣伝カーも貸してくれて。新日本のロゴを隠して使いましたよ(笑)。

    ――山口悦男として(笑)。

    中村 ただし、そこで大問題が起きたのは新日本だけじゃなくてNOAHさんからの協力も難しくなってしまったんですよ。

    ――何かトラブルがあったんですか?

    中村 4月1日からNOAHさんは日テレさんとの契約があるから自由には動けない。

    ――あー、日テレ中継が始まっちゃったんですね。

    中村 それに日本武道館はNOAHさんにとっては全日本プロレス時代からの聖地じゃないですか。NOAHですらまだ武道館はやってないのに、なんでゼロワンの武道館大会に協力を……という気持ちが少なからずあったと思うんです。

    ――そこまでしてゼロワンの協力する道理があるのかってことですね。

    中村 あと武道館もスカパー!のPPVでやろうとしたんですけど、NOAHさんの選手が出た試合に関して、映像の権利は日テレに戻さないといけないという条件だったんです。スカパー!としてはそれは納得がいかないということで話が止まってしまった。だからNOAHさん絡みのカードはなかなか発表できなかったじゃないですか。

    ――三沢光晴&力皇vs小川直也&村上和成のカードは、メインイベントなのにギリギリの発表でしたね。

    中村 それは映像権利の問題があって発表できなかったからです。そこで交渉を重ねて重ねて重ねて、大会前日か前々日にまとまって。ようやくそのタッグマッチを発表したら、当日券だけで5000枚売れましたね。

    ――5000枚!(笑)。

    中村 当日券ですよ?(笑)。前売りは4000枚で止まってたんですけど。

    ――三沢vs小川の初対決ですから刺激的でしたよね。

    中村 3月2日の旗揚げ戦で小川さんと三沢社長がリング上で絡んで大騒ぎになったじゃないですか。三沢社長と小川さんがやることがセンセーショナルだと思ったんです。三沢さんは「とにかくテレビの問題だけはクリアしてくれ。こっちは逃げも隠れもしないし、どんなカードでもやるから」って。三沢さんの器量は凄いですよ。

    ――当時の小川直也って不穏試合の印象が強いから、あまり絡みたくない相手ですよね。

    中村 誰もやりたがらないじゃないですか。でも、三沢社長は「なんでもいいよ」と。

    ――あそこで力皇選手をパートナーに持ってきたセンスも抜群ですよね。

    中村 あの試合で力皇さんが開花したじゃないですか。三沢社長は力皇さんの当たりの強さ、受けの強さを見ぬいて起用したんだと思うんですね。

    ――そうして武道館大会もまた儲かっちゃったわけですね。

    中村 新日本に呼ばれて「今回の興行はどうだった?」「前回ほどではないですけど、利益は出ました」「わかった。ゼロワンを手伝うのはここまでだ」と。 
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。