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若松孝二監督が亡くなった。若松監督には『イーター』5号でインタビューさせてもらったことがあり、さらに単行本『ムービー・パンクス』にそのインタビューを再録させてもらっている。『イーター』では先鋭的な映画監督も多く取り上げてきたが、若松監督こそ彼らの先達であり常に指針であり続けた。
若松孝二という名前は、僕の学生時代に既に最も過激な映画監督として鳴り響いていた。キャンパスのタテ看に書かれた「若松孝二監督作品上映会」という文字の威圧感は、今も鮮明に記憶に残っている。
実際に若松作品を観るようになったのはビデオが普及しだした頃で、『犯された白衣』などの初期の作品に衝撃を受け、若松作品を探して中央線沿線のレンタルビデオ屋を回ったものだった。
『イーター』でのインタビューが実現したのは1997年7月のこと。阿部薫と鈴木いづみの生涯を描いた『エンドレス・ワルツ』という映画を、町田康の主演で若松監督が制作し、そのイベントがロフトプラスワンで行われた。その時に町田康に若松監督を紹介してもらい、インタビューをお願いしたのだった。
インタビューは千駄ヶ谷の若松プロの事務所で行った。監督と差し向かいで二人きり、これ以上はないというほど緊張した二時間だった。帰る時には口の中がカラカラになっていた。しかし、そんな僕にも若松監督は、ピンク映画時代の話からパレスチナ・ゲリラとの交流、映画や若い世代に対する思いを、惜しむことなく語ってくれた。その懐の広さに深く感じ入ったものだった。
若松監督はここ数年、次々と大作を発表し、海外での評価も高まり、まさに絶好調だった。それだけに一層、監督が亡くなった喪失感は大きい。その言葉を直接聞いた者として、『イーター』が少しでもその遺志を継ぐことができるのだろうか。
地引雄一 2012年11月2日