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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「『カリオストロの城』前史 【2】 監督 宮崎駿の転換期」
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「『カリオストロの城』前史 【2】 監督 宮崎駿の転換期」

2018-03-20 06:00
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    岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/03/20
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    今回は、ニコ生ゼミ3月11日(#221)から、ハイライトをお届けいたします。

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     『カリオストロの城』前史 【2】 監督 宮崎駿の転換期


     『ルパン三世』のテコ入れを終えた後、宮崎駿は、72年73年に『パンダコパンダ』の劇場版の製作に参加し、その後にズイヨーに移籍します。

     そして、『アルプスの少女ハイジ』の準備をし、それが放映される、という流れになるわけです。


     さて、『アルプスの少女ハイジ』と『母をたずねて三千里』をやったところで、宮崎駿は、自分のアニメーターとしての生き方に疑問を覚えるんですね。

     というのも、『太陽の王子ホルス』の頃からずっと、宮崎駿というのは「イメージボードを描いて提出すると高畑勲が採用してくれる」というやり方をしていたんです。


     どんな仕事をする時も、自分が「これは面白い!」と思ったシーンを、圧倒的な画力とイメージ力で、まず絵にしてしまう。

     それを上の人間に見せると、監督も、それを採用せざるをえない。

     すると、そのシーンを入れるためにストーリーが全部 変わってきて、作品が自分のものになっていく。

     宮崎駿は、こういう事をずっとやっていたんです。


     ところが、『アルプスの少女ハイジ』と『母をたずねて三千里』では、初めてそれが出来なかったんですね。

     高畑勲に、いいように扱われてしまったんですよ。


     それまでは、高畑さんが「こういう作品を作ろう」と決めたことでも、宮崎さんがそれよりも良いイメージボードを描いてきたら、「それカッコいいじゃんか! 出そうよ!」ということで、どんどん変えてもらえた。

     ところが、『ハイジ』と『三千里』というのは、原作という大本になるストーリーがあったんです。

     そして、高畑勲というのは、本当に原作を大事にする人なんですよ。
     そこを曲げなかったんですね。

     結果、この2つの作品を作るにあたって、宮崎駿はものすごく働いたんだけど、それはあくまでも高畑勲のイメージを膨らますための道具として使われることになりました。

     もちろん、本来の関係性で言えば、これは本望なことのはずなんだけども。

     
     これまでのわがままを言えた立場からは変わってしまったんです。

    ・・・

     僕、なんかね、当時の宮崎駿のこういう感覚、わかるんですよ。

     僕も昔、SF大会とかをやっていた時に、トップに立つのがすごく嫌だったんですね。
     実行委員長とか、代表とかになるのがすごく嫌で。

     そうじゃなくて、「2番目か3番目くらいで好きなことを言っていて、上の人にそれを採用させる」というのがすごい好きだったんですよ。

     後で聞くと、赤井孝美もそれが大好きだったそうで、赤井孝美は僕に対して、「こういうふうにしましょう!」ってやっていたわけですね。

     あとは、山賀もそうなんですけども(笑)。


     やっぱり、みんなそうなんですよ。

     「一番上に社長とかプロデューサーというのを置いて、散々わがままを言って、採用されたらラッキー、採用されなかったら文句を言えばいい」というポジションが、やっぱクリエイターというのはすごく楽なんですね。

     宮崎駿も、その立場でずっとやってたんですけど、しかし、ついに高畑勲が宮崎駿の使い方というのを わきまえてしまったんです(笑)。


     『母をたずねて三千里』と『ハイジ』の製作において、高畑勲は宮崎駿を使いこなしてしまいます。

     その結果、1977年にNHKから『未来少年コナン』というアニメの話が来た時に、宮崎駿は自ら監督をすることに乗り出したんですね。

     「自分はこのまま1スタッフになってしまうのか? 自分がやりたいイメージを映像化するには、やっぱり自分が監督をしなきゃダメだ!」ということで、77年に『未来少年コナン』というのを作ります。

    ・・・

     ところが、『コナン』をやった時に、宮崎駿はジレンマにぶつかります。
     というのも、監督をやると、友達が描いたカットにボツを出さなくてはいけないんです。

     具体的に言うと、それまでずっと親友として一緒にアニメーションを作ってきた年上の大塚康生が描いたカットにも、ボツを出さなきゃいけない。

     大塚さんから「俺にもラナを描かせてくれよ!」って言われた時も、「いや、大塚さんはラナを描いてはいけない。大塚さんはジムシィを描いてください」というふうに、親友の頼みを断らなきゃいけなかったんです。

     
     これ、大塚さんは、真剣に「ラナを描かせてくれ」って言ったんですけど、宮崎駿は「ラナだけは俺が描く!」って言って描かせてくれなかったんですよね。

     こんなことがそこら中であったもんだから、どんどん友達が減っていって、宮崎駿はそれですごいヘコんだそうです。


     結果、まあ、やりたいことをやりきったというのもあるんですけど、『コナン』が終わった後で、「もう監督なんてこりごりです。スタッフとして手伝わせてください!」ということで、高畑勲の所に頭を下げて『赤毛のアン』の手伝いに行くんですね。

     しかし、単なる1スタッフとして働こうとしたんですけども、前にも話した通り、現場に入った宮崎さんは、初日の内に隣の席に座っているアニメーターに「それは違う!」と言って描き直したりして、エラいことになったそうなんですけど(笑)。

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