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「『カリオストロの城』前史 【3】 『リトル・ニモ』という夢の顛末」
「9人の老人」とか聞くと「白雪姫か!」って思うんですけど(笑)。
次に、プロデューサーにジョージ・ルーカスを呼んできて、脚本をレイ・ブラッドベリに書かせて。
おまけに日本側のスポンサーとして、サラ金のアコムを連れてきたんですね。
このアコムが、事実上 “金の蛇口” と化して、ナンボでも予算を出してくれたんです。
そして、「アメリカのアニメーション技術を教える」ということでナイン・オールドメンを出したアメリカに対して、日本側が用意した、実際にアニメーションを作るスタッフというのが、宮崎駿と高畑勲と、さっき紹介した近藤喜文たちだったんです。
そんな、「今 考えたら本当にありえないような日本のクリエイターたちを全員ハリウッドに連れて行って、ナイン・オールドメンが彼らに向けて授業をする」という嘘のような話があったんです。
ナイン・オールドメンは、『カリオストロの城』を一目見て「これを作ったやつらに俺達が教えることが本当にあるのか?」と言ったくらいですし。
そこで偶然にも『カリオストロの城』を見ることになったスティーブン・スピルバーグは、いまだに「俺がカーチェイスシーンを撮らないのは、『カリオストロの城』に勝てるはずがないからだ」と言っている。
後に、ピクサーを作って大映画監督になりプロデューサーにもなるジョン・ラセターもディズニーに入社してアニメーションを作りたいと思っていた時に、この上映会に巻き込まれたそうです。
そして、これを見た瞬間に「もう俺は宮崎駿の弟子になる!」というふうに決めてしまったそうです。
後に、アメリカではいろんな賞を取ったんですけども、まあ、『カリオストロの城』と同じように、興行的には全く成功と呼べない作品になってしまったんですね。
仕掛け人だった藤岡さんも、映画の公開の前年に、失意のうちにこの世を去ってしまいます。
当時80年代の初めというのは、音楽はYMOが、テクノロジーはソニーが、経済では後のバブル経済になるものが、確実に “ジャパン・アズ・ナンバーワン” を後押ししていた時代なんですね。
この「トップが取れたはずなのに! 世界を征服していたかもしれないのに!」というのが、僕の信じてやまない妄想なんですけども。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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