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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/12/03
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今回は、ニコ生ゼミ11月25日(#258)から、ハイライトをお届けいたします。

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 冷戦と4人の大統領


 では「冷戦と4人の大統領」の話をします。


 何でスタンリー・キューブリックが1968年に『2001年宇宙の旅』の映画を公開したのかですね。

 この映画の企画自体は1964年に始まるんですけども。

・・・

 そもそもの今回の話は、1957年から始めます。

 こんな事をやってるから時間がかかるんですけども(笑)。 


 2018年9月30日のニコ生ゼミで「スプートニクが打ち上がりました」という所まで宇宙の話をしたと思います。

 スターリンが倒れて、ソ連の新しい指導者としてニキータ・フルチショフがトップに立ってですね。

 それでフルシチョフはとりあえず財政が破綻しているソ連を建て直そうとして、何とか安くて効果的な兵器を探していたと。


 第二次世界大戦に勝って、そのあとスターリン体制で調子こいていた軍部は、ひたすら人数を増やそうとしていたので。

 もうこんな事では、ソ連の経済五ヵ年計画なり、もしくは「西側の経済成長に追いつけ」という目標が絶対に達成しそうにないと。

 それで「軍を縮小とまでは言わないけども、何とか安く出来る方法は無いのか?」とフルシチョフは考えてたんですね。


 アメリカは核兵器をいっぱい積んだB-52戦略爆撃機で、ソ連との国境付近を24時間飛んでいると。

 「この包囲体制を突破できる方法は無いものだろうか?」とフルシチョフに言われて、「その方法が核ミサイルだ」と。

 核爆弾を積んだミサイルで、アメリカを直接攻撃してしまおうと。

 「これは安く付く」と言われて、フルシチョフは「ほう!」と思ったんですね。


 しかし、この原爆を作るのも、ミサイルを作るのも金がかかると。

 それで「もっと安くて簡単な方法があります」というふうに、ソ連のロケット科学者コロリョフというヤツに説得されたんです。

 「電波を出す機械を宇宙に打ち上げればいい」と。


 「それをアメリカの上空に、地球一周1時間30分エンドレスでグルグルグルグル周したら、彼らは恐怖に震え上がるでしょう」と。

 「その機械の名前は “人工衛星” と言います。 名前も考えています。 “スプートニク” です!」

 そう言われてフルシチョフは「それ、いいね!」と思って、承認したんですね。


 それで、たった一人でこういう計画を全部考えていた、まるで手塚治虫のようなコロリョフがですね(笑)。

 「はい! それはコロリョフがやります!」というようなおかげで、コリョロフもやっぱり体を悪くして早く死んじゃうんですけども。

 そのコロリョフのアイデアをフルシチョフは気に入って、1957年の10月に世界初の人工衛星 “スプートニク” を打ち上げました。


 ここまでが9月30日のニコ生ゼミで話したお話のラストまでです。

・・・

 それで1957年の10月。

 僕が生まれる1年前ですね。


 スプートニクが打ちあがった時には、もう本当に世界中が大パニックになりました。

 これは松竹映画のタイトルなんですけども「特報、ソ連人工衛星」って映画が公開されたぐらいなんですよ(笑)。

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 それで、これは完全にソ連のプロパガンダ映画で、「ソ連がやっている事は、こんなに凄いんだ!」と。

 「我々は犬までの乗せて宇宙カプセルを宇宙に上げちゃってるよ」っていう宣伝映画なんですけども、大ヒットしたんですね。

 それでフルシチョフの目論見どおり、世界中は大パニックになりました。

 特にアメリカが受けたショックは、すさまじかったです。


 当時、本当はアメリカの方がロケット開発は進んでいたんですけども。

 ドイツから亡命していたフォン・ブラウン博士を始めとする数百人のナチス・ドイツの科学者もいたし、無傷で手に入れたV2ロケットや機材がいっぱいあったんですけども。

 でも、それらは実はアラバマ州のハンツビルっていうド田舎のレッドストーン工廠という所に閉じ込められていた。


 アラバマっていうのはですね、『紅の豚』でカーチスのオフクロがいるところですね、「アラバマのオフクロ、待っててくれよ!」って。

 いわゆる田舎の代名詞として使われている州(笑)。


 日本でいうと、どこなのかな?

 島根かな。

 あの辺だと思ってください(笑)。


 その田舎にフォン・ブラウン チームは閉じ込められて、開発が許されなかったんですね。

 ドイツのV-2号を組み立てて、打ち上げる事の実験までは許されるんですけども、新しいロケットを開発する事は許されてなかった。

 それが何でかっていうと、答はドワイト・デビッド・アイゼンハワー大統領なんですね。

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 アイゼンハワー大統領は、1950年代のアメリカの大統領です。

 ノルマンディー上陸作戦を成功させた、アメリカの陸軍の将軍ですね。

 それで戦後、アメリカの大統領になりました。

 ドワイト・アイゼンハワーです。


 現実主義者ですね。

 それで近年の研究では、「実はアメリカの歴史上で最高の大統領だった」というふうに言われています。


 この人からケネディに代わったときは、いわゆる “ケネディの新しい政策” というのが凄く受けていたので、逆にアイゼンハワーは「何もしなかった大統領だ」と当時は言われたんです。

 だけど今の研究では逆で、「実は悪くなろうとしているアメリカを、ほとんど一人で止めていた」というような大統領です。


 たとえば1945年の、第二次大戦が終わろうとしている7月ですね。


 日本軍の敗北が もう決定的で、時間の問題になっている時にですね、トルーマン大統領が日本への原爆投下っていうのを考えていました。

 軍部の方も、それで押しています。

 それに対してアイゼンハワーは、一人で「原爆を使うな」と大統領に進言しています。

 「そんな事をしなくても戦争は終わるから、原爆なんか使ってもしょうがない」、「それをすると、占領政策がややこしくなるだけだ」と言っています。


 それと同時に、第二次大戦のノルマンディー上陸作戦を成功させた英雄であるが故に、逆に軍部とか軍産複合体の動きを止めようとしていた。

 軍産複合体とは、軍部と産業界ですね。

 いわゆる企業が結託して、売り上げを上げるために、軍部の力を維持するために、企業の売り上げを上げる為だけに戦争を拡大させて、戦争を長引かせて、戦争を増やそうという、そういう動きに ものすごいアレルギーを持ってたんですね。

 それを止めさせたいと思っていた。


 ノルマンディー上陸作戦というのは、軍産複合体に協力してもらわないと成功できなかった、いわゆる “物量作戦” でもあるので、逆にその恐ろしさっていうのを知り尽くしていた人なんです。


 それで第二次世界大戦が終わった後、当たり前なんですけど兵器の売り上げが激減しました。

 どんなに軍産複合体が頑張っても、戦争自体が無くなっちゃったんですから。


 なので、飛行機を作っていた工場は、アルミニウムとかステンレスとかの使い道に困ってですね、「台所のシンク(流し台)をステンレスで作りましょう!」とか、あと「ユニットバスというのを考えました」と 「お風呂とトイレを合体させて、それを全部 金属で作りましょう!」って、金属製のバスタブっていうのも作ったんですね。


 だから今も僕らがキッチンとかで金属製のシンクを使っているじゃないですか。

 あと一昔前のユニットバスって、金属で出来ていたのを覚えている人もいると思うんですけども。

 実はあれは、その時代のアメリカの兵器産業メーカーの生き残り戦略なんですね。


 それを僕らは今だに「え? キッチンのシンクって金属でしょ?」って思い込んでいるんですけども、あれは本当にアメリカの兵器産業の転用っていうのを一生懸命やった結果なんです。


 なので軍産複合体っていうのは、“新しい敵” と “新しい戦争” っていうのを必要としていました。

 その為に「でっちあげた」と言うのは言いすぎかも分かりませんけども、かなり大げさに吹いて吹いて吹きまくったのが “ソ連の脅威” だったんですね。

・・・

 実はスターリン亡き後のフルシチョフ書記長のソ連っていうのは、他所の国、特にアメリカ相手に戦争する体力なんて、もう本当に無いんですよ(笑)。

 ただ、とりあえず自分たちが強そうに見せかけてる。

 「強そうに見せかけないと、アメリカに攻め込まれる」って思ってたから、とにかく自分たちを何とか強く見せかけようと思ってたんですけどね。


 そのソ連を、どこまで知ったか分からないんですけども、かなり大げさに「アメリカの敵である! 脅威である!」というふうに広めました。

 なので、このキャンペーンは結果的に大成功してます。


 第二次大戦中から大戦直後まで、ドイツ人とか日本人という、いわゆるファシストを本当に鬼のように憎んでいたアメリカ人が、5年もしないうちに「日本とかドイツは、かつては敵だったかもしれないけど、今は自由陣営で味方だ」と、「それよりも共産主義者が怖い! 共産主義者が憎い!」ってふうにアメリカ中がこの共産主義・社会主義に対して否定的な感情を持つようになったのは、この時代の軍産複合体の一大キャンペーンのおかげなんですね。


 しかし、現実主義者のアイゼンハワーは、そういう軍と企業の複合体とか、あとそれに騙されている国民の声っていうのを何とか押さえつけてですね、軍事予算が膨らんで行くのを本当に阻止しようとしていたんですよ。


 当時、単なるフランスの植民地戦争であった “インドシナ戦争” というのがありました。

 これはフランスが植民地として経営していたインドシナ半島あたりで起きた革命とかの騒ぎを、アメリカは援助していたんですね。

 それもアイゼンハワーの前のトルーマン大統領という人が、勝手に援助を始めちゃったんですけど(笑)。


 トルーマン時代にアメリカの支援が始まったんですけども、これをアイゼンハワーは、止めさせる事は出来ないんだけども、何とか少なくしよう、少なくしようとしてたんですよ。

 それで当時、このアイゼンハワー大統領の時代に副大統領だったニクソンが「小型原爆を使わせてください!」と。

 「ベトナム人たちには原爆がちょうどいいですよ!」と言ってきたら「お前、バカか」と言って、それを却下してですね。


 次に軍部が「B-29があったじゃないですか。 あれは朝鮮戦争ではロクに使えなかったけど、第二次大戦では大活躍しました。 あれをインドシナに送って、アメリカ空軍を直接派兵して、イッキに解決しましょうよ!」って言ってきたら、これも「お前はバカか」と言って却下してですね。

 とにかくアメリカ軍が直接インドシナ半島に入る事を、ずーっと阻止してたんですね。


 ところかこの努力も、ジョン・F・ケネディが大統領になった瞬間に全部パーになってですね。

 もうすでにフランスは撤退してるのに、インドシナ半島に直接の介入っていうのをケネディは決めちゃった。

 そのおかげでアメリカは、この後 地獄のベトナム戦争っていうのに突入するんですね(笑)。


 このアイゼンハワー時代までは、インドシナ戦争で、アメリカは支援はしてるんだけど直接介入はしてなかった。

 だけどジョン・F・ケネディが直接介入を決めちゃったので、泥沼のベトナム戦争が始まってしまいます。

・・・

 それで結論からいうと、アポロ計画とベトナム戦争は表裏なんですよ。

 世界を支配したいとまでは言わないんですけども、コントロールしたいアメリカにとっての夢と悪夢。

 表裏なんですね。


 アイゼンハワーは、アポロ計画も必死で阻止してたんですよ。

 それをケネディがロクな考えも無く始めてしまったのがアポロ計画とベトナム戦争。

 それでジョンソン大統領がこれを育てて、どんどん広げていった。


 最後に、この両方ともを、何故かニクソン大統領が最後にケツを持って、ベトナム戦争を終わらせたようなフリをしたり、あとアポロ計画を成功させた。

 月着陸したときの大統領はニクソンなんですよね。

 だから、コイツらがいろいろと苦労してたのを、全部ニクソンが持っていったみたいな感じになってるんですよね(笑)。

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 これが冷戦の4人の大統領なんですね。

 それでアイゼンハワーはミサイル開発もOKしなかった。


 さっき言ったフォン・ブラウン チームをアラバマ州ハンツビルに閉じ込めて、「ミサイル開発なんて、しなくていい」ってずーっと言ってたんですけども。

 それは何でかっていうと、ハッキリ言って、これ以上アメリカの軍事予算を増やしたくなかったから。

 だからフォン・ブラウン チームは、いい事か悪い事か分からないですけど、アラバマの田舎でおとなしくして欲しかったんですね。


 しかし、ソ連のスプートニクでイッキに情勢が変わっちゃいました。

 アメリカ国民は96分ごとに、1時間36分ごとに、自分の家のラジオから聞こえる「ピーッピーッ」というスプートニクの音にパニックになっちゃったんですよね。


 それで「ソ連はアメリカを宇宙から攻撃できる」とか「アメリカには時代遅れな飛行機しかない」と思い込んだ。

 これが世に言う “スプートニク・ショック” です。


 スプートニク1号は83.6キログラム、スプートニク2号でも508.3キログラムです。

 当時、ソ連の技術では原子爆弾というのを2トン以下で作る事は出来なかったんですね。

 だから、まだまだ原爆をミサイルでアメリカに届かせる事なんて不可能だったのに、アメリカ人は本当に過剰に反応して「明日にもソ連の核ミサイルが降ってくるんじゃないか!?」と思ってた。


 ソ連がアメリカを恐れるのも当たり前で、アメリカ人は、「ソ連が核兵器とミサイルを持ったら、すぐに攻撃してくる」と思っちゃうような国民なんだ。

 それは、イコール “自分たちが核兵器とミサイルを持ったら、すぐにソ連を攻撃しよう” とするようなヤツらなんですね。


 人間っていうのは、何かに怯える・何かに怒るっていう事は、ソイツがそれをやりかねないから、怯えたり怒ったりするわけでですね。

 だから僕が怒りやすい人をあんまり信頼しないのは、“正義に燃えて怒る人” っていうのは、だいたいそういう事を考えているヤツ、そういう事をしかねないヤツだから。

 それは皆さんも『デビルマン』の第五巻で学んだ通りなんですけどね。

 なので、正義っぽいヤツを俺は信じないんですけどね(笑)。


 まぁ、アメリカ人っていうのは、元々そういう先制攻撃をするのを厭わない民族ですからですね。


 という事で、スプートニク・ショックでアメリカ人は「もう戦争は終わった。 ファシストとの戦いは終わった。 アメリカは勝ったんだ」、「これからは自由な民主主義の時代が来る」という楽天主義から、イッキに「次の戦争でソ連に負けるかもしれない」「それは明日かもしれない。 来週かもしれない。 来月かもしれない」という絶望感にシフトしていった。

 これが “スプートニク・ショック” ですね。
 

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