快傑のーてんき1187さん/48歳/耳鼻咽喉科開業医/必ず解決!ズバっと
「ゼネプロはあれから?」
【質問】
“初めてメールいたします。私は、中学生の頃からずっとどこかで岡田さんの記事や書籍を拝見しておりました。実家が鶴橋でしたので、ゼネプロにもよく通い ましたし、knownspaceclubの114番でした。あの頃のお店の雰囲気がとても好きでした。受験で忙しくなりオタク業務が出来ず、そのまま現在 に、、。ずっとオタキングの先生を尊敬いたします。
ところで質問ですが、ゼネプロはあれからどうなったのでしょうか?”
【回答】
ゼネプロっていうのは『アオイホノオ』の直後の話だよね。
ダイコンⅢオープニングアニメをやった後で、まず僕が大学に行ってない事が親にばれる。そして、武田さんは何回も2年生をやってる事がついに親に激怒される。僕と武田さんは、どうにかして人生設計をやるしかなくなったわけだ。
その時、僕は一瞬気が迷って、海洋堂に行って、「僕は海洋堂のメンバーとして生きていきます!」みたいな事を1回言ったがために、いまだに海洋堂のお母 さんには、「飼い犬に手を噛まれた!」とか、裏切り者扱いされて――(会場笑い)。この前の50周年パーティーで、やっと許してもらったという事があった んだけどさ。
その時に、その庵野君や赤井君に絵を描いてもらって、それを売るオタクショップのはしりみたいな事をやったんだよね。それが大阪で開いた10坪ぐらいの小さいSFショップのゼネラルプロダクツ、略してゼネプロっていうんだ。
具体的にそれがどうなったか、といえば、僕が山賀君と一緒に東京に来て、ガイナックス作った時には、まだ両方あったんだよ。ガイナックスとゼネプロと両方あったんだけども。ゼネプロの方が、物はある程度売れるんだけども、だんだん活気がなくなってきたと。
あきらかに「東京でやっている岡田と山賀のアニメの方が面白そうだ」と。で、それに対抗して、赤井君が「大阪でもできるんだ」という事で作ってた企画 が、『八岐大蛇の逆襲』っていう16ミリの怪獣映画だったんだけど、これがすごくしんどかったんだ。出来はいいんけだけど、ダイコンのオープニングアニメ みたいに大ヒットするわけでもないんだ。
で、「みんなで東京に来てアニメ作ろうや」ってことになって、大阪のお店を閉めちゃった。ゼネプロは1回ここで閉店。東京のガイナックスの一部にゼネラルプロダクツのショップという事でオープンしたんだけども、ここでも、だんだんオリジナル商品が作らなくなってやめた。
ワンダーフェスティバルを海洋堂に譲り、東京でもしばらくやってたんだけど、そのあたりから、ガレージキットの新作を作るのもやめて、ゼネプロをやめてしまいました! という事であります。
去年ぐらいから、今のガイナックスがゼネラルプロダクツというブランドを立ち上げて、グッズの販売とかを始めたそうなんだけど、今どうなってるのか分からない。
それより山賀君、「ドバイから金を引っ張ってきて、新しくアニメを作る話はどうなったんだね?」と聞きたい。今、俺が1番気になってるのは、そっちだけ ど。前回、お前に聞いたときは、「ドバイは今、ラマダンに入っていて、あらゆる決済が下りない」って、言ってたんだけど。「もう、ラマダンは終わっただろ う!?」「そんな面白い話、教えろ!」という事で(笑)。
今度は、”東京都吉祥寺、岡田斗司夫さん”からの質問だよね。「ガイナックスさん、ラマダンは終わったんだけど、蒼きウルは作るのでしょうか?」っていう(笑)。
【まとめ】
ガイナックスができてから、だんだんゼネプロの活気がなくなってきた。だんだん新作も作らなくなり、ゼネプロをやめてしまいました。