■生放送告知
4/19(金) 16:30~
堀江貴文×田原総一朗「ホリエモンが目指す新しい社会と新しいメディアとは何か」
3月27日の朝8時ごろ、僕の携帯電話が鳴った。電話に出ると、声の主がこう答えた。「ホリエです、ホリエタカフミです」。寝起きでぼーっとしていたが、思いがけない声を聞いて、いっぺんに目が覚めた。いや、そんなはずはない。「堀江さんは、まだ長野の刑務所にいるはずじゃないか」。咄嗟にそう聞くと、彼は答えた。「さっき仮釈放になりました」。声は心もちはずんでいるように感じた。堀江さんは仮釈放されたその足で、僕にいちばんに電話をしてくれたのだ。刑期は11月までだったが、7か月も早く仮釈放になったという。
僕は、2011年6月に堀江さんが収監される直前に対談していた。その対談は『
ホリエモンの最後の言葉』として出版している。その本の中で僕は、「出所するときは必ず迎えに行く」と堀江さんと約束していた。そのときが、思っていたよりもずっと早くやってきたのだ。「いや、本当によかった」。僕は心からそう言って、早々の再会を約束したのだ。
数日後、堀江さんに会った。そしていろいろな話をした。堀江さんと再会して僕が強く感じたのは、「堀江さんは変わった」ということだ。そして、やはり堀江さんは非常に面白いということだった。ネットの世界には、有能でユニークな人材はたくさんいる。その中でも堀江さんは能力もスケールもダントツだ。
堀江さんは、刑務所生活の間、メルマガの発行を続けていた。所内でパソコンは使えないため、手書きで記した原稿を郵送し、外にいるスタッフが入力してメルマガとして配信していたのだ。規則だから仕方がない。とはいえ、手間も時間もかかる。
無駄だらけの刑務所生活を実感して、塀の外にたくさんある無駄を堀江さんは考えた。たとえば、既存メディアだ。日本で記者会見を開くと、通信社と各新聞社の記者が来る。彼らは同じ「情報」に接し、同じ記事を書く。けれど、アメリカを例にすると、通信社が「情報収集」して配信し、新聞記者はそれを「分析・解説」する。通信社と新聞社で役割分担がはっきりしているのだ。