思えば見事なものだった!
病院から施設への面倒な移送などもなく
寝たきりで数年経過する事もなく
遺族が揉めるような莫大な遺産もなく
姉と兄と私が力を合わせれば返せる程度の
男らしい額の借金だけを残して死んでいった!
最期までボケる事もなかったため
病室内では看護婦さん達の癒やしとなっていたようだ!
その証拠に
ごんぼちゃんが死んだ際には
担当の看護婦さん達が泣いてくれたのだと言う!
息子が泣いていないのに
他人であるお嬢様方を泣かせるとは!
こういう人物に対して大阪では
「やりよる」
と声をかける!
ごんぼはやりよる!!
ごんぼちゃんのいない山形は
寂しい以前に不便だ!
「運転免許証」を持たない私の山形での移動手段は
これまで
ごんぼちゃんが運転する愛車「ゴンボルギーニ」がメインだった!
しかしごんぼちゃんは死に
ゴンボルギーニは売りに出されてしまった!
もう山形駅や山形空港に到着しても
私はタクシーかバスで実家まで帰らなければいけない!
そんな時に現れたのが
「たっちゃん」だった!
アクセントは「た」ではなく「ち」だ!
宇宙恐竜「ゼットン」ではなく
頭を打った時の「ゴッツン」に近い発音をお願いしたい!
(恐らくこれを読みながら実際に小声で
”たっちゃん”とつぶやいている人は少なくないだろう!)
山形で俳優やミュージシャンをしている
「たっちゃん」こと「龍巳(たつみ)」君は
なかなかに気のいい男だ!
彼はたいそう上手に生きているため
私がちょいと移動に困った時には
すぐに愛車で私を迎えに来てくれる!
しかも私がなぜそこに行きたいか?
とかを深く尋ねる事もなく
ついでにどこかに連れて行きたい
といった余計な誘いをかける事もない!
たっちゃんは私を乗せて目的地に到着すると
「それじゃ!」
と通りすがりの道案内人のように消えて行く!
どうにも男前なたっちゃんによるそのクールなシステムを
私は
「Touch & Go」と書いて
「たっちゃんゴー」と呼んでいる!
5月7日!
山形空港に到着した私を迎えに来てくれたのは
そんなたっちゃんだった!
私は実家に「たっちゃんゴー」する前に
ちょいと寄りたい場所がある事を告げた!
「サフラー」だ!
サフラーとは
山形の県花である紅花の油を使用して調理する事を売りにし
大人気を博した山形ローカルのハンバーガーチェーン店だ!
マクドナルドの進出がモスクワよりも遅かった山形市では
”ハンバーガーと言えばサフラー”と認識されるほど
高い知名度を誇っていた!
私の「出身高校」の近所にも店舗があったので
よく友人と集っては楽しいサフラータイムを過ごしたものだ!
しかし・・・
大手チェーンの地方進出という時代の波により
サフラー政権は次第に衰退し
パイオニアレーザーディスクなどと共に絶滅した
と推定されていた!
ところが!
私が到着する前日の6日まで山形にいた兄「よっと」が
「最後のサフラーが今も残っている!」
と言うではないか!
たっちゃんよ!
サフラーに”たっちゃんゴー”だ!
あった!
江俣(えまた)という場所に
最後のサフラーが残っていた!
私が山形に暮らしていた頃は
江俣に住んでいる同級生は
江俣に住んでいる事を理由にいじめられたものだ!
「お前の後ろを家からずっとたぬきが着いてきてるぞ!」
と言っては楽しくいじめたものだ!
そんな秘境江俣が現在では
驚くほど多くの家やお店が建ち並び
なかなかのベッドタウンになっていた!
そんな中に最後のサフラーが生き残っていた!
私はかつての賑わいを回想しながら
たっちゃんと共にわくわくと店内に足を踏み入れた!
いきなり泣けて来た!
カウンターの頭上に掲げられた商品写真は色あせていた!
しかもどれがどういう名前の商品なのかも教えてはくれない!
かつては全テーブルに
サフラーのロゴ入り紙ナプキンが置かれていたものだが
見渡せば家庭用ティッシュが二箱置かれ
それで用が足せなければ
カウンターからウェットティッシュを抜け
という悲しみに満ち溢れたシステムに変わっていた!
だーが!
サフラーバーガーはやっぱりおいしい!
正直言って最後にサフラーバーガーを食べたのは
30年以上前の高校時代なので
昔の味をあまり覚えていない!
そのため昔通りの味なのかどうかは断言できない!
だが大手チェーンのハンバーガーを食べ慣れてしまい
食べても別に笑顔が出なくなってしまった今!
このサフラーバーガーは猛烈においしかった!
思わずにっこりしてしまった!
最近はネットで何でも買えるから
と言いがちだが
ならばサフラーバーガーを買おうとしてみるがいい!
買えないから!
聞けば現在のサフラーは創業者が
最後の一店舗を家族で守り続けているとの事!
いわゆる通常の名物に飽きた旅人は
山形を訪れた際に是非サフラー江俣店へ行ってみるといい!
そしてそれを山形市民に自慢するといい!
夜に山形の飲み屋で
「お客さん今日はどこに行ってたの?」
と尋ねられた時
「サフラー!」
と答えてみるがいい!
尋ねた飲み屋の店主はしりこ玉を4粒飛ばすだろう!
かくして実家に”たっちゃんゴー”!
たっちゃんは実家の前で私を降ろすと
「また出かけるなら連絡下さい!」
と言い残してクールに去って行った!
見事な”たっちゃんゴー”だった!
さて!
『ひろぐ』を中断している間
私の中でラジオ・ブームが起こった!
「テレビに幻滅」しているからこその
必然的な道だったのかもしれない!
そもそもは舞台『FILL-IN』での長期東京滞在の際に
関西で放送している自分のラジオ番組
『秘密結社 大阪ぴかぴか団』
を聴くため
スマートフォンアプリ「radikoプレミアム」
に登録したのがきっかけだった!
それに有料登録すれば
東京でも関西のローカル番組が聴けるし
大阪にいてもどの県の番組でも聴く事ができる!
そのためいつしか私は
自分の番組を聴くのも忘れて
日本中のラジオをひろぐようになった!
「名古屋」の”コモ・ギブソン”こと「中内こもる」君による
東海ラジオの大喜利番組
『ラジオ道(みち)』を欠かした事はないし
立川志の輔氏の『なんでか?ニッポン』は
なるべく富山県の北日本放送で聴くようにしている!
東京にいれば敢えて
朝日放送『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』
で目覚め
大阪にいれば
山形放送の『グッとモーニン!!』で朝を過ごす!
それが最近の私のひろぎ具合だ!
そんなラジオ・ブームの中で
私が最高にひろいでいるラジオ番組が
山形放送だけで三本ある!
「爆笑コメディアンズ」による
『他力HongGang!!』は
しばしば私の話題でいじられるので聞き逃すわけにはいかない!
二週に一度現れるアシスタントの女の子「なみへいちゃん」は
私の中では「ウーイェイよしたか」と並ぶ
二大奇妙話人の一人だ!
なみへいちゃんの声と喋りは一度聴いたら決して忘れられない!
そのため彼女は最近タクシーに乗車した際
行き先を告げただけで運転手さんから
「あれ?なみへいさんですね?」
とID確認されたと言う!
実は彼女はタレントではなく
山形で活動するネイリストなのだそうだ!
しかし私はいずれなみへいちゃんで
朗読劇などをやってみたいと目論んでいる!
皆さんも是非一度番組を聴いて
彼女の声と喋りを体感していただきたい!
「ロケット団 三浦」君による
山形生協の宣伝番組『らじCOOP』に油断するなかれ!
そこに生協職員の「長南(ちょうなん)さん」が登場したら
決して聴き逃してはいけない!
長南さんが現れる回は
今の日本で最も面白いラジオ番組になるのだ!
挑めば挑むほど何を言っているのかわからなくなる
迷宮の生協職員「長南勝男」!
三浦君もアシスタントも
決してそれをフォローしようとはせず
むしろ追い詰めにかかる!
なので長南さんはどこまでも深く迷い込む!
そのうちにわずか15分の番組が終わる!
数ヶ月に一度しか現れないレアキャラモンスターなのだが
長南さん出演回となると私は『らじCOOP』を
タイムフリー機能で三回は繰り返し聴くようにしている!
つい最近
携帯電話とパソコンのユーザー辞書に
「長南勝男」を辞書登録し
「ちょ」と打てば変換されるよう設定してみたのであった!
「長南勝男」は今の私が最も会ってみたい人物だ!
そして大のお気に入り番組が
『昭和小僧〜勝手にタイムスリップラジオ』だ!
これを聴かないと私の日曜日は始まらない!
かねてからの友人である
”山形のキダタロー”こと「はらただし」氏と
”山形の懐かし番長”「ドンキー佐藤」氏による番組で
なにしろ山形の古い話ばかりを愚痴る30分だ!
山形以外の人が聴いたら
何が何やらさっぱりなのだろうが
私はこの番組を聴くと
私が暮らしていた頃の古き良き賑わいに満ちた山形が
今でもそこにあるような気がしてならない!
たっちゃんよ!
今日は『昭和小僧』の収録日だそうだ!
山形放送に”たっちゃんゴー”しておくれ!
「勝手にタイムスリップラジオ」という副題なのだから
勝手に出てしまおうじゃないか!
たっちゃんは私を山形放送で降ろして
またしても美しい”たっちゃんゴー”を披露した!
はらただしさんに「今日は出ますから!」と言ったら
特に断られもしなかった!
なので憧れの番組に勝手に乱入してみた!
『オールナイトニッポン』の経験もある私だが
喜びは『昭和小僧』の方がはるかに上だった!
その放送は5月20日にオンエアだ!
そんなこんなで到着してから休む間もなく
山形をひろいだ!
私を講演会で「山辺町(やまのべまち)」に招いてくれた
「Taiken堂」のメンバー
「あゆみちゃん」が
山形駅前に「あんのん」という素敵なバーを開業したというので
噂のたっちゃんも含む数名で訪れた!
たっちゃんに会うのはその日3回目だった!
”山辺の粟根まこと”「ちえちゃん」もいた!
ふざけた事に私以外は全員ノン・アルコールと言い出し
なんだか私までもが飲酒量を控えてしまった!
まぁいい!
翌日は記憶を失うまで飲むのだから!
私がなぜこのタイミングで山形に帰郷したのか?
79歳にして
生まれて初めての一人暮らしに挑むママの慰問
という目的ももちろんあったのだが
それ以上にママに会っておきたい重大な理由があった!
私はその数日後
命懸けの任務に挑まなければならなかったのだ!