2005年から続いた山形新聞での連載コラムが終了した!
不定期連載ではあったものの
35年以上を大阪で暮らす私と
かけがいのない故郷山形とをつなぐ
大切な場であっただけに
実に残念でならない!

そんなコラムの最終稿は
敢えて前回の『ひろぐ』記事の縮小版を書いてみた!
なにしろ山形で起こった1頭のオットセイをめぐる
どうにも不思議なストーリーだ!
できる事ならば山形新聞で
しっかり結末まで納めかったのだが
連載の回数が尽きてしまったため
最終回コラムはこんな言葉で締めくくってみた!


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というわけで山形新聞のコラムを読まれて
「そこからどうなったの?」
と『ひろぐ』を覗きに来てくれた方々!
ようこそお越し下さいました!
数十年に渡って山形県をお騒がせした私の文章は
ここでしっかりと
しかも文字数制限無しで続いておりますよ!

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★前回のあらまし

村山市で山形大学の准教授と会った。


村山市での講演会を終えた私は
そこからの1週間を山形市の実家で過ごす予定になっていた!
村山市民会館の館長である安孫子さんが慎重に運転する車で
村山市から南下し
山形空港のある東根市を越え
ミッチーチェンの根城である天童市を抜けて
目的地となる山形市に入った!
車窓からの景色は冷たく寂しい夕暮れだったが
後部座席で私の隣に座っていたのは
村山市職員にして
私の中学時代の憧れの同級生「真紀ちゃん」だったため
なかなかな心臓の高鳴りと体温の上昇を感じ
なんならこのまま上山市も高畠市も過ぎて
米沢市か福島県ぐらいまで行って下さい安孫子さん!
な気分に満ち溢れていた!
が、残念ながら安孫子号は無事実家に到着し
私は昨年6月の「王立ブロニーショー」公演以来
約半年ぶりの帰郷を果たした!
ラテン語では”人間を煮る釜”と表記するかもしれない
驚くほど高温な温泉
「青田健康ランド(旧・臥龍温泉)」
まだ営業している時間だったので
かなり煮られた後
煮魚のようにぐったりと床に就いた!

その翌朝10時25分に私の電話が鳴った!
(今も電話履歴に残っているのでそれは正確な時間だ!)
私は基本的に・・・
いや!
99.7%電話に出る事はない!
そしてかける事は100%ない!
仕事の連絡も全てLINEかE-Mailだ!
なので吉本興業の私の歴代マネージャーは
誰一人として私と電話で話した事がない!
聞くところによると引き継ぎの際には
「番号は教えてくれるが後藤に電話をかけても無駄」
と申し送りが為されるらしい!
そんな私の電話嫌いはプライベートな仲間内でも
かなり知られている!
当然それを知っているはずの
山形の俳優兼ミュージシャンである龍巳
通称「たっちゃん」
私の電話を鳴らしている!
これは何事かと電話に出てみる事にした!

「なに?どうしたの?」
「今おうちの下にいるんですけど。」
「わかった。」

かのアポロ11号船長
ニール・アームストロングの名言を引用すれば
「世間にすれば一瞬の電話だが
 後藤ひろひとにすれば記録的な長電話」
だった!

玄関を出るとそこには
薄汚れた和歌山産ポンカンの箱を抱えて
たっちゃんが寒そうに足踏みをしていた!
聞けば数ヶ月前の事!
たっちゃんは私の母「のーちゃん」から
我が家の物置の整理を依頼されたらしく
多くの不用品を廃棄場に運んでくれたそうなのだが
その中に
捨てるべきではないと思われる箱があったので
私が山形に帰るまで保存しておいてくれたと言うのだ!
たっちゃんは遺品整理士の資格を有しておるそうで
「恐らくこれはお祖父様である
 後藤嘉一(かいち)さんが遺した
 貴重な物だと思うんです!」
とポンカンの箱を私に手渡して去って行った!

箱に関して特に謎はない!
和歌山産のポンカンの箱という事は
先日、和歌山県紀の川市フルーツ大使に選ばれた
うちのカミさんの実家からの贈り物だったのだろう!

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かなりほこりをかぶった箱を部屋に持ち込み
そーっと開けてみるとそこには・・・
古い切手やら絵葉書やらスライドやら何かの切符やら!

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嘉一宛の年賀状の束なども入っていたので
間違いなく祖父、嘉一の遺物だった!
しかしよく見ると
嘉一の死亡記事が載った1990年の山形新聞も収められていた!
さすがにこれは本人にはできない事だ!
恐らく父「ごんぼちゃん」
あれこれまとめて箱に入れた物だったのだろう!
当時の新聞だからか?
面白いほどがっつり実家の住所が記載されていた!
なのでそこは消しておいた!

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たっちゃんが言った通り
それは嘉一が遺した物である事に間違いないが
”貴重な物”ではないと直感的に推測できた!
かつては山形新聞の記者として活躍し
山形公民館長として山形に立ち寄った山下清を迎え
孫と同業の戯曲作家としても活動し
郷土史研究家として世を去った嘉一が
本気で集めた文化的資料は
こんなレベルの物ではない事を
遺族である私はよく知っている!
遺品の多くは山形県や山形市のしかるべき機関に
父ごんぼちゃんが寄贈したと聞いている!
なのでこの粗末なポンカン箱の中身は
言ってしまえば”嘉一のかけら”に過ぎない!
私はこのどうでもいいポンカン箱に
「嘉一ボックス」と名付けた次第である!

さてこの嘉一ボックスをどうしましょうか?
正直言って私にはどうする事もできない物ばかりだった!

私はその前日に村山市民会館楽屋でお会いした
山形大学の小幡圭祐准教授の事を思い出した!
そう言えば彼は
「かつての文化や風情を知るための資料として
 古い絵葉書などをよく購入するんです!」
といった事を話していた!
そもそも古い絨毯や戸板などと共に捨てるはずだった
そんな嘉一ボックスだ!
もし小幡氏が欲しいと言ってくれるような物が
ただの1つでもあれば
是非もらってもらおうじゃないか!
そう思い
先ほど掲載した写真を小幡氏にE-Mail送信した!

「昨晩お話しした祖父、後藤嘉一が
 死後30年以上を経て
 今朝になってこんな箱を私に送って来ましたよ!
 もし欲しい物でもあればどれでも差し上げます!
 大学の研究室まで運びましょうか?」

軽い気持ちの一通のメールだった!
ところがだ!
小幡氏からの返事はただならぬ物だった!
先ほどの写真を見ただけで
小幡氏には大変な発見があったようなのだ!
恐らくは冷静沈着なキャラクターであろうはずの彼が
私と同じように感嘆符を句点に用いた文体で返信して来た!

「とても貴重な物ばかりのようです!
 ぜひ拝見させて下さい!」

特に小幡氏の目に留まった物は
写真中央左にあるハトロン紙に包まれた何かの切符だった!
どうやらこの切符は
小幡氏も資料集で写真を見た事があるだけの
昭和2年に山形市主催で開かれた
「全国産業博覧会」の切符だと言うのだ!
・・・ん?
待て待て!
その名前はどこかで聞いたぞ?
あれ?

そう!

小幡准教授の新説(恐らくは真説)によれば
オットセイのブロニー君は
大火のあった明治44年の千歳公園植木市ではなく
没年として墓石に彫られた昭和2年に開催されたイベントで
石を14個飲み込み命を落としたとされている!
そのイベントこそが!
なんとそのイベントこそが!
なんとなんとそのイベントこそが!
全国産業博覧会なのだ!
嘉一ボックスにはその切符が入っている!
ここに来て
オットセイのブロニー君と
祖父である後藤嘉一の関係性が浮上してきた!
なにしろ嘉一はブロニー君を見ていたかもしれないのだ!
なにかとお騒がせな1頭のオットセイは
後藤家の歴史の中に潜り込もうとしていた!

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数日後のものすごく寒い日だった!
どれぐらい寒かったかと言うと
かつて来日したジェームズ・キャメロン監督が
ここの湯につかった時に
溶鉱炉で自らを溶かすという
『ターミネーター2』のエンディングを思いついた!
という都市伝説があってもいいかもしれないほどお湯が熱い
青田健康ランドにこんな張り紙がされていたほどだ!

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温泉をも凍らせる大寒波の中
私は嘉一ボックスを持参して
山形大学へと向かった!
今は無き大阪外国語大学を中退した私は
その不勉強さが故に
大学の研究室という場所に入ると猛烈に緊張する!
しかし小幡准教授の研究室に案内されると
いきなりこんな感じだった!

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自画像を描いてそれをフィギュア化し
自分の研究室入り口に飾る!
安心した!
彼は感性的にも常識的にも私に近い人物だ!
しかもよく見れば自画像フィギュアの横に寝転んでいるのは
私の作品の登場人物「ガマ王子」に違いなかった!
さらに
「こちらもどうぞ!」
と部屋の奥に案内されると
本棚がこんな事になっているではないか!

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3段全てが私に関する物ばかりで埋め尽くされている!
悪名高い伝説の「ワースト・ジグゾーパズル」もあるし
『ベントラー・ベントラー・ベントラー』の
トレーディングカードなんかもある!
さらには中段一番右にあるガマ王子の金色のやつなどは
私も見た事がない超レアアイテムだ!
なんだこの小幡准教授という人物は!
次に行く時にはもっと珍しい物を持参して
コレクションを増やしてあげようと思う!

さて!
嘉一ボックス開封の儀が粛々と始まった!
研究棟1階にある山形大学博物館から
佐藤琴准教授も上がって来てくれて
なかなかに真剣な空気の中で執り行われた!
なにかを取り上げて
なにかを開いて
なにかを読んだりするたびに
2人は「おー!」と言ったが
私には何の事やらわからなかった!
なにしろ祖父嘉一には
すごい人達から年賀状が届いていたようだ!
その中で私が知っている名前は
国際司法裁判所所長の安達峰一郎ぐらいだった!
(後に姉から聞かされたのだが
 志賀直哉から嘉一に来た手紙は
 父ごんぼちゃんがどこかに寄贈したとの事だ!)

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小箱の中のスライドはかなり新しい物だった!
写っているのは八木山ベニーランドで
♫ヤンヤンヤヤンと遊ぶ
私の姉”かおちゃん”と兄”よっと”
祖母(嘉一の妻)と従兄弟だった!

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さて問題の全国産業博覧会切符だ!
袋状のハトロン紙から取り出してみると
とても美しい状態だった!
保存方法が良かったのか退色も最小限と思われる!
これは素晴らしい物だ
と2人の准教授も興奮気味だった!
しかし!
これはおかしいぞ!
綺麗すぎる!
しかも!
もぎられていない!

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もしこの切符で博覧会に入場したのであれば
半分がちぎられて
いわゆる”半券”となっていなければいけない!
しかしこれらの切符は完全な物
つまりは”未使用切符”だ!
という事は
嘉一は全国産業博覧会に行っていない
という事になってしまうのだろう!
なんだか・・・
なんだかとても残念な気分になった!

しかしここで
生前の嘉一をあれこれと思い出してみる!
私にはただの少しも優しくしてくれなかった
頑固じじいだった!
なんなら私は彼が嫌いだった!
確か瑞宝章を受賞した際
授賞式の出席者名簿というのを見せてもらうと
加山雄三の名前があった!
当時小学生だった私は嘉一に
「若大将のサインもらって来てー!」
と頼んだが
「歌手なんかの下手な字をもらうために
 頭など下げられるか!」
という意味の山形弁で怒鳴りつけられた!
そんな男が!
いかに若い頃の話とは言え!
行ってもいない博覧会の切符をもらって
それを保存するだろうか?
私はそれはあり得ないと感じた!

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(下段中央が嘉一でその左が私)


私はここに来て
昭和2年(1927年)の嘉一が一体何をしていたのか
を調べてみようとインターネット上をさまよった!
すると山形県のページにある斎藤茂吉賞受賞者名簿の中に
嘉一の名前を発見した!

「斉藤茂吉賞受賞者11-20回」

このページには
1905年生まれの嘉一が
1924年から
満州に渡る1938年まで
新聞記者だった事が記されている!
全国産業博覧会が行われたのは1927年!
そう!
嘉一は博覧会開催時点で既に山形新聞社の記者だったのだ!
自分が生まれた小さな町で
全国的な催しが開かれているのに
主催地の新聞記者である嘉一が
博覧会に行っていないと考えるのは不自然だ!
嘉一はまず間違いなく博覧会を連日取材して回っただろう!
そして!
記者証を付けた嘉一が会場を巡るのに
切符は不要だったはずだ!
「けど一応切符はお渡ししておくので・・・」
というのは今もよくある事なのだが
残された切符を見ると大人用と小児用の2種類がある!
昭和2年にはまだ嘉一に子供はいない!
入社3年目の若い新聞記者が
親戚の子供などを連れて取材に行くだろうか?

このように消去法で少しずつ可能性を削って行くと
やはり切符を必要としなかった記者の嘉一が
大人用も小児用もコレクションとして入手した
という可能性が際立って高い!
確たる証拠はないのだが
後藤家の男子にはみんなそういう癖がある事を
私の中の遺伝子が知っている!
なにしろ父、ごんぼちゃんが
生前私に譲った遺品「ごんぼファイル」がこれだもの!

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チケットの使用・未使用問題はさて置いても
嘉一はまず間違いなく全国産業博覧会には行ったはずだ!
そして博覧会に来ていたサーカス団
「有田洋行会」のショーも仕事として鑑賞しただろう!
そこにはきっと
96年後に我々をここまで振り回す
オットセイのブロニー君がいたと思われる!
嘉一はきっとブロニー君に会っている!

・・・まぁすべては推測でしかないのだが。

結局、姉と兄が遊園地で遊ぶスライド以外
全てを箱ごと山形大学に引き取ってもらった!
小幡准教授は今後学生達と共に
一点一点を研究してくれるとの事だ!
なので嘉一ボックスに関してまた面白い発見があれば
ぜひ知らせてもらおうと思う!

そして残念だが
この話はここまでしか書く事ができない!
何の結論もないまま
ストーリーを終えなければならないのは悔しいが
どうなれば結末が迎えられるかはわかっている!
きっとどこかに嘉一が新聞記者として撮影した
ブロニー君の写真があるはずだ!
私はそれを確信している!
どこにあるのかを調べよう!
それは嘉一が勤務した山形新聞社かもしれないし
既に寄贈してしまったなんらかの公共施設かもしれないし
私がいつも実家で寝る部屋の本棚の中かもしれない!
それを探し出せたら!
それがひとまずエンディングとなるのだろう!

たまたま小幡准教授から
「オットセイの古い絵葉書を見つけました!」
と写真が送られてきた!
私は嘉一が撮ったこんな写真を探してみたいのだ!

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ところでこれをお読みの中に
『パコと魔法の絵本』に登場した
動物好きのヤクザを覚えている方はおいでだろうか?
「龍門寺」という名前で
舞台でも映画でも山内圭哉が演じた役だ!
次回の『ひろぐ』ではその話を書こうと思う!
なにしろ小幡准教授に別れを告げて山形大学研究棟を出ると
驚くほどの大雪が降る大学正門で
”龍門寺”が私を待っていたのだ!

と書き終えて見上げた月がかっこよかったので撮影した!

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2023年2月26日(日)21:00 書斎「LEVEL 4」ベランダにて!