『ひろぐ』を3年間ほったらかした!
多くの人々が
”『ひろぐ』はもう最終回を迎えて消えたのだ!”
と思った事だろう!
実は私もそう思っていた!
『ひろぐ』を書く手が止まったのは
旧『ひろぐ』の過去記事がすべて削除されてしまった事に原因がある!
現在のこのニコニコチャンネルにおける『ひろぐ』の前に存在した
古い『ひろぐ』が何の移行措置も取られないままに
全て失われてしまった!
私にしてみれば個人的な日記であったのと同時に
私が生きて行く上で見出した私なりの哲学や
私が世間に広く伝えたい意見文などを
良かれ悪かれ未来に残すためのツールが『ひろぐ』だった!
しかしそれらは訪れた期限と共にあっさりと消滅した!
書いても残らないのであれば
いわゆる文字数制限付きのSNSでも同じ事だ!
素晴らしいつぶやきに
いくらいっぱいの「いいね」をもらったところで
翌日の食事や
その翌日の雲や
その次の日のレストランの内装や
その翌月の宣伝広告で
どんどん押し流され
やがては遠くへ遠くへ消えて行く!
長く書き続けた『ひろぐ』も
所詮は押し流されて消える運命でしかない文字の群れだったのだ!
なので!
私はかねてから使用していたFacebookに力を入れ
そこで最弱ヒーローによる壮絶な闘いを描く粘土活劇
『やめとけ!チキンマン』を発表し
おおいに遊ばせてもらった!
(今も遊んでいるし
次なる遊びの準備も進行中だ!)
そんな0勝全引き分けのヒーロー物語は
noteというSNSに整理して移行させ
いつでも取り出せるように無料公開している!
ところが!
架空の粘土ヒーローではうまく使えたFacebookだったが
現実の自分の事となるとそれほどうまくはいかない!
そもそも”今なにをしているか?”
など誰にも知られたくない私は
出張先で見た事もないポッキーを発見したからと言って
その場でFacebookに写真を投稿したりはしない!
『やめとけ!チキンマン』のおかげでカメラに興味を持ったので
”これは多くの人たちと共有したい!”
と強く思える写真が撮れた時にだけ
厳選してそれらをFacebookに掲載してきた!
ところが常にカメラを持ち歩くようになった私が撮りたいのは
”昼に撮って夕方に見る写真”
ではなく
”20年後の自分に見せたい写真”
になっていった!
するとまた!
載せた写真は
自分で載せた来月の広告や
大切な人への追悼の記事などで押し流されて行く!
その大切な人への追悼の記事ですら
最弱ヒーローの活躍や
義弟のでたらめな漢字の写真で押し流されて行く!
気がつけば20年後の自分には写真が探せなくなり
同時にこの世を去った大切な人への言葉すらも
何かに埋もれて行く!
そして消えて行く!
・・・そうか?
こうして3年ぶりに書く『ひろぐ』の前の記事は
私にとってとんでもなく大切な人への追悼文だぞ?
その前は山形で死んだオットセイへの追悼文だぞ?
山形に暮らす同級生の子供が
「山形市内の名所をどこか紹介して下さい」
という学校の授業で
オットセイ「ブロニー君の墓」を紹介したそうだ!
そのために後藤のおじさんによる『ひろぐ』を
いっぱい参考資料にしてくれたのだそうだ!
そう!
『ひろぐ』は残っている!
3年ほったらかしても
読みたい人はちゃんと読みたい記事を見つけて読んでくれている!
私が死んだらFacebookはカミさんに閉じてもらう事になっているが
『ひろぐ』は3年ほったらかしてもちゃんと生きている!
私が撮る写真は20年後の自分に見せたい写真だが
私が書く文章は20年後の自分に読ませたい文章だ!
そうか!
私は『ひろぐ』を再開しなければいけない!
短い文章では誤解を招く恐れもあるが
文字数制限のない『ひろぐ』では
政治にも戦争にも
凶悪犯罪にもブラック校則にも
宗教にも科学にも
恐竜にも昆虫にも
臆さず言及しよう!
私にはそれができる!
だって私はここでそういう事をしてきたのだから!
誰が喜ぶかは知らないが
後藤ひろひとが『ひろぐ』を再開させる時が来た!
そのきっかけとなったのは
ある友人からの知らせだった!
その友人は私にとある山形大学准教授の書いたブログ記事
『オットセイのブロニーは山形大火で死んだのか?』
を薦めてくれた!
前述のブロニー君に関する『ひろぐ』記事を
根底から覆すこの文章を読んだ私は
さっそくこの小幡准教授とコンタクトを取る事にしたのだ!
なにしろこの准教授の記事によって
私の同級生の息子は
とんだ都市伝説テラーになってしまったのだ!
ほら見ろ!
ここから始まるあまりにも奇想天外なストーリーは
短文と絵文字と1枚の写真でなど
決して伝え切る事はできない!
だからだ!
だから後藤ひろひとは『ひろぐ』を書くのだよ!