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エスメラルデーロ(原石屋)の毎日 <始まりの街-ボゴタ- 2>
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エスメラルデーロ(原石屋)の毎日 <始まりの街-ボゴタ- 2>

2013-11-05 16:01
    第一部 エスメラルデーロへの生い立ち、スサーナとの出会い

    306fee8ed2e6b5a2d2ea03dc1dfed8151bdc0ff7今泉宝石のエメラルド買い付け駐在員としてボゴタに着任して間もなく念願のエスメラルデーロ(原石屋)になるべく方法を探した。まずは連中の集まる場所に 行ってみようと思った。
     エメラルドのセールスマン(コミッショニスタ)が大勢群がっているヒメーネス通りから八番街を一角ほど入ったところにモサイコ会館という古びたビルが有り、その二階にだだっ広いカフェテリヤがあった。
    そこに一匹狼のまだ貧しいエスメラロデーロたちがよく出入りするという事をコミッショニスタから聞き込んだ。金を成した原石屋はとうぜん自分のオフイスを持ち、専属の研磨職人をかかえている。
     まだ昼前だというのに、二階に位置するそのカフェテリアは身なりの粗末な客で混雑していた。こんな時間にカフェテリアでのんびりしているところをみると、彼らのほとんどは定職を持っていないのだろう。手持ちぶたさでコーヒーを飲みな がら周囲をそれとなく観察していると、女が一人やって来て“相席してもいいか”
    と聞いた。
    百七十センチはあろうかという長身に、よく発達した胸と腰がボ リューム豊かに突き出ている。明るい茶褐色の髪に、黄色いセーターと赤いパンタロンがよく似合っており、手入れの行き届いた爪には真っ赤なマニキュアが施されている。とりたてて美人といえるほどの顔ではないが、白い顔に浮いたソバカスが表情をセクシーに見せていた。こんなに魅力的な相客ならもちろん大歓迎である。
    彼女はコーヒーを注文すると、私に向かって、
    “あなたは日本人?エメラルドのバイヤー?”
    と話しかけてきた。
    “ああ日本人で,まあそんなところさ。でも原石を買いに鉱山に行きたいと思っているんだ”
    “どうしてまたヤマになんか行きたいの。あなたみたいな人が行くところじゃないわ”
    “どうしても行きたいんだ。でも何のツテもないし、どうやって行けばいいのかもわからない。 一緒に連れて行ってくれる人を探しているんだが...”
    “そう、そんなに行きたいの。それなら、私が連れて行ってあげてもいいわ。毎週末にヤマに行ってるから“
    “えっ,きみは何者?”
    “私はこう見えても、れっきとした女エスメラルデーロよ,自分で原石を買って、磨いて、売ってるの。日本人のバイヤーにもよく売っているわ”
    これが,私を初めてエスメラルデーロの世界に誘ってくれた女エスメラルデーロの「スサーナ・カステイーヨ」との出会いであった。

     ボゴタから北東180キロメートルの地点に位置するチボール鉱山の麓の町ガラゴア行きのバスに金曜日の早朝スサーナと一緒に乗り込んだ。緑の牧草地帯が延々と続く郊外のサバナを過ぎ、バイエ・デ・テンサ(バス会社)の中古バスに揺られ三時間ほど経つとグアテキの町に着いた。
    シェアリング(断層現象)で数百メートルの深さにも及ぶ巨大な谷間が出現したその絶壁の頂上に中世のヨーロッパの街を思わせる古い石作りの建物がひしめいている。街の中央にそそり立つカテドラル(教会堂)が一段と偉容を誇っている。
    遠くの方に見える大きな建物をスサーナが指さした。
    “あれは私が働いていた病院よ”
    “へーっ、そう”
    “私が看護婦をしている時,銃で撃たれたエスメラルデーロが運び込まれてきて,入院中エメラルド取引のことをいろいろと話してくれたわ。それ以来よ、私がエメラルドの世界に入ったのは”
    道中、観るもの話す事はすべて珍しいもので、飽きる事なくむしろこの異国の田舎にひきこまれていった。
    ガラゴアのホテルに一泊した翌日の早朝、街の中央プラサにたつ土曜市(メルカード)へ出かけて行った。メルカードの一角で早速エメラルド原石の取引きがはじまった。鉱山から下りて来た鉱夫や盗掘の農夫やボゴタからやって来たエスメラルデーロたちが二、三人輪になって丁々発止とやりあっている。私はスサーナの脇に立ち真剣に取引を見つめていた。
    まず最初の二、三日かは、スサーナが商品を私に見せて親切に原石の見方を説明してくれた。
    ネゴ(取引き)のたびに彼女はその石を私の手元に持ってきて、
    “キズの具合を見なさい。どれぐらいの重さか推測し、いくらほどのクオリテイーか見極めることよ”
    と言い,私の検分を待って相手にオファー(指値)を出した。そうして私に学習させた。
    何回目かのチボール詣での時だった。土曜の朝市のあと早めの昼食でもとろうかと一軒のバー・レストランに入っていった。彼女によると、そこは上等なレストランではないが、うまいタマルを食べさせるという。タマルとは牛肉や鶏肉をキャベツ、タマネギ、ニンジンなどの野菜と一緒にトウモロコシの練り粉でまるめ、それを柏餅のようにバナナの葉でくるんで煮たものである。
    その居酒屋の入り口近くには表にも中にも数人の男たちがビンを片手に、立ったままビールをあおっていた。ひと仕事終えた汚い身なりをしたトラックの運転手や人夫たちである。
    そこに身なりのきちんとしたグラマーで魅力的な若い女性が、東洋人らしい外国人と一緒に入ってきたのだから、一斉に彼らの注目を引いた。彼らから卑猥な冷やかしの言葉がとんでくる。
    数人の男たちが立ち飲みをしているカウンターの前まで進むと、スサーナは主人らしい男に、
    “タマルを二つにミルクコーヒーを二つ”
    と注文した。
    “シー、セニョリータ”
    と男は答えると、奥に向かって注文を繰り返した。
    “タマルを食って,朝から一発か?”
    朝からすでに酔いが回っているらしい痩せ気味の男が大声で怒鳴ると、周囲の連中がどっと笑った。
    私はムカッとしたが、初めての場所でまだ状況がよくわからないので何も言い返さず我慢した。
    スサーナは平然と男を無視して,奥の方に空席を見つけると,私にそこへ向かうようにその席を指さした。
    男がふたたび、
    “あそこでオネンネするか”
    と言うと、みんながまたドッと笑った。彼女の眉がピクリと上がったが、なおも無視してその席に進んでいく。
    その男の前を通ったとき、男が一歩前に踏み出して、
    “おいしそうなオッパイ”
    と言うと、右手を彼女の胸に触れんばかりに突き出した。スサーナは咄嗟に男の手を払いのけ、右手をハンドバックに突っ込むと、中からすばやく黒光りのするレボルバーを取り出した。汚れたシャツからはだけた男の腹に銃を突きつけ、左手で男のシャツの襟をつかんで引き寄せた。
    “このバカ野郎! 死にたくなかったらおとなしくしてな”
    そう言うなり、男を乱暴に突き放した。男は背中から壁にぶつかると、そのショックで左手に持っていたビールビンを落とした。セメントの床に落ちたビールビ ンが割れて男の足はビールの泡で濡れた。男は顔面蒼白になり、壁に寄りかかった姿勢のまま身動きできなかった。どうやら酔いもすっかり醒めてしまったらしい。
    サロン内は一瞬シーンと静まりかえった。
    スサーナは男の前に立ちはだかり二、三秒男を睨み据えていたが、男が反撃しそうもないのを確かめると、レボルバーをバッグに戻して何事もなかったように悠然と奥の方へ歩いていった。 もちろん、男が少しでも反撃の様子を見せるなら、私の横蹴りが彼女の銃が火を噴く前に男の顔面を捉えていただろう。
    “あれは有名な女エスメラルデーロだよ”
    誰ともなく囁きが聞こえる中、私は彼女の後に従った。

     こういうエスメラルデーロ見習い期間がしばらく続き、やがて彼女に認められて彼女のソシオ(パートナー)として一緒に同じ商品を買うようになった。
    その間、甘いロマンチックな雰囲気がおとずれほとんど恋におちいるような場面もあったが、ついに男女の関係になることはなかった。
    知り合って三ヶ月ほどたったある日、突然彼女との別離がやってきた。病気で床に伏せていた彼女の母の様態が急変したとの知らせを受けて急きょベネズエラに 帰国せねばならぬとのことになった。
    父がコロンビア人で母がべネズエラ人の彼女はこれまでの人生をほとんどコロンビアで過ごし、コロンビアに永住したいと言っていたが、この時ベネズエラに帰国した後、二度とコロンビアへ戻って来ることがなかった。
     最後の日、二人が最初に会ったモサイコ会館のカフェテリアで互いの手を握りしめ涙を浮かべ再会を誓ったけど、再び会う事はなかった。

    つづく
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