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風野妖一郎さん のコメント

「文学部只野教授」が売れていたとは知らなかった。
今、この本に付いて語る人がどれほどいるのか?
読んだ事はあるが筒井康隆のドタバタコメディの域を出ていない。出てくる人間も碌でなしばかり。
主人公は授業で自分の学説の対立相手をこき下ろすという人間の嫌な部分を見せつけてくれた。そうですかこれが「アカデミック」というものですか。
最期の見せ場で、怒り狂った脇役が同僚に斬りつける現場に居合わせるという、およそ主人公らしくない立ち位置だった事だけが印象に残っており(しかも結局文学論と絡まない)、ラストエピソードって大事だな、という事を教えてくれた事が私に取ってのこの本の価値でした。
なお、もしドラは読んでません。
No.39
135ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「もしドラ」が刊行されてから、約3年が経った。おかげさまで、今でも売れ続け、なお多くの方々に読んで頂いている。ところで、なぜこういう状況が実現したのか、考えてみたい。 今、モノが売れない。売れないと言うよりも、これまでのやり方が通用しない。大きな潮目の変化、時代の変わり目に来ていることを実感する。 そういう変わり目に大きく売れたモノのことを考えると、これからの時代の潮目というものが見えてくるのではないだろうか? これからどうすれば人々が快適に生きていけるか、そのヒントをつかめるのではないか? そうしたコンセプトから、ここでは、「『もしドラ』はなぜ売れたのか」ということをテーマにし、これを多角的に検証していきたい。  
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。