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ズイナや人間がブドウ糖よりもプシコースを選んで残そうとしているように、強いものが生き残るのではなく、偶然の「組み合わせ」が時と場所を超える「強い価値」を持つから、それが「美」という形で生き残るということでしょうか。
文意とはズレますが、ぼくはけっこう村上兄弟として絵を見てしまうところがあって、あまり意味ないよと言われればそうかも知れませんが、、先日の弟さんのウルトラマンの個展、、やはり気になって見に行ってしまうんですよね。気になる兄弟ってイメージです。ぼくにとっては。(笑)←合っているかどうかわかりませんが、着けたくなりました。
岩崎夏海(著者)
>>1
時と場所を越える強い価値が、後から「美」と呼ばれたり、見なされたりするということはあるでしょうね。評価は後代で為されてこそ価値があるというか。ただ、作ってる本人は現世でもそれが強い価値だと分かっているので、必ずしも偶然の組み合わせだけには依らないと思います。偶然と必然とが複雑に絡まり合った地点に、それは現出するのではないでしょうか。
岩崎夏海(著者)
>>10
そういう直感的なイメージはだいじだと思います。合っているか間違っているかはともかく、そういう態度を許容することからでないと、何ごとも始まらないと思います。