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シニシャさん のコメント

高校生の時、倫理の授業で、ベンサムの幸福論を簡単に説明してもらったときに、同じようなことを考えたことがあります。
最大多数の最大幸福という話だったのですが、どの時点での最大幸福を目指すのかで、手段、方法が全然変わってくると思ったのです。

ハックルさんの文章を読んで、そのことを思い出したので、もう一度考えてみました。

・アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められるのではないか?
・しかし、人が想像して幸福に思える期間は、現在から10年、20年で、幸福となる時点が現在から離れていくほど、想像できる幸福度は弱まってしまうのではないか?

よって、大企業や政府、人類(個人や少人数グループは200年後の幸福を考える人たちもいるかもしれないが)が考えることは、人が生きることが出来る期間、つまり最高100年程度先までのことを考えるのが限界なのではないかという考えにいたりました。

つまり、100年以上前に対応しておかないと詰んでしまう状況になったとき、人類は滅亡してしまうかもしれません(笑)
長文失礼しました。
No.5
142ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
短期的な利益と長期的な利益、どちらを取ればいいのか? これは、なかなか答えのでない問題である。 この問題について、我々に深い示唆を与えてくれるのは、アメリカのフィルムメーカー、コダック社が見舞われた運命だ。 コダック社は、写真用フィルムのメーカーとして世界一の企業だった。その製造・販売から莫大な利益を上げており、90年代まで経営は盤石、その牙城を揺るがすものは何一つ考えられなかった。あるとすれば、富士フイルムを初めとするライバル社との競争くらいだったが、これにも圧倒的なアドバンテージを誇っており、文字通りガリバーとして、フィルム業界に君臨していたのである。 ところが、そんなコダック社は1975年に、自らのその牙城を突き崩す、怖ろしい発明をしてしまう。それは「デジカメ」だった。これが発展し普及すれば、写真用フィルムの需要がきれいさっぱりなくなってしまうという、コダック社にとっては――いやフィルム産業
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。