これは、なかなか答えのでない問題である。
この問題について、我々に深い示唆を与えてくれるのは、アメリカのフィルムメーカー、コダック社が見舞われた運命だ。
コダック社は、写真用フィルムのメーカーとして世界一の企業だった。その製造・販売から莫大な利益を上げており、90年代まで経営は盤石、その牙城を揺るがすものは何一つ考えられなかった。あるとすれば、富士フイルムを初めとするライバル社との競争くらいだったが、これにも圧倒的なアドバンテージを誇っており、文字通りガリバーとして、フィルム業界に君臨していたのである。
ところが、そんなコダック社は1975年に、自らのその牙城を突き崩す、怖ろしい発明をしてしまう。それは「デジカメ」だった。これが発展し普及すれば、写真用フィルムの需要がきれいさっぱりなくなってしまうという、コダック社にとっては――いやフィルム産業
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極論を言うと、人間は明日死ぬ可能性がある・・・となった時に、この判断は本当に難しいように感じます。
自分を戒めるためにもこの文も脳内に永久保存しておきます。
マルティン・ルターも言ってますしね、If I knew the world would perish tomorrow, I would still plant my apple tree today.と。そういう態度で生きたいものです。
これってほんと不思議な問題ですよね。
結構前の話ですが、
自分でいいアイデアっていうのをずっととっておいたんです。
でもとっておけばとっておくほどそれ以上のアイデアが生まれないんです。
もったいぶらずにだすようにしたらまた次のアイデアがでるようになりました。
僕はカメラに詳しくはありませんが、
そのときのことがこのコダック社のものと似ていると思いました。
コダック社にとって目先の利益だけでなく、
切り札をとっておくという感覚、あったのかな。
高校生の時、倫理の授業で、ベンサムの幸福論を簡単に説明してもらったときに、同じようなことを考えたことがあります。
最大多数の最大幸福という話だったのですが、どの時点での最大幸福を目指すのかで、手段、方法が全然変わってくると思ったのです。
ハックルさんの文章を読んで、そのことを思い出したので、もう一度考えてみました。
・アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められるのではないか?
・しかし、人が想像して幸福に思える期間は、現在から10年、20年で、幸福となる時点が現在から離れていくほど、想像できる幸福度は弱まってしまうのではないか?
よって、大企業や政府、人類(個人や少人数グループは200年後の幸福を考える人たちもいるかもしれないが)が考えることは、人が生きることが出来る期間、つまり最高100年程度先までのことを考えるのが限界なのではないかという考えにいたりました。
つまり、100年以上前に対応しておかないと詰んでしまう状況になったとき、人類は滅亡してしまうかもしれません(笑)
長文失礼しました。
>>2
自分は明日死ぬとしても、人類は明日も生きるという状態もありますしね、難しいですね。
>>3
結局そうふうにしか、人間は生きられないのではないかとぼくも思います。しかしその言葉は知りませんでした。いい言葉ですね。
>>4
アイデアはうんこみたいなものなんです。出し惜しみしていると必ず便秘になります。
>>5
面白いですね。確かに「アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められる」というのはその通りだと思います。そう考えると、もっと先のことを想像できる訓練というのがこれからは必要だと思います。想像力は鍛えられると思うんです。
ネイティブアメリカンには、「7世代後のことを考えて行動しろ」と教えていたみたいです。7世代というと1世代25年として175年ですね。だとすると、人間は鍛えれば、何とか175年先くらいまでは想像できるようになるのではないでしょうか。
短期的には身体の中心から末端まで苦しむことになったとしても、長期的にはニュートラルな身体を維持することができる。
そのような身体はあたかも破壊された部分が超回復するかのように環境の変化に適応しやすい。
短期と長期のどちらを選ぶかの判断基準は、何を勝利とするか、想像できる勝利の範囲によって変わるということでしょうか。
>>10
そうですね。想像力そこがより長いスパンでの勝利を得ることができる。ぼくも気づいてなかったですが、想像力こそが鍵だったんですね。