記事へ戻る K2ndさん のコメント K2nd 補足すると、科学の根底にあるのは人間主観の「再現性の担保」だと思います。 人間が何かを認識をする時、それは主に五感で捉えることのできるなんらかの情報(時間軸でみれば瞬間的に切り出した静止したもの)を、時空の両軸ともにすべてが地続きな現実世界から人間が認識できる任意の範囲に切り出して、言葉や現象などの概念として人間主観で個別に定義しつつ、それらをロジックとして組合せ、おおまかに言って概ね再現できる「なんらかのものや現象」を科学として扱っているに過ぎないのではないでしょうか。 すべてが地続きなものを、「ここからここまでが空気です」とか「オゾン層あたりまでが地球です」とか、そういう一つひとつのものが言葉や概念として切り出した時点で実世界として単独では存在できない近似値(仮定)でしかなく、ミクロな世界では近似値が許されないレベルの致命的な誤差となって観測しようとした対象にすらなんらかの影響を与えてしまい、意図する現象が再現ができないという世界になったりもします。 No.2 146ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 人生を停滞させる人(2,285字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
K2nd 補足すると、科学の根底にあるのは人間主観の「再現性の担保」だと思います。 人間が何かを認識をする時、それは主に五感で捉えることのできるなんらかの情報(時間軸でみれば瞬間的に切り出した静止したもの)を、時空の両軸ともにすべてが地続きな現実世界から人間が認識できる任意の範囲に切り出して、言葉や現象などの概念として人間主観で個別に定義しつつ、それらをロジックとして組合せ、おおまかに言って概ね再現できる「なんらかのものや現象」を科学として扱っているに過ぎないのではないでしょうか。 すべてが地続きなものを、「ここからここまでが空気です」とか「オゾン層あたりまでが地球です」とか、そういう一つひとつのものが言葉や概念として切り出した時点で実世界として単独では存在できない近似値(仮定)でしかなく、ミクロな世界では近似値が許されないレベルの致命的な誤差となって観測しようとした対象にすらなんらかの影響を与えてしまい、意図する現象が再現ができないという世界になったりもします。 No.2 146ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 人生を停滞させる人(2,285字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
人間が何かを認識をする時、それは主に五感で捉えることのできるなんらかの情報(時間軸でみれば瞬間的に切り出した静止したもの)を、時空の両軸ともにすべてが地続きな現実世界から人間が認識できる任意の範囲に切り出して、言葉や現象などの概念として人間主観で個別に定義しつつ、それらをロジックとして組合せ、おおまかに言って概ね再現できる「なんらかのものや現象」を科学として扱っているに過ぎないのではないでしょうか。
すべてが地続きなものを、「ここからここまでが空気です」とか「オゾン層あたりまでが地球です」とか、そういう一つひとつのものが言葉や概念として切り出した時点で実世界として単独では存在できない近似値(仮定)でしかなく、ミクロな世界では近似値が許されないレベルの致命的な誤差となって観測しようとした対象にすらなんらかの影響を与えてしまい、意図する現象が再現ができないという世界になったりもします。
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