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>>6
コメントありがとうございます。
挫折がわる人間は結果的に得だと思います。
ありふれた言葉ですが、失ってみて初めて気づく価値というのものがありますから。
気づいていない人というは、これまであまり失ってこなかった幸運な人なのか、あるいは失うことから目をそらしている臆病者、自分を騙す嘘つきのどれかだと思います。
工場の裏庭で遊んだ経験も、家が抵当に入ったことも、ヤンキーの彼にとっては失ってしまったことなので、その分、大きな気づきを得られたのではないでしょうか。
>>7
加減が難しいですが、ぼくは子供には積極的に殴り合いをさせた方がいいと思います。
相手を殴れないということが、どれだけ可能性を狭め、窮屈にさせていることか。
ぼくは常に相手を殴るという可能性を自分の中で担保させています。
これだけでだいぶ違います。
親はかなり殴りました。
彼女や奥さんを殴ったことはありませんが、前の奥さんは親を殴るような人は恐いと言って出ていきました。
いろいろありますけど、でも、これからも殴るという可能性だけは残していきたいです。
>>12
女の立場からすると、男性が女性を殴るという行為は反対です。
殴られた傷は消えても、心の傷はなかなか癒えないものだと思います。
>>13
コメントありがとうございます。
殴られるのが嫌なのは、男も同じだと思います。
ただ、男性の方が力が強い分、男性が女性を殴るというのは特別な意味が生まれますね。
その意味で、(男性が男性を殴る、女性が女性を殴る)と(男性が女性を殴る)と、(女性が男性を殴る)は、それぞれ別の意味合いを持ってきますね。
そう考えると、殴るのも心の傷を残す殴り方と残さない殴り方もあるのではないでしょうか。いろいろと難しいですが、であるからこそ考え甲斐のあるテーマだと思います。
>>14
そうですね、子供の頃の喧嘩は、終わった後に仲良くなっているというケースも多かったですし、状況にもよるかもしれません。
「なぜ殴られているのかわからない」状況が心の傷を残す気がするのですが、それは言葉でも同じですね。
チャボとウサギの事件簿読みました。誠実な印象を持ちました。ネタバレは読者の為に嫌なんでここで止めときます。僕の弟は知的障害児で僕はグレても、勉強ができても、、何をしても知的障害児の兄貴というレッテルでマチコンで生きてきました。途中からそんな感情も忘れて読んでいました。これで感想は伝わりますよね。ありがとうございます
僕はこれから夜の少しの時間を使って絵本を描こうと思っています。敢えて言います。お互いツッぱって行けるとこまで。。
どー考えても、、マチコンのとこは町です。最近友人とマチコンのメールのやりとりをしいたもので、、笑。自分でびっくり。
弟は知的障害児だけど、僕より絵が上手いんです。僕は人生に絶望して一度だけ親に反抗して、家業を継がず美大に行きました。今は継いでるけど。その僕がはっする絵が風呂上がりにテーブルにぶんながっているんです。弟は母音しか使えない。僕は子音まで使える。夜空にぶん投げてやっかって思ってます。今夜!
>>19
「チャボとウサギの事件」を読んでくださってありがとうございます。あの小説は現実と集合無意識との間に開く回路、あるいは穴ぼこのようなものを描いた作品です。だからつながる人にはつながるのです。つながらない人にはつながらないですが。もっとつながる人が増えてくれるといいのになとは思います。
>>9
岩崎さんの伝えたい話はそれはそれで理解できるのですが、私の文章がイマイチなせいで >>2 のニュアンスがうまく伝わっていないようなので少々補足しますね。
>言葉というものはなかなか奥深いもので、必ずしも「何かを切り取ったために切り取らなかった部分が表現できていない」ということにはならないんですよね。
>>2 では、言葉や概念として「ここからここまでが地球であるとか、人間である」と切り取った時点で現実世界の地続きなものとは別物の仮の姿になってしまうというお話をしたつもりです。
数学で取り扱う直線や並行は、現実世界には正確には存在してない(できない)という話と近いです。
>>「矛盾」という言葉は矛盾する状態を批判しているのと同時に、この世には矛盾した状態があると、その存在を肯定してもいるんですよね。
言葉の定義(=現実の実態ではない人間主観の概念)としては矛盾は成り立ちますが、科学としては矛盾は扱えていない、というか、再現性を担保するときに何らかの矛盾が生まれたら科学としては失敗という気がします。