KIRAさん のコメント
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ぼくは、それは「夢」ではないかと考えている。
そう考えるようになったきっかけは、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を編集したウォルター・マーチの著作『映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話』を読んでいるときに得た。この本の中で、マーチはこんなふうに述べている。
人間というのは、誰に教わったわけでもないのに「映画編集」のルールを知っている。兵士が銃を撃ったショットのあとに、民衆が倒れるカットをつないだら、さっきの銃で撃たれたのだと認識する。
なぜ認識できるのか? それは、編集が夢と似ているからではないだろうか。人間は、起きている間は基本的にカメラは一つで、編集なしの映像しか見られない。しかし夢の中では、映像があちこちに飛ぶ。映画の編集は、それと似ているのではないだろうか。だから、教わったわけでもないのにそのルールを理解できるのだ。
この考えは、非常に示唆に富んでいる
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。
「夢的」なんて、伸び代しかないと言うか、とてもワクワクするコンセプトですね。ライバルに話すのはちょっと勿体ないくらいですが、こうして共有して下さってありがとうございます。
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