ハックルベリーに会いに行く
「映画的」とは何か?:その2(2,213字)
ぼくは、それは「夢」ではないかと考えている。
そう考えるようになったきっかけは、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を編集したウォルター・マーチの著作『映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話』を読んでいるときに得た。この本の中で、マーチはこんなふうに述べている。
人間というのは、誰に教わったわけでもないのに「映画編集」のルールを知っている。兵士が銃を撃ったショットのあとに、民衆が倒れるカットをつないだら、さっきの銃で撃たれたのだと認識する。
なぜ認識できるのか? それは、編集が夢と似ているからではないだろうか。人間は、起きている間は基本的にカメラは一つで、編集なしの映像しか見られない。しかし夢の中では、映像があちこちに飛ぶ。映画の編集は、それと似ているのではないだろうか。だから、教わったわけでもないのにそのルールを理解できるのだ。
この考えは、非常に示唆に富んでいる
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2019/10/11(金) 06:00 「映画的」とは何か?:その1(2,162字)
2019/10/15(火) 06:00 お金をかけずにたった三ヶ月で知的生産性を爆発的に飛躍させる方法:その42(1,766字)
コメント
コメントを書く前回もそうでしたが、このシリーズはとても刺激的です。
「夢的」なんて、伸び代しかないと言うか、とてもワクワクするコンセプトですね。ライバルに話すのはちょっと勿体ないくらいですが、こうして共有して下さってありがとうございます。
話が飛躍しますが、VRは基本的に現実を模倣するので映画より夢から遠い、
今ひとつVRがメジャーにならないのは人を惹きつける夢の要素が少ないから、なんて考えることも出来ますね。
ただVRコンテンツにもっと編集の要素を入れ、「夢」に近くするなんてことも出来るかとも思えます。
映画「トータル・リコール」みたいな話になっていきそうですが・・・。