ぼくは、それは「夢」ではないかと考えている。
 そう考えるようになったきっかけは、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を編集したウォルター・マーチの著作『映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話』を読んでいるときに得た。この本の中で、マーチはこんなふうに述べている。

 人間というのは、誰に教わったわけでもないのに「映画編集」のルールを知っている。兵士が銃を撃ったショットのあとに、民衆が倒れるカットをつないだら、さっきの銃で撃たれたのだと認識する。

 なぜ認識できるのか? それは、編集が夢と似ているからではないだろうか。人間は、起きている間は基本的にカメラは一つで、編集なしの映像しか見られない。しかし夢の中では、映像があちこちに飛ぶ。映画の編集は、それと似ているのではないだろうか。だから、教わったわけでもないのにそのルールを理解できるのだ。

 この考えは、非常に示唆に富んでいる