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ぼくは、それは「夢」ではないかと考えている。
そう考えるようになったきっかけは、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』を編集したウォルター・マーチの著作『映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話』を読んでいるときに得た。この本の中で、マーチはこんなふうに述べている。
人間というのは、誰に教わったわけでもないのに「映画編集」のルールを知っている。兵士が銃を撃ったショットのあとに、民衆が倒れるカットをつないだら、さっきの銃で撃たれたのだと認識する。
なぜ認識できるのか? それは、編集が夢と似ているからではないだろうか。人間は、起きている間は基本的にカメラは一つで、編集なしの映像しか見られない。しかし夢の中では、映像があちこちに飛ぶ。映画の編集は、それと似ているのではないだろうか。だから、教わったわけでもないのにそのルールを理解できるのだ。
この考えは、非常に示唆に富んでいる
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コメント
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前回もそうでしたが、このシリーズはとても刺激的です。
「夢的」なんて、伸び代しかないと言うか、とてもワクワクするコンセプトですね。ライバルに話すのはちょっと勿体ないくらいですが、こうして共有して下さってありがとうございます。
話が飛躍しますが、VRは基本的に現実を模倣するので映画より夢から遠い、
今ひとつVRがメジャーにならないのは人を惹きつける夢の要素が少ないから、なんて考えることも出来ますね。
ただVRコンテンツにもっと編集の要素を入れ、「夢」に近くするなんてことも出来るかとも思えます。
映画「トータル・リコール」みたいな話になっていきそうですが・・・。