ハックルベリーに会いに行く
映画のサンプリングについて研究する:その12(1,893字)
映画『アマデウス』においては、老齢のサリエリが神父に対して問わず語りにモーツァルトのことを話し始めるところから映画が始まる。そのまま回想シーンに流れ込んでいくのだが、その中で時折サリエリのモノローグが指し挟まる。観客は、それがモノローグと分かっているから純粋なナレーションとは思わないが、しかしそれは本質的にはナレーションの役目を果たし、映像では表現しきれない作品世界の奥行きや裏側を解説してくれるので、見る者はより立体的にその世界に入り込める。
『フォレスト・ガンプ』では、この手法をほぼそのまま踏襲した。つまり「サンプリング」した。この映画は、最初に主人公のガンプがバス停でバスを待っているシーンから始まる。実は、この「バス停でバスを待つ」というシークエンスそのものが、サミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』のサンプリングだ。『ゴドーを待ちながら』は結局ゴドーが現れないのだが、『
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