閉じる
閉じる
×
今回もまたゲームの歴史について書いてみたい。今回は21世紀に入った直後の00年代について。
任天堂は、90年代後半から2000年代前半にかけて、64、ゲームキューブがソニーの後塵を拝し、なかなか捲土重来を果たせずにいた。しかしながら、ソニーやXBOXが打ち出す「スペック競争」には安易に巻き込まれず、もっと「本質的な形」での売上回復を目指した。それは、ゲームをより「ゲームの本質」に近づける――ということだ。
ただ、この頃の任天堂が必ずしも「ゲームの本質」を概念化、言語化できていたわけではない。それは、大いなる試行錯誤の中から編み出されようとしていた。長い時間をかけて滴る水が鍾乳洞を形作るように、さまざまなソフトを生み出す中でゆっくりとではあるがしかし確実に掘り起こされようとしていた。
この21世紀に入ってからの任天堂を指導したのが岩田聡である。
岩田聡は、1982年に大学時代のアルバイトの延
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。