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今の世の中には、「正解はない」という考え方がかなり蔓延している。それは、第二次大戦の敗戦後に戦前・戦中の軍国主義に対する反動からそうなったということもあるが、それ以上に大きかったのは、それで戦後社会が上手く回せた――ということがある。
特に、高度経済成長期はむしろ「正解はない」という嘘をまかり通らせた方が社会が上手く回った。「正誤併せ呑む」という考え方は、戦後社会の潤滑油だったのだ。
しかし、「『正解はない』という社会」の歯車は、1995年のウィンドウズ95発売を境に狂い始めた。また、今では完全に瓦解した。そうして、正解が強く求められる世の中になった。だから我々は、そうした社会に対応するため、なんとしてでも「正解」に辿り着かなければならないのだ。
しかしながら、正解への道はかなり厳しい。例えば「差別は人間の本質である」というのは正解であるが、これを素直に受け入れられる人はほとんどいないだろ
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