ハックルベリーに会いに行く
マンガの80年代から90年代までを概観する:その26(1,938字)
赤塚不二夫は1958年、秋田書店に『ナマちゃん』というギャグマンガを描く。これが好評で、そこから一気にギャグマンガ家への道を歩み始める。
その後、1962年に植木等の「スーダラ節」をヒントにその名も『スーダラおじさん』というマンガを少年サンデーで描くが、これがさらに好評で、少年サンデーでの週刊連載が決まる。
そこで描き始めたのが『おそ松くん』だった。最初はそれまでの日常系マンガの延長線上で描いていたが、次第に時代のニヒリズム――特に植木的な諧謔主義に寄せていき、小ずるい日本人をバカにするようになる。
赤塚がまずバカにしたのがトニー谷だった。トニー谷は1917年の生まれで、第二次大戦では従軍し、中国を転々としていたという。終戦時に28歳だったが、日本に戻ると日系アメリカ人を模倣して変な日本語(ルー大柴的な)を喋るという芸風を確立し、一躍人気者になった。
ただし、人気者といっても「ヒール」とし
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