• このエントリーをはてなブックマークに追加

AKさん のコメント

userPhoto
AK
猪木さんの分析、とても興味深く読みました。
そして、その後の小説の条件で書かれていたこととも合致していました。
猪木さんは、総合を実践し、ある意味で愚者で、そして遍歴していたからです。
自分自身が作品であり、小説的でもあったんですね。
No.1
25ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
[質問] アントニオ猪木さんが亡くなり、いろいろな映像や言葉が流れてきました。岩崎さんは、猪木さんに対してどのように思われていましたか? [回答] アントニオ猪木はぼくにとって理解が難しい人間でした。後年になってようやく「虚実皮膜だった」と分かるのですが、子供の頃は「虚実皮膜を作品でするのは分かるが自分でするのは分からない」という状態だったんです。アントニオ猪木にとっては、自分自身が「作品」でした。この感覚が、30代まで分かりませんでした。 ぼくにとって、作品とは外部にあるものです。そのため、絵とか作曲とか小説は分かりやすい。歌手は少し分かりにくいですが、レコードは外部になります。 しかしアントニオ猪木の場合は、自分自身の動きや声、それに生き方を作品としていた。それにはなかなか理解が及びませんでした。後年になって、いろんな人と接する中でぼく自身も自分を演じるような場面を持つようになり、「あ
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。