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keysさん のコメント

表現者、かぁ・・・
僕は、以下の言い回しが大好きなのですよ。

「最高の表現者が創作した、天才的な創作物は、
見る人それぞれが持つ感受性のレベルに応じてしか、語りかけてこない。」

その言葉を信じていろいろな芸術に触れてはいるものの、依然としてちんぷんかんぷん。
僕の恐ろしいほど低い感受性のレベルを実感する今日この頃です・・・。

とまぁ、そんな戯言はさておき、
ダンスでもなんでも、芸術の世界は人のエゴや時代の流れが、各表現者を濁流の最中へと追いやる、
不安定な世界なのでしょう。

僕くらいにしか感受性のレベルを持ち合わせていない人が、
単に金を持っている・社会的地位が高い、というだけで表現者を選り好みし、
自分が理解できないほど高いレベルの創作を”断罪”して追放することもしばしば・・・。

でも、そんな目にあってまで、彼らは何を表現したいのでしょうか・・・
合理性が行動基準の僕には、理解できない境地です。
No.1
138ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
映画「コーラスライン」は1985年に作られた。今からもう30年も前の作品である。 しかしぼくは、最近初めてこの作品を見た。当時は見ていなかった。 なぜ今になってこの映画を見たかといえば、アシスタントの女の子が教えてくれたからだ。彼女は、子供の時にこの映画のあるシーンを見て、強い衝撃を受けたのだという。 それは、オーディションのシーンだった。オーディションを受けているダンサーの女の子が、バレエを踊れなかった。バレエのレッスンを受けていなかったのだ。 それで、演出家で審査員のザックは、その女の子に「帰りなさい」と退場を促す。バレエが踊れなければ、このオーディションは受ける資格はない、というわけだ。 しかしながら、その女の子は必死に食い下がる。そうして、見よう見まねで周囲のバレエを真似て踊り出すのだ。 すると、それを見たザックは、立ちあがってこう怒鳴るのである。 「Don't dance!(踊るな!)」 そうして、女の子に再び退場を命じるのである。さすがの女の子も、今度は泣きながら逃げるように会場を後にしていった。そうして、二度と戻ってくることはなかった…… アシスタントの女の子は、それを見て非常なショックを受けたというのだ。 「やめろ」と言われても必死に踊っているから、てっきりザックはやさしい言葉をかけるのかと思った。あるいは、そういう根性を評価して、逆に合格にする――くらいまで想像した。 ところが、映画のザックはそれとは正反対のことをした。不合格どころか、怒鳴りつけて追い返したのだ。 それがトラウマにさえなったと、彼女は説明してくれた。 そんな彼女の紹介がとても面白かったので、興味を抱いて見てみたのだ。  
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。