記事へ戻る 岩崎夏海さん のコメント 岩崎夏海 >>16 人間は結局何かを信じてしまうという性質があるように思います。 「誰も信じない、なぜなら他人は信じられないから」という人も、結局「他人は信じられない」ということを信じてしまっている。動物のように、ほとんど何も信じることなく、反射的に生きられたらとても身軽なのでしょうが、そうもいかない。 だとすると、なるべくメタの回想を積み上げずに、とてもプリミティブな部分で物事を信じる人こそが、ややこしくない分だけ気持ち良く生きられるように思います。 打算的ではない=メタ的ではない好き嫌いなら、人間は信用できるのではないでしょうか。 ただ、打算的ではない好き嫌いはほとんど幻のような存在なので、見極めるのも難しいかと思います。 No.18 145ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 信者だけが成長できる理由(2,059字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
岩崎夏海 >>16 人間は結局何かを信じてしまうという性質があるように思います。 「誰も信じない、なぜなら他人は信じられないから」という人も、結局「他人は信じられない」ということを信じてしまっている。動物のように、ほとんど何も信じることなく、反射的に生きられたらとても身軽なのでしょうが、そうもいかない。 だとすると、なるべくメタの回想を積み上げずに、とてもプリミティブな部分で物事を信じる人こそが、ややこしくない分だけ気持ち良く生きられるように思います。 打算的ではない=メタ的ではない好き嫌いなら、人間は信用できるのではないでしょうか。 ただ、打算的ではない好き嫌いはほとんど幻のような存在なので、見極めるのも難しいかと思います。 No.18 145ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 信者だけが成長できる理由(2,059字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
人間は結局何かを信じてしまうという性質があるように思います。
「誰も信じない、なぜなら他人は信じられないから」という人も、結局「他人は信じられない」ということを信じてしまっている。動物のように、ほとんど何も信じることなく、反射的に生きられたらとても身軽なのでしょうが、そうもいかない。
だとすると、なるべくメタの回想を積み上げずに、とてもプリミティブな部分で物事を信じる人こそが、ややこしくない分だけ気持ち良く生きられるように思います。
打算的ではない=メタ的ではない好き嫌いなら、人間は信用できるのではないでしょうか。
ただ、打算的ではない好き嫌いはほとんど幻のような存在なので、見極めるのも難しいかと思います。
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