記事へ戻る kasenoさん のコメント kaseno 今日は、三回に分けてこの記事が頭をよぎりました。 10時休みに工場横でタバコを吸いながら、こう思ったんです。じゃあ盲信とはどうなんだろう?と、日本でも盲信による悲惨な事がありました。サリン事件です。そのとき僕は、ちょうど、高校を卒業する受験のときでした。盲信はどうなるんだろ?と、しかしながら、ぼくは、美大で酔った席でも理論的に追い詰められても、、最後の力で、でも俺は美術の力、芸術が持っている力信じてっから!といつも言っていたぃがします。盲信とそれは違う、、10時休み 3時休みにも工場横でタバコを吸いました。でも、、でも信じるということに関して、何ら変わりはないし、同じ心境だったんでは?と、、。 そして今、ふとしたことを思いだしました。それは、立川で浪人をしていたころの話です。下宿先の近くに多摩川が流れていて、よく朝まで起きていたときには土手を散歩していたんです。すると、毎朝早朝に上半身裸でえいっ!とか、しぇーっ!とかいって竹刀を振っている老人が居たんです。 最初は元気いいじいちゃんだなぁと軽く見てたんです。でも、ある時、気づいたんです。僕がこのじいちゃんの竹刀を振る姿を好きになっとぃることを、そして、元気をもらっていることを。そして、その姿が早朝の花のように、、ああ、美しいなと思ってたことを。 教祖が、、君が不幸なのは社会が悪いんだ、と僕ら本当のことを知っているとやさしく語りかけて、盲信するのには異議を唱えます。 じいちゃんは毎朝何を切っていたのだろか?それはじいちゃんにもわからない、、だけど、切るんだ。。といって欲しい、美はなんていうんだろか、、冷たい孤高の温度を持っていて欲しい。だけど、本人の気づかぬ背中に朝のひととき宿ってくれるような、、ツンデレであったら、、男は燃えるなとか今書きながら思ってます。 今日は疲れたから、明日、メール見ない日にしよう!w いつも、面白いです! No.5 146ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 信者だけが成長できる理由(2,059字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
kaseno 今日は、三回に分けてこの記事が頭をよぎりました。 10時休みに工場横でタバコを吸いながら、こう思ったんです。じゃあ盲信とはどうなんだろう?と、日本でも盲信による悲惨な事がありました。サリン事件です。そのとき僕は、ちょうど、高校を卒業する受験のときでした。盲信はどうなるんだろ?と、しかしながら、ぼくは、美大で酔った席でも理論的に追い詰められても、、最後の力で、でも俺は美術の力、芸術が持っている力信じてっから!といつも言っていたぃがします。盲信とそれは違う、、10時休み 3時休みにも工場横でタバコを吸いました。でも、、でも信じるということに関して、何ら変わりはないし、同じ心境だったんでは?と、、。 そして今、ふとしたことを思いだしました。それは、立川で浪人をしていたころの話です。下宿先の近くに多摩川が流れていて、よく朝まで起きていたときには土手を散歩していたんです。すると、毎朝早朝に上半身裸でえいっ!とか、しぇーっ!とかいって竹刀を振っている老人が居たんです。 最初は元気いいじいちゃんだなぁと軽く見てたんです。でも、ある時、気づいたんです。僕がこのじいちゃんの竹刀を振る姿を好きになっとぃることを、そして、元気をもらっていることを。そして、その姿が早朝の花のように、、ああ、美しいなと思ってたことを。 教祖が、、君が不幸なのは社会が悪いんだ、と僕ら本当のことを知っているとやさしく語りかけて、盲信するのには異議を唱えます。 じいちゃんは毎朝何を切っていたのだろか?それはじいちゃんにもわからない、、だけど、切るんだ。。といって欲しい、美はなんていうんだろか、、冷たい孤高の温度を持っていて欲しい。だけど、本人の気づかぬ背中に朝のひととき宿ってくれるような、、ツンデレであったら、、男は燃えるなとか今書きながら思ってます。 今日は疲れたから、明日、メール見ない日にしよう!w いつも、面白いです! No.5 146ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 信者だけが成長できる理由(2,059字) ハックルベリーに会いに行く 『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。 » このブロマガへ
10時休みに工場横でタバコを吸いながら、こう思ったんです。じゃあ盲信とはどうなんだろう?と、日本でも盲信による悲惨な事がありました。サリン事件です。そのとき僕は、ちょうど、高校を卒業する受験のときでした。盲信はどうなるんだろ?と、しかしながら、ぼくは、美大で酔った席でも理論的に追い詰められても、、最後の力で、でも俺は美術の力、芸術が持っている力信じてっから!といつも言っていたぃがします。盲信とそれは違う、、10時休み
3時休みにも工場横でタバコを吸いました。でも、、でも信じるということに関して、何ら変わりはないし、同じ心境だったんでは?と、、。
そして今、ふとしたことを思いだしました。それは、立川で浪人をしていたころの話です。下宿先の近くに多摩川が流れていて、よく朝まで起きていたときには土手を散歩していたんです。すると、毎朝早朝に上半身裸でえいっ!とか、しぇーっ!とかいって竹刀を振っている老人が居たんです。
最初は元気いいじいちゃんだなぁと軽く見てたんです。でも、ある時、気づいたんです。僕がこのじいちゃんの竹刀を振る姿を好きになっとぃることを、そして、元気をもらっていることを。そして、その姿が早朝の花のように、、ああ、美しいなと思ってたことを。
教祖が、、君が不幸なのは社会が悪いんだ、と僕ら本当のことを知っているとやさしく語りかけて、盲信するのには異議を唱えます。
じいちゃんは毎朝何を切っていたのだろか?それはじいちゃんにもわからない、、だけど、切るんだ。。といって欲しい、美はなんていうんだろか、、冷たい孤高の温度を持っていて欲しい。だけど、本人の気づかぬ背中に朝のひととき宿ってくれるような、、ツンデレであったら、、男は燃えるなとか今書きながら思ってます。
今日は疲れたから、明日、メール見ない日にしよう!w
いつも、面白いです!
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