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みみおっぽさん のコメント

人気者云々というよりは、むしろ超成果主義になっているのでは?
あらゆる個人の行動の結果がつぶさに反響を呼ぶ昨今においては、メジャーやマイナーが同じ様な価値を
利用者に提供することを前提とするなら、それらを隔てるのは単なる"関心の総数"だと考えるのは自然だと思う。
再生数、ダウンロード数、コメント数、リンク数、リツイート数――つまり、関心を寄せた数だと思う。
そしてこの状況下で他人の関心を集めるのに必要なのは"より多くの人間の目に晒すこと"が最低条件だ。
SNSとかでやっているのは私信を全世界に公開するという一方的なものだけど、そのサービスを逆手にとって、
利用者が"関心を集めているだけ"なんじゃないかなぁ…。
もっと言えば、関心を集める手法もその内容も別に"人に気に入られる必要性は皆無"だと思うよ。
見たい人(関心のある人)は見るだろうし、見ない人(関心の無い人)は見ない。
見たい人が多いという事柄が、必ずしも人気の事柄である、としているのは日本人だけなんじゃない?
No.45
140ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
気がつくと、いつの間にか日本は「人気者社会」になっていた。「人気者」が脚光を浴び、優遇される世の中になったのだ。あるいは、全ての人が「人気者」を目指す時代になった。 そこで今回は、そんな「人気者社会」について考察する。 その1:「人気者社会」とは何か? その2:なぜ「人気者社会」が到来したか? その3:「人気者社会」になってどうなった? その4:「人気者社会」は今後どうなるか? その1:「人気者社会」とは何か? 「人気者社会」とは、全ての人が「人気」というものを身につける必要に迫られる時代だ。 ところで、「人気」とは何か? それは、不特定多数の人から好かれること――である。それも、家族や友人、恋人として好かれるというよりも、タレントとして好かれるのに近い。憧れられたり、見習われたりする状態のことだ。あるいは、なんとなく好意を抱かれる状態だ。 昔は、そういう性質は一部の人が持っていれば良かった。昔は、無愛想だし、嫌われ者でも、その他の能力が高ければ、社会の中で居場所を見つけることができた。 しかし今は、ほとんどの全ての人が「人気」を持たなければいけなくなった。無愛想や嫌われ者だと、社会から爪弾きにされ、生きづらい世の中になったのである。 それを、ここでは「人気者社会」と称する。 その2:なぜ「人気者社会」になったのか なぜ人気者社会になったかといえば、 
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。