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つづきさん のコメント

 この記事だけで、「人気者社会」について、解釈してみます。
 最初に、「相互に、肯定を与え合う」ことが苦手な人が増えたという現象が前提になっているような気がします。

 それについて、厳しい不況と企業利益の算出のために効率性を重視し、労働者を歯車としか見かねない仕事環境への変化があり。
 受験競争の過熱により、義務教育本来の存在意義である「最低限の教養を提供する無償の学習」ではなく、「あとから考えると、あれは何だったんだろうレベルの需要しかない知識の詰め込み競争」で、人間関係構築の練習より、問題集の暗記が求められる学校環境への変化があり。

 結果として、その「相互に、肯定感をつくりだす」技術の継承が途絶えてしまったのではないでしょうか。

 また、それと同時に、「昔はよかった」といわれる時代の代表・昭和での「察する文化」という、
「相手の立場を考え、周囲の感覚をそれとなく感じる技術」
 もロストテクノロジーになってしまったようです。

 そして、「目に見えない信頼」よりも、可視化できるSNSなどの数字でしか、自分の評価ができなくなってしまったのではと感じられます。

 結果、可視化できる形で「一方向で肯定感を寄せられる」という可能性がある技術こと、「意識高い系になる」「アイドルになる」「クリエイターになる」などの、「人気者になること」が注目されるようになっているように感じられた、ということでしょうか。

 あるいは、
「肯定を強要する」形でしか認知的欲求が満たせなくなった、でいいですか。

 ハックルベリーさんの好みに合いそうな「造語に見えるカタカナ語」で語ると、「メタ認知とその改善(NLP・CBT)」や、「自己受容(マインドフルネス)」、「ストロークの確実な投げかけ(アサーション)」や、「ポジション・チェンジ(NLP)」という技術が足りなくて、自己肯定感がなくて「人気者」への道を突っ走るので、そちらもご一緒に提供したほうが、問題提起のみより有意義に感じられました。

 自己肯定感が、
「鍛えれば、自分だけで得られるようになる」
 ということと、
「自律的な自己肯定感のある人の方が、他人を余裕をもって受け止められ、結果、相手の話を傾聴できるために、結果として人気者になれる」
 という経験的事実を、どうしましょうか。

 とりあえず、これだけまじめに解釈し返そうと思うぐらいに面白い記事でした。
 ありがとうございます。

 個人的には、No.13のizumoさんがいっていた、
「しかしながら恒常的に社会が求めているのが「人気者」かと言われると実は似て非なるものではないかと思います。
別文化の橋渡しを行う媒体者やファシリテーターのような調整者を求めてるのでは?」
 という言葉が、現実に合っているような気がして、いちばんしっくりきました。
No.71
140ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
気がつくと、いつの間にか日本は「人気者社会」になっていた。「人気者」が脚光を浴び、優遇される世の中になったのだ。あるいは、全ての人が「人気者」を目指す時代になった。 そこで今回は、そんな「人気者社会」について考察する。 その1:「人気者社会」とは何か? その2:なぜ「人気者社会」が到来したか? その3:「人気者社会」になってどうなった? その4:「人気者社会」は今後どうなるか? その1:「人気者社会」とは何か? 「人気者社会」とは、全ての人が「人気」というものを身につける必要に迫られる時代だ。 ところで、「人気」とは何か? それは、不特定多数の人から好かれること――である。それも、家族や友人、恋人として好かれるというよりも、タレントとして好かれるのに近い。憧れられたり、見習われたりする状態のことだ。あるいは、なんとなく好意を抱かれる状態だ。 昔は、そういう性質は一部の人が持っていれば良かった。昔は、無愛想だし、嫌われ者でも、その他の能力が高ければ、社会の中で居場所を見つけることができた。 しかし今は、ほとんどの全ての人が「人気」を持たなければいけなくなった。無愛想や嫌われ者だと、社会から爪弾きにされ、生きづらい世の中になったのである。 それを、ここでは「人気者社会」と称する。 その2:なぜ「人気者社会」になったのか なぜ人気者社会になったかといえば、 
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。